佐佐木ささき広高ひろたか

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佐々木ささき広高ひろたか
時代じだい 江戸えど時代じだい中期ちゅうき
生誕せいたん 正保まさやす3ねん1646ねん
死没しぼつ 宝永ほうえい7ねん9がつ10日とおか1710ねん10月31にち
改名かいめい 佐々木ささき氏久うじひさ佐々木ささき広高ひろたか
別名べつめい 通称つうしょう太郎左衛門たろうざえもん
幕府ばくふ 江戸えど幕府ばくふ
主君しゅくん 毛利もうりつなひろよし吉広よしひろ
はん 長州ちょうしゅうはん
氏族しぞく 宍道しんじ佐々木ささき尼子あまこ
父母ちちはは ちち宍道しんじもとけん
養父ようふ佐々木ささき就易
げんおんな粟屋あわやもときょう正室せいしつ)、おんな粟屋あわやもときょう継室けいしつ
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佐々木ささき 広高ひろたか(ささき ひろたか)は、江戸えど時代じだい中期ちゅうき長州ちょうしゅうはん尼子あまこ佐々木ささき)の10代当主とうしゅ宍道しんじもとけん次男じなんで、尼子あまこ就易養子ようしとなる。はつ氏久うじひさ(うじひさ)。には佐々木ささきはじめむすめ2にんとも粟屋あわやもときょうへととついでいる。

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

正保まさやす3ねん1646ねん)に宍道しんじもとけん次男じなんとしてまれ、実子じっしのいなかった従兄じゅうけい佐々木ささき就易[1]養子ようしとなった。

宍道しんじ近江おうみ佐々木ささき一族いちぞくである京極きょうごく5だい当主とうしゅ京極きょうごく高秀たかひでよんなんしゅうえきが、出雲いずもこく意宇いうぐん宍道しんじきょかまえたことからはじまっているが、しゅうえき尼子あまこである尼子あまこ高久たかひさとは兄弟きょうだいである。また、宍道しんじもとけんと就兼の祖父そふ宍道しんじたかしけいはは尼子あまこ国久くにひさむすめであった。こういった経緯けいいから、先代せんだいの就易とおなじく広高ひろたか宍道しんじから尼子あまこ養子ようしはいったと推測すいそくされる。

元禄げんろく13ねん1700ねん12月12にち、4だい藩主はんしゅ毛利もうり吉広よしひろから「ひろ」のへんいみなあたえられて「広高ひろたか」と改名かいめいする。

宝永ほうえい7ねん1710ねん9がつ10日とおか死去しきょ享年きょうねん65。げん家督かとくいだ。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 広高ひろたかちちもとけんおとうとである宍道しんじ就兼佐々木ささき尼子あまこ当主とうしゅ佐々木ささき就易実父じっぷにあたる。

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]