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ぞく共和きょうわ

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共和きょうわまんさい」とかれたイラスト。中央ちゅうおう人物じんぶつ五色ごしき中華民国ちゅうかみんこく国旗こっきかかげている
1912ねんから1928ねんまでの中華民国ちゅうかみんこく国旗こっきぞく象徴しょうちょうする五色ごしきからなる

ぞく共和きょうわ(ごぞくきょうわ)は、中華民国ちゅうかみんこく北京ぺきん政府せいふかかげていたかんぞくまんしゅうぞくこうむぞくウイグルぞくチベットぞく民族みんぞく協調きょうちょううたったスローガン中華民国ちゅうかみんこく北京ぺきん政府せいふ象徴しょうちょうする民族みんぞく統一とういつ目指めざすためのスローガンとして、北京ぺきん政府せいふ国旗こっき五色ごしきはた関連付かんれんづけてかんがえられた。ただししょくのどのいろがどの民族みんぞくにあたるかは公式こうしきさだめられたことはない。

ぞく共和きょうわはもともと革命かくめいのスローガンではなく、立憲りっけん革命かくめいはいまんろん対抗たいこうして提唱ていしょうしたぞく不可分ふかぶんろん起源きげんとしている。[1] [2] からし革命かくめい勃発ぼっぱつ各省かくしょう代表だいひょう中華民国ちゅうかみんこく成立せいりつについてはなったさいには、中華民国ちゅうかみんこくのスローガンとして採用さいようされた。

ぞく共和きょうわは、1912ねん元旦がんたん中華民国ちゅうかみんこく臨時りんじ政府せいふ成立せいりつしたさいまごぶん南京なんきんおこなった中華民国ちゅうかみんこく臨時りんじだい総統そうとう就任しゅうにん演説えんぜつでもかかげられていた。この臨時りんじ大統領だいとうりょう就任しゅうにん宣言せんげんにおいて、「かん満蒙まもうかいぞうしょあわしていちこくし、かん満蒙まもうかいぞうしょぞくあわして一人ひとりのごとくする。これを民族みんぞく統一とういつという」とまごぶんべている。しかし、まごぶん自身じしん臨時りんじだい総統そうとう就任しゅうにん北方ほっぽう演説えんぜつしたさいにしかぞく共和きょうわには言及げんきゅうしておらず、北京ぺきん政府せいふ対決たいけつぞく共和きょうわあやまりであったと主張しゅちょうし、もっぱら大中おおなかはな主義しゅぎによる同化どうか主義しゅぎすすめていくようになる。

なおまごぶんはそもそもしょくはたきらい、国旗こっき制定せいてい論争ろんそうには中国ちゅうごく同盟どうめいかい青天白日せいてんはくじつはた採用さいようするように主張しゅちょうしたが、却下きゃっかされている。[3]

清朝せいちょう政体せいたいぞくのそれぞれがべつ国家こっかともえる政体せいたい維持いじし、清朝せいちょう皇帝こうていはそのいつつの政体せいたい別個べっこ資格しかく君主くんしゅとして君臨くんりんするという一種いっしゅ同君どうくん連合れんごうであった。そのため、かんぞく社会しゃかいふかんでいたまんしゅうぞくのぞモンゴルこうむぞく)、西域せいいきムスリム社会しゃかいかい)、チベット実質じっしつさんヵ国かこくは、かんぞくによる中華民国ちゅうかみんこく政府せいふ統治とうちかれることをよしとせず、清朝せいちょう皇帝こうていけん消滅しょうめつをもって独立どくりつ国家こっかであると主張しゅちょうした。

ぞく

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漢書かんしょまき90のおうあつし舒のつてではしゅ民族みんぞくとしての意味いみではなく、おおくの親族しんぞくという意味いみぞく使用しようされている。漢字かんじおなじであっても、1915ねんみんこく4ねん刊行かんこうの『辞源じげん』では、ぞくを「かん満蒙まもうかいぞうためしょうぞく」と説明せつめいしており、上記じょうき意味いみもちいられていることが明確めいかくである。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 片岡かたおかいちちゅうからし革命かくめいぞく共和きょうわろんをめぐって」『中国ちゅうごく近代きんだいしょ問題もんだい』、国書刊行会こくしょかんこうかい、1984ねん
  2. ^ 村田むらた雄二郎ゆうじろう中華ちゅうか民族みんぞくろん系譜けいふ」、飯島いいじまわたる村田むらた雄二郎ゆうじろう久保くぼとおるへん『シリーズ20世紀せいき中国ちゅうごく中華ちゅうか世界せかい近代きんだい』、東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2009ねん
  3. ^ 小野寺おのでら史郎しろう国旗こっき国歌こっかくにけい―ナショナリズムとシンボルの中国ちゅうごく近代きんだい』、東京とうきょう大学だいがく出版しゅっぱんかい、2011ねん

関連かんれん項目こうもく

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