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卜部うらべ喜太郎きたろう

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卜部うらべ喜太郎きたろう

卜部うらべ 喜太郎きたろう(うらべ きたろう[1]1868ねん11月25にち明治めいじ元年がんねん10月12にち[2]) - 1942ねん昭和しょうわ17ねん11月13にち[1])は、日本にっぽん弁護士べんごし[3][4][5]政治せいじ衆議院しゅうぎいん議員ぎいん立憲りっけん国民党こくみんとう[6]中央大学ちゅうおうだいがく理事りじ[7]東京とうきょう弁護士べんごしかい会長かいちょう東京とうきょう弁護士べんごしかいつね議員ぎいんかい議長ぎちょうなどを歴任れきにんぞくせき埼玉さいたまけん平民へいみん[4][8]

生涯しょうがい

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1868ねん明治めいじ元年がんねん)、埼玉さいたまけん児玉こだまぐん沼和田ぬまわだむらげん本庄ほんじょう沼和田ぬまわだ)にまれた。卜部うらべ喜平きへい長男ちょうなんで、先代せんだいキンの養子ようしである[7]おさなくして怜悧れいりであり、よくものさとった[9]児玉こだま中学校ちゅうがっこう卒業そつぎょうした[9]。18さいとき埼玉さいたまけん師範しはん学校がっこういて小学校しょうがっこう教員きょういん試験しけんおうじて及第きゅうだいし、埼玉さいたまけん小学校しょうがっこう訓導くんどうにんぜられ本庄ほんじょう小学校しょうがっこう在勤ざいきんした[9]

1887ねん明治めいじ20ねん)、家督かとく相続そうぞくした[7]1888ねん明治めいじ21ねん上京じょうきょうし、えい吉利よしとし(イギリス)法律ほうりつ学校がっこう英語えいごほう学科がっかげん中央大学ちゅうおうだいがく)に入学にゅうがくし、法学ほうがく研究けんきゅうした[9]1890ねん明治めいじ23ねん)7がつ優秀ゆうしゅう成績せいせき卒業そつぎょうした[9]学績がくせき優等ゆうとうのためしょうてんおよ褒状ほうじょうけた[9]。1890ねん明治めいじ23ねん)9がつ代言だいげんじん試験しけん対策たいさくして合格ごうかくした[9]

弁護人べんごにんとしての活動かつどう

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1893ねん明治めいじ26ねん)3がつより江木えぎとも東京とうきょう法学ほうがくいん発行はっこうする法学ほうがく新報しんぽう編集へんしゅう嘱託しょくたくけた[9]1895ねん明治めいじ28ねん)11がつ以来いらい奥田おくだ義人よしひと江木えぎ衷等ととも同院どういん発行はっこうにかかる行政ぎょうせい裁判所さいばんしょ判決はんけつろく編集へんしゅう従事じゅうじした[9]同志どうし江湖こうこ倶楽部くらぶ組織そしき江湖こうこしょうした[8]

弁護士べんごし業務ぎょうむ従事じゅうじした[6]喜太郎きたろう担当たんとうした名高なだか事件じけんとして、「足尾あしお鉱毒こうどく事件じけん」、「シーメンス事件じけん」がある。また、関東大震災かんとうだいしんさい混乱こんらんしょうじた本庄ほんじょう事件じけん裁判さいばんにおいて、主任しゅにん弁護士べんごしつとめたのも喜太郎きたろうであった。

政治せいじとしての活動かつどう

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1908ねん明治めいじ41ねん)5がつ埼玉さいたまけん郡部ぐんぶよりされて衆議院しゅうぎいん議員ぎいんげられた[8]又新またしんかい国民党こくみんとう所属しょぞくした[10]。しかし、身辺しんぺん事情じじょうにより、代議士だいぎし生活せいかつはこのいちにとどまった。

その経歴けいれき

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1920ねん大正たいしょう9ねん)、東京とうきょう弁護士べんごしかいつね議員ぎいんかい議長ぎちょう1921ねん大正たいしょう10ねん)、東京とうきょう弁護士べんごしかい会長かいちょう就任しゅうにんした[11]。また法律ほうりつ取調とりしらべ委員いいん任命にんめいされた。喜太郎きたろう東京とうきょう法曹界ほうそうかい代表だいひょうてき人物じんぶつとなった。

晩年ばんねん

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1934ねん昭和しょうわ9ねん)にかるまもるえんおかされ、入院にゅういんした喜太郎きたろうは、その病状びょうじょう悪化あっかし、8ねんの1942ねん昭和しょうわ17ねん)、大宮おおみや日赤にっせき病院びょういんで75さい生涯しょうがいじた。墓所はかしょ沼和田ぬまわだたからてら

人物じんぶつ

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ひととなりは豁達であり豪胆ごうたん、そうして非常ひじょう智略ちりゃくんだ[9]民権みんけん自由じゆう唱導しょうどうして官憲かんけん圧迫あっぱくくっしなかった[10]あつじょうふかいために上下じょうげ信望しんぼうがあった[10]埼玉さいたまけん在籍ざいせき[5]住所じゅうしょ埼玉さいたまけん児玉こだまぐんあさひむら東京とうきょう神田かんだ台所だいどころまち[5][7]

家族かぞく親族しんぞく

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卜部うらべ
  • ちち喜平きへい埼玉さいたま平民へいみん[7][8]
  • つまきち1877ねん - ?、埼玉さいたま内田うちださかえ五郎ごろういもうと[7]
  • 養子ようし
    • さだ1886ねん - ?、養子ようしひさのおっとちち喜平きへいよんなん埼玉さいたまけん児玉こだまぐんあさひ村長そんちょう[7]
    • ひさ1892ねん - ?、養子ようしさだつま[7]
    • せい1909ねん - ?、京都きょうとかめ定次郎さだじろう二女じじょ[7]
  • まご[7]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 議会ぎかい制度せいどななじゅうねん だい11』う77ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2021ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  2. ^ 衆議院しゅうぎいんだいじゅう五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院しゅうぎいん公報こうほう号外ごうがい〉、1908ねん、7ぺーじ
  3. ^ 改正かいせい日本にっぽん弁護士べんごし名簿めいぼ28ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2024ねん2がつ22にち閲覧えつらん
  4. ^ a b 衆議院しゅうぎいん要覧ようらん 明治めいじ41ねん12月訂正ていせい360ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2021ねん9がつ6にち閲覧えつらん
  5. ^ a b c 人事じんじ興信録こうしんろく だい9はんウ78ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2018ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  6. ^ a b 衆議院しゅうぎいん議員ぎいん略歴りゃくれき だい1かい乃至ないしだい19かい235ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2018ねん7がつ28にち閲覧えつらん
  7. ^ a b c d e f g h i j 人事じんじ興信録こうしんろく だい10はん じょうウ93ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2017ねん11月25にち閲覧えつらん
  8. ^ a b c d 人事じんじ興信録こうしんろく だい5はんう42ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2017ねん11月27にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c d e f g h i j 明治めいじ弁護士べんごし列伝れつでん 肖像しょうぞういれ83-84ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2017ねん11月25にち閲覧えつらん
  10. ^ a b c だいじゅう七回衆議院重要問題名士演説集2』75-83ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2017ねん11月26にち閲覧えつらん
  11. ^ 東京とうきょう弁護士べんごしかい719ぺーじ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタルコレクション)。2017ねん11月26にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 衆議院しゅうぎいん要覧ようらん 明治めいじ41ねん12月訂正ていせい衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1897 - 1909ねん
  • あずまめぐみじんへん明治めいじ弁護士べんごし列伝れつでん 肖像しょうぞういれしゅうひろししゃ、1898ねん
  • 真船まふね多吉たきちへん改正かいせい日本にっぽん弁護士べんごし名簿めいぼ日本にっぽん弁護士べんごし協会きょうかい、1908ねん
  • だいじゅう七回衆議院重要問題名士演説集2』帝国ていこく議会ぎかいよう編纂へんさんしょ、1911ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい5はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1918ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい9はん人事じんじ興信所こうしんじょ、1931ねん
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい10はん じょう人事じんじ興信所こうしんじょ、1934ねん
  • 東京とうきょう弁護士べんごしかい事務所じむしょへん東京とうきょう弁護士べんごしかい東京とうきょう弁護士べんごしかい事務所じむしょ、1935ねん
  • 衆議院しゅうぎいん事務じむきょくへん衆議院しゅうぎいん議員ぎいん略歴りゃくれき だい1かい乃至ないしだい19かい衆議院しゅうぎいん事務じむきょく、1936ねん
  • 衆議院しゅうぎいん参議院さんぎいんへん議会ぎかい制度せいどななじゅうねん だい11』大蔵省おおくらしょう印刷いんさつきょく、1962ねん
  • たけしゅう本庄ほんじょう宿やどふるさと人物じんぶつ1』。