(Translated by https://www.hiragana.jp/)
口戸磨崖仏 - Wikipedia コンテンツにスキップ

口戸くちど磨崖仏まがいぶつ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

口戸くちど磨崖仏まがいぶつ(くちどまがいぶつ)は、大分おおいたけん大分おおいた西南せいなん上地うえじにある磨崖仏まがいぶつである。七瀬ななせがわ沿った丘陵きゅうりょう中腹ちゅうふく位置いちする。「口戸くちど磨崖仏まがいぶつ すりがけ五輪ごりんそうとう」として、大分おおいたけん史跡しせき指定していされている[1]

概説がいせつ[編集へんしゅう]

凝灰岩ぎょうかいがんいた石窟せっくつうちに3たいぞうにした、大分おおいた県内けんないではめずらしい石窟せっくつ形式けいしき磨崖仏まがいぶつである[2]石窟せっくつは、3つのがん(がん)からなり、それぞれのがんに1たいずつのぞうきざまれている[3]石窟せっくつ全体ぜんたいおおきさは、あいだ口約こうやく9m、たかやく1.8m、奥行おくゆきやく1.4mである。

中央ちゅうおうがんひだりおくに、「小倉こくらさん」の文字もじたかさ1.7m、はば40cm、ふかやく12cmほどの薬研やげんりできざまれており、「小倉こくらさん」は宇佐うさ神宮じんぐうすことから、宇佐うさ神宮じんぐう神霊しんれい勧請かんじょうしたものとかんがえられている[3]

中央ちゅうおうがんには女神めがみぞうむかってみぎがんには僧形そうぎょうはん跏像、むかってひだり切妻きりづま屋根やねいただいたがんにはいちめんよんひじ女神めがみ立像りつぞうられている。ぞう損傷そんしょうがひどく判別はんべつ困難こんなんであるが、宇佐うさ神宮じんぐうとのかかわりから、仏像ぶつぞうした神像しんぞうであるといわれ、八幡はちまん三神みかみ中央ちゅうおううりしんみぎ応神天皇おうじんてんのうひだり神功じんぐう皇后こうごう)とするせつもある[3]鎌倉かまくら時代ときよ末期まっきから室町むろまち時代ときよさく推定すいていされている。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 県内けんないくにけん指定してい文化財ぶんかざい一覧いちらん 大分おおいたけん教育きょういく委員いいんかい
  2. ^ 口戸くちど磨崖仏まがいぶつ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん 大分おおいた観光かんこう協会きょうかい
  3. ^ a b c 口戸くちど磨崖仏まがいぶつ大分おおいた史跡しせき 大分おおいた歴史れきし文化ぶんか府内ふないいきづく魅惑みわく世界せかい~(岩田いわた高等こうとう学校がっこう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

座標ざひょう: 北緯ほくい3310ふん28.4びょう 東経とうけい13133ふん44.4びょう / 北緯ほくい33.174556 東経とうけい131.562333 / 33.174556; 131.562333