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加藤かとう豊三郎とよさぶろう

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
加藤かとう 豊三郎とよさぶろう
生誕せいたん 1871ねん7がつ22にち
日本の旗 日本にっぽん 福井ふくいけん
死没しぼつ 没年ぼつねん不明ふめい
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1893ねん - 1919ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
テンプレートを表示ひょうじ

加藤かとう 豊三郎とよさぶろうきゅう字体じたい加藤かとう 豐三郎とよさぶろう、かとう とよさぶろう、1871ねん7がつ22にち明治めいじ4ねん6月5にち〉 - 没年ぼつねん不明ふめい[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょうこうさんきゅう[2]

経歴けいれき人物じんぶつ

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福井ふくいけん出身しゅっしん[1][3]1893ねん明治めいじ26ねん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい4卒業そつぎょう[1]1901ねん明治めいじ34ねん陸軍りくぐんだい学校がっこうだい15卒業そつぎょう[1]

1912ねん明治めいじ45ねん)3がつ佐賀さが連隊れんたい司令しれいかん1913ねん大正たいしょう2ねん)8がつ陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ歩兵ほへいだい56連隊れんたいちょう1916ねん大正たいしょう5ねん)4がつ歩兵ほへいだい74連隊れんたいちょう1917ねん大正たいしょう6ねん)10がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう歩兵ほへいだい17旅団りょだんちょうて、1919ねん大正たいしょう8ねん)7がつ待命たいめい同年どうねん11がつ予備よびやく編入へんにゅうした[1][2][3]

1947ねん昭和しょうわ22ねん)11月28にち公職こうしょく追放ついほうかり指定していけた[4]

栄典えいてん

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位階いかい
勲章くんしょうとう

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c d e 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』216ぺーじ
  2. ^ a b 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』109ぺーじ
  3. ^ a b 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』108ぺーじ
  4. ^ 総理そうりちょう官房かんぼう監査かんさへん公職こうしょく追放ついほうかんする覚書おぼえがき該当がいとうしゃ名簿めいぼ日比谷ひびや政経せいけいかい、1949ねん、「昭和しょうわじゅうねんじゅういちがつじゅうはちにち かり指定していしゃ」53ぺーじ
  5. ^ 官報かんぽうだい3258ごう叙任じょにん及辞れい」1894ねん5がつ12にち
  6. ^ 官報かんぽうだい4438ごう付録ふろく辞令じれい」1941ねん10がつ23にち

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん