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よんしゃ大八だいはち

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

よんしゃ 大八だいはち(よつぐるま だいはち、1772ねん明和めいわ9ねん〉 - 1809ねん文化ぶんか6ねん4がつ3にち)は、江戸えど時代じだい力士りきしである。『ぐみ喧嘩けんか』の中心ちゅうしん人物じんぶつとしてられる[1]

人物じんぶつ

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出羽でわこくじゅうもくむらまち現在げんざい秋田あきたけん五城目ごじょうめまちまち)のまれ。本名ほんみょうえいぞう母親ははおやつく酒屋ざかや渡辺わたなべ彦兵衛ひこべえ商店しょうてん[2]はたらいており、えいくら母親ははおやれられてみせ出入でいりし、帳場ちょうばきそろばんをおそわることもあった[3]

旅人たびびと宿やどをしていた荒川あらかわむすめ婿むこになると[4]頑健がんけん体格たいかく巡業じゅんぎょうちゅう力士りきしにとまり、すすめられて江戸えど柏戸かしわどそう五郎ごろう (初代しょだい)弟子でしりした[3]四股しこめいを2代目だいめよんしゃだいはちとし[5]最高さいこう前頭まえがしら3まいまでのぼりつめた[3]。また大八だいはちは、講談こうだん芝居しばいかみ明恵あきえ和合わごう取組とりくみ』などの題材だいざいにもなった「ぐみ喧嘩けんか」で大立おおたまわりをえんじ、その中心ちゅうしんてき人物じんぶつ一人ひとりとしてもせた[1]

奥羽おうう地方ちほう巡業じゅんぎょうちゅう客死かくしした。死因しいん病死びょうしとも、けんかのさい鳶口とびぐちなぐられたきず悪化あっかしたためともされる[4]東京とうきょう江東こうとう北砂きたすなまちいんそくてら墓所はかしょがある[1]

よんしゃ大八だいはち』の四股しこめい以後いご伊勢いせ海部かいふにて由緒ゆいしょある名前なまえとしてがれ[6]、2008ねんには8代目だいめよんしゃ西にしじゅうりょう8まい昇進しょうしんした[7]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c 秋田魁新報社あきたさきがけしんぽうしゃ へん秋田あきた人名じんめいだい事典じてんISBN 978-4870202061
  2. ^ ぶくろく寿ことぶき酒造しゅぞう先年せんねんまで「よんしゃ」という銘柄めいがら日本酒にほんしゅと「大八だいはち」という銘柄めいがら焼酎しょうちゅうがあった。よんしゃだいはち化粧けしょうまわしも所蔵しょぞうしていたが大正たいしょう10ねん火事かじ焼失しょうしつした。
  3. ^ a b c 五城目ごじょうめまち教育きょういく委員いいんかいすばらしい先輩せんぱいたち だい2しゅう
  4. ^ a b 渡部わたなべ和夫かずお秋田あきた力士りきしたち』秋田魁新報社あきたさきがけしんぽうしゃ、1983、ISBN 4870200244
  5. ^ 初代しょだいよんしゃはおよそ20年間ねんかん幕内まくうち在位ざいいし、最高さいこう小結こむすび。2代目だいめおな出羽いずはこく出身しゅっしんであったために、2代目だいめよんしゃ四股しこめいがれたとされる(『秋田あきた力士りきしたち』)。
  6. ^ よんしゃ勝五郎かつごろう(文化ぶんか9ねんふゆはつ土俵どひょう最高さいこう前頭まえがしら1、栃木とちぎけん佐野さの出身しゅっしん)、よんしゃ(天保てんぽう6ねんはるじゅうりょう最高さいこうじゅうりょう4)、よんしゃ(明治めいじ18ねんなつじゅうりょう最高さいこうじゅうりょう1かく)、よんしゃ(大正たいしょう2ねんなつじゅうりょう最高さいこうじゅうりょう13)
  7. ^ goo大相撲おおずもう大相撲おおずもうコラムしゅう注目ちゅうもく幕下まくした力士りきし