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名越なごやみさお

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

名越なごや みさお(なごや みさお、1929ねん昭和しょうわ4ねん)- 1986ねん昭和しょうわ61ねん6月14にち)は、日本にっぽん平和へいわ運動うんどうである[1][2]

経歴けいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

広島ひろしまけん広島ひろしままれる[2]広島ひろしま市立しりつ高等こうとう女学校じょがっこう現在げんざい広島ひろしま市立しりつ舟入ふないり高等こうとう学校がっこう)に在学ざいがくちゅう[1][2]広島ひろしまへの原子げんしばくだん投下とうかにより被爆ひばく[1][2]原爆げんばくしょうわずらった[1][2]卒業そつぎょう原爆げんばくしょうくるしみながらも[1][2]1948ねん昭和しょうわ28ねん)に国鉄こくてつ労働ろうどう組合くみあい加入かにゅう速記そっきけたことから書記しょき担当たんとうする[2]

その結婚けっこん子供こどもめぐまれたが[2]1964ねん昭和しょうわ39ねんごろ次男じなん体調たいちょうくず[2]よく1965ねん昭和しょうわ40ねん)に白血病はっけつびょう診断しんだんとされた[2]。その次男じなん1968ねん昭和しょうわ43ねん)に死去しきょするが[2]以降いこうもその人生じんせいえがいた書籍しょせき執筆しっぴつおこな[1][2]のち刊行かんこうされる[1][2]晩年ばんねん自身じしん被爆ひばくしゃとなったことがきっかけで入退院にゅうたいいんかえしながら[2]原子げんしばくだん水素すいそばくだんひとし核兵器かくへいき製作せいさくおよ使用しよう禁止きんしといった平和へいわ活動かつどうおこなった[2]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • のようにかれて』- 1964ねん昭和しょうわ39ねん刊行かんこう[1][2]自身じしん被爆ひばくした経緯けいい言及げんきゅうされている[1][2]
  • 『ぼくはきたかった』- 1968ねん昭和しょうわ43ねん刊行かんこう[1][2]おっととの人生じんせいえがかれている[2]
  • 『ヒロシマはは』- 1985ねん昭和しょうわ60ねん刊行かんこう[2]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g h i j 名越なごやみさお”. デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus(講談社こうだんしゃ株式会社かぶしきがいしゃDIGITALIO. 2023ねん2がつ14にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 名越なごや みさお”. 20世紀せいき日本人にっぽんじんめい事典じてん日外にちがいアソシエーツ)株式会社かぶしきがいしゃDIGITALIO. 2022ねん2がつ14にち閲覧えつらん