人格 否定 発言
概説 [編集 ]
2004
経緯 [編集 ]
- 2004
年 5月 10日 -王室 の結婚式 参列 などでの欧州 3か国 歴訪 を前 にした皇太子 徳 仁 親王 の記者 会見 における発言 [4]静養 のため同行 しない皇太子 妃 雅子 に関 して- 「
今回 の訪問 が雅子 にとっても貴重 な機会 だったのですが、それが失 われ残念 に思 います。私 も出発 に際 し、後 ろ髪 を引 かれる思 いです」 - 「ぜひ
2人 でと考 えておりましたが、健康 回復 が十分 でなく、医師 とも相談 したうえで単独 となりました。雅子 も心底 残念 に思 っています」
- 「
結婚 後 の皇太子 妃 雅子 の心情 に関 して- 「
外交 官 の仕事 を断念 して皇室 に入 り、国際 親善 が皇太子 妃 の大切 な役目 と思 いながらも、外国 訪問 がなかなか許 されなかったことに大変 苦労 していました。雅子 のキャリアや、そのことに基 づいた雅子 の人格 を否定 するような動 きがあったことも事実 です」
- 「
- キャリアや
人格 を否定 する動 きの詳細 に関 して- 「
細 かいことは控 えたい。なかなか外国 訪問 ができなかったことを、雅子 も私 もとても悩 んだということをお伝 えしようと思 います。」
- 「
- 2004
年 5月18日 -羽毛田 信吾 宮内庁 次長 の定例 会見 侍従 長 を通 じての天皇 の意見 - 「
社会 的 影響 の大 きい発言 で、改 めて(皇太子 から)具体 的 内容 が説明 されなければ、国民 も心配 しているだろう」
- 「
- 2004
年 6月8日 -湯浅 利夫 宮内庁 長官 の定例 会見 を通 じて皇太子 徳 仁 親王 が人格 否定 発言 に関 する文書 を発表 - キャリアや
人格 を否定 する動 きの詳細 に関 する補足 説明 - 「
対象 を特定 して公表 することが有益 とは思 いませんし、今 ここで細 かいことを言 うことは差 し控 えたいと思 います」 - 「
個々 の動 きを批判 するつもりはなく、現状 について皆 さんにわかっていただきたいと思 ってしたものです」
- 「
皇太子 夫妻 がこれまで直面 してきた状況 に関 する説明 - 「
記者 会見 以降 、これまで外国 訪問 ができない状態 が続 いていたことや、いわゆるお世継 ぎ問題 について過度 に注目 が集 まっているように感 じます。しかし、もちろんそれだけではなく、伝統 やしきたり、プレスへの対応 等々 、皇室 の環境 に適応 しようとしてきた過程 でも、大変 な努力 が必要 でした。」
- 「
今後 の皇太子 夫妻 に関 する説明 - 「
私 は、これから雅子 には、本来 の自信 と、生 き生 きとした活力 を持 って、その経歴 を十分 に生 かし、新 しい時代 を反映 した活動 を行 ってほしいと思 っていますし、そのような環境 づくりが一番 大切 と考 えています。」 - 「
今後 、雅子 本人 も気力 と体力 を充実 させ、本来 の元気 な自分 を取 り戻 した上 で、公務 へ復帰 することを心 から希望 しているということです。雅子 の復帰 のためには、いろいろな工夫 や方策 も必要 と考 えますし、公務 のあり方 も含 めて宮内庁 ともよく話 し合 っていきたいと思 っています。(中略 )雅子 が早 く健康 を回復 し、復帰 できるよう、私 自身 も全力 で支 えていくつもりです。」
- 「
発言 後 の国内 への影響 に関 する説明 - 「
結果 として、天皇 皇后 両 陛下 はじめ、ご心配 をおかけしてしまったことについては心 が痛 みます。」
- 「
- キャリアや
- 2004
年 11月29日 -秋篠宮 文 仁 親王 の記者 会見 皇太子 の人格 否定 発言 に関 する意見 - 「
記者 会見 という場 で発言 する前 に、せめて陛下 と内容 について話 をして、そのうえでの話 であるべきではなかったかと思 っております」
- 「
時代 に即 した新 しい公務 に関 する意見 - 「
私 個人 としては自分 のための公務 はつくらない。公務 は、かなり受 け身 的 なものと考 えています」 - 「
依頼 を受 けて、意義 のあることであればその務 めをする。私 自身 はそう考 えて今 までずっと来 ています」
- 「
- 2004
年 12月23日 -宮内 記者 会 の質問 に対 する天皇 の文書 を発表 皇太子 の発言 に関 する意見 - 「
初 めて聞 く内容 で大変 驚 き、『動 き』という重 い言葉 を伴 った発言 であったため国民 への説明 を求 めました」 - 「
皇太子 夫妻 の独立 性 を重 んじてきたことが、様々 な問題 に気 が付 くことのできない要因 を作 っていたのだとすれば大変 残念 です。」 - 「まだ
私 に十分 に理解 しきれぬところがあり、細 かい言及 は控 えたいと思 います。」
- 「
- 2005
年 2月 23日 -皇太子 徳 仁 親王 の記者 会見 天皇 や秋篠宮 文 仁 親王 の発言 に関 する意見 - 「
人 それぞれに考 え方 は異 なりますし、また、どこの家庭 でも同 じように、世代 間 に考 え方 の相違 はあると思 います。しかし、そういったことは話 し合 いを続 けることによって、おのずと理解 が深 まるものと考 えます。公務 については後 でもお話 しすることになるかと思 いますが、国民 の幸 せを願 って、国民 のために何 ができるかを考 え、それを実践 していこうとすることにおいては、陛下 のお考 えも、秋篠宮 の考 えも、私 の考 えも同 じだと思 います」
- 「
皇位 継承 問題 に関 する意見 - 「
私 としては、お世継 ぎ問題 も含 めて、コメントは差 し控 えさせていただきます」
- 「
皇位 継承 問題 論議 に伴 う敬 宮 愛子 内親王 の養育 方針 に関 する意見 - 「
愛子 の養育 方針 ですが、愛子 にはどのような立場 に将来 なるにせよ、一人 の人間 として立派 に育 ってほしいと願 っております」
- 「
脚注 [編集 ]
出典 [編集 ]
- ^
神州 一 「今 や、天皇 制 は制度 疲労 をおこしている」『SENKI』第 1176号 、BUND、2005年 4月 25日 。「「それまでの雅子 のキャリアや、そのことに基 づいた雅子 の人格 を否定 するような動 きがあったことも事実 です」 この発言 には「雅子 妃 は海外 旅行 よりも男子 出産 に専念 してほしい」という宮内庁 の圧力 に対 する深 い憤 りが込 められている。宮内庁 どころか日本 中 の天皇 制 論 者 に激震 が走 った。「浩宮 の乱 」と言 われたこの発言 は、皇族 が公式 の場 で自分 の意見 を主張 したという点 では画期的 だった。「雅子 妃 の外交 」と「世継 ぎ問題 」の狭間 で追 い詰 められた浩宮 の最後 の選択 は、メディアを通 して国民 に直接 訴 えることだったのだ。」5面 より。 - ^ 「
前代未聞 「浩宮 の乱 」全 真相 」『週刊 現代 』第 46巻 第 23号 、講談社 、2004年 6月 12日 、NAID 40006228964。 - ^ 「
大 反響 「浩宮 の乱 」宮内庁 はスパイなのか」『週刊 現代 』第 46巻 第 24号 、講談社 、2004年 6月 19日 、NAID 40006238608。 - ^ a b “デンマーク・ポルトガル・スペインご
訪問 に際 し(平成 16年 )”.宮内庁 (2013年 7月 3日 ). 2016年 2月 10日 閲覧 。