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前頭まえがしら

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

前頭まえがしら(まえがしら)とは、大相撲おおずもう力士りきし地位ちいひとつ。幕内まくうち力士りきしのうち、横綱よこづなさんやく大関おおぜき関脇せきわけ小結こむすび)をのぞいた力士りきしをさす。やくについていない幕内まくうち力士りきしという意味いみで、平幕ひらまく(ひらまく)とばれることもある。

呼称こしょう由来ゆらい[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだいぜん相撲すもうの「あたま」が語源ごげんであるため、正確せいかくには「やく力士りきし」と「ぜん相撲すもう」の両極端りょうきょくたん位置いちする力士りきし以外いがいぜん力士りきし格付かくづけは前頭まえがしらである。したがって番付ばんづけひょうではじゅうりょう幕下まくしたさんだんじょだん序ノ口じょのくち力士りきしも「前頭まえがしら」の格付かくづけと四股しこめい記載きさいされる[注釈ちゅうしゃく 1]

したがって、たとえば平幕ひらまく筆頭ひっとう力士りきしは「幕内まくうち前頭まえがしら筆頭ひっとう」、幕下まくしたまいなら 「幕下まくした前頭まえがしらまい」のようにほうただしいが、はんけて、それぞれ「前頭まえがしら筆頭ひっとう」「幕下まくしたまい」のようにうことが一般いっぱんてきになっている。これらのことから、一般いっぱんてき用法ようほうとしては「前頭まえがしら平幕ひらまく力士りきし」で問題もんだいはない。ただし、さんやくから平幕ひらまくちることを「前頭まえがしらちる」とうことはあっても、じゅうりょう力士りきし入幕にゅうまくすることを「前頭まえがしらがる」とうことは慣例かんれいじょうない。この地位ちい相当そうとうする行司ぎょうじ呼出よびだしも、慣例かんれいじょう前頭まえがしらかく行司ぎょうじ前頭まえがしら呼出よびだし」「平幕ひらまくかく行司ぎょうじ平幕ひらまく呼出よびだし」ではなく、「幕内まくうちかく行司ぎょうじ幕内まくうち呼出よびだし」とぶ。以降いこう記述きじゅつではたんに「前頭まえがしら」といった場合ばあい、「狭義きょうぎ前頭まえがしら(=平幕ひらまく現在げんざい一般いっぱんてき意味いみでの前頭まえがしら)」をし、「広義こうぎ前頭まえがしら(=番付ばんづけひょうじょう前頭まえがしら本来ほんらい意味いみでの前頭まえがしら)」はふくまないこととする。

前頭まえがしらうえから前頭まえがしら筆頭ひっとういちまいとはばない[注釈ちゅうしゃく 2])、前頭まえがしらまい前頭まえがしらさんまい……とばれ、それぞれ東西とうざいいちにんずついる。

特徴とくちょう[編集へんしゅう]

待遇たいぐう

月給げっきゅう140まんえんであり[1]じゅうりょう(110まんえん)よりおおい。

幕内まくうち力士りきしとして、本場所ほんばしょでは15日間にちかん毎日まいにち取組とりくみまれる。

これよりさんやく」は千秋楽せんしゅうらく最後さいごの3ばん取組とりくみ原則げんそくとして番付ばんづけ上位じょうい6にん登場とうじょうするため、平幕ひらまく力士りきしが「これよりさんやく」に登場とうじょうする機会きかいすくないが、横綱よこづな大関おおぜき番付ばんづけじょう人数にんずう休場きゅうじょうしゃすう優勝ゆうしょうあらそいなどの状況じょうきょう都合つごう平幕ひらまく力士りきしが「これよりさんやく」に登場とうじょうする場合ばあいもあり、れいはいってからはそのようなれいおおかった。

定員ていいん

前頭まえがしらとしての定員ていいんさだめられていない。

幕内まくうち力士りきし全体ぜんたい定員ていいん現行げんこうでは42にん(2004ねん1がつ場所ばしょ以降いこう)とめられており、横綱よこづなさんやく人数にんずうのぞいた人数にんずうが、前頭まえがしらとなる。大関おおぜき(あるいは横綱よこづな大関おおぜき)・関脇せきわけ小結こむすび最低さいていでも2にんずつかねばならないため、現行げんこう制度せいどでは理論りろんじょう前頭まえがしら最大さいだいで36にん東西とうざい18まいずつ)在籍ざいせきできる計算けいさんになる。幕内まくうち定員ていいんが42にんとなる以前いぜんについては、前頭まえがしら最多さいた人数にんずうは1957ねん昭和しょうわ32ねん)の3がつ場所ばしょと9がつ場所ばしょの46にん東西とうざい23まいずつ)、戦後せんご最少さいしょう人数にんずうは1967ねん昭和しょうわ42ねん)の22にん東西とうざい11まいずつ)である。

現在げんざい定着ていちゃくしている番付ばんづけ編成へんせいのルールでは、ちょういずる以外いがい番付ばんづけ記載きさい力士りきしについて、前頭まえがしら偶数ぐうすう人数にんずう場合ばあい東西とうざい枚数まいすうおなじにし、奇数きすう人数にんずうとなる場合ばあいひがし西にしより1まいおおくする。1955ねん9がつ場所ばしょ前頭まえがしら41にんひがし20まい西にし21まいとしたのを最後さいご奇数きすう人数にんずう西にしを1まいおおくする編成へんせいおこなわれていない。

江戸えど時代じだいにまでさかのぼると、とく文政ぶんせい以前いぜん時代じだいについては、当時とうじどこまでを幕内まくうちんだかはかならずしも判然はんぜんとしない(だん以下いかもある程度ていど当時とうじでいう「幕内まくうち」にふくまれていた可能かのうせいがある)が、かり現在げんざい番付ばんづけ同様どうようさい上段じょうだん上段じょうだん)を幕内まくうちかんがえるならば(実際じっさい現代げんだいでは便宜上べんぎじょう文政ぶんせい以前いぜん番付ばんづけについてもさい上段じょうだん上段じょうだん)を「幕内まくうち」とする場合ばあいおおい)、幕内まくうち前頭まえがしら歴代れきだい最少さいしょう人数にんずうは6にん東西とうざい3まい)となる。

その

前頭まえがしら地位ちい横綱よこづなやぶることを金星かなぼし(きんぼし)といい、獲得かくとくするごとに給金きゅうきんがる。これにたい大関おおぜきやぶることをぎんぼし(ぎんぼし)、または殊勲しゅくんほし(しゅくんのほし)ということもあるが、これは給金きゅうきん影響えいきょうしない。ただし、金星かなぼし当然とうぜんことぎんぼし(もしくはさんやく力士りきし大関おおぜき横綱よこづなった場合ばあい)でも、NHK大相撲おおずもう中継ちゅうけいでは、取組とりくみにアナウンサーからのインタビューをける。

記録きろく[編集へんしゅう]

平幕ひらまく優勝ゆうしょうした力士りきし[編集へんしゅう]

慣例かんれいじょう前頭まえがしら優勝ゆうしょう」ではなく、「平幕ひらまく優勝ゆうしょう」と表現ひょうげんされる。

かい
場所ばしょ
地位ちい
四股しこめい
成績せいせき
よく場所ばしょ
最高さいこう
1 1909ねん明治めいじ42ねん)6がつ場所ばしょ 05-07/ひがし前頭まえがしら7 たかみやま/高見山たかみやま酉之助とりのすけ 07-03/7しょう3ふん 03-01/ひがし関脇せきわけ(1しょう6はい2ふん1きゅう[ちゅう 1] 03-01/関脇せきわけ
2 1914ねん大正たいしょう3ねん)5がつ場所ばしょ 05-14/ひがし前頭まえがしら14 りようこく/両國りょうこく勇治郎ゆうじろう[ちゅう 2] 09しょう1きゅう [ちゅう 1][2] 05-03/ひがし前頭まえがしら3(7しょう2はい1ふん 03-01/関脇せきわけ
3 1922ねん大正たいしょう11ねん)1がつ場所ばしょ 05-04/ひがし前頭まえがしら4 つるかはま/つるはま増太郎ますたろう 09しょう1はい 05-01/西前にしまえあたま1(4しょう6はい 04-01/小結こむすび
4 1926ねん大正たいしょう15ねん)5がつ場所ばしょ 05-08/西前にしまえあたま8 おろちやま/大蛇おおじゃさん酉之助とりのすけ 10しょう1はい 05-02/ひがし前頭まえがしら2(6しょう5はい 05-01/前頭まえがしら1
5 1930ねん昭和しょうわ5ねん)5がつ場所ばしょ 05-05/ひがし前頭まえがしら5 やまにしき/やまにしき善治郎ぜんじろう 11せん全勝ぜんしょう[3] 05-05/ひがし前頭まえがしら5 [ちゅう 3] (5しょう6はい 03-01/関脇せきわけ
6 1931ねん昭和しょうわ6ねん)10がつ場所ばしょ 05-04/ひがし前頭まえがしら4 あやさくら/あやさくら由太郎よしたろう
(のち綾川あやかわ五郎ごろう
10しょう1はい 04-01/西にし小結こむすび [ちゅう 4]
春秋しゅんじゅうえん事件じけん脱走だっそう
03-01/関脇せきわけ
7 1933ねん昭和しょうわ8ねん)1がつ場所ばしょ 05-03/幕内まくうち格別かくべつせき
[ちゅう 5]
みなのかわ/男女だんじょかわ
(のち男女だんじょ川登かわのぼりさん
11せん全勝ぜんしょう 04-01/西にし小結こむすび(8しょう3はい 01/横綱よこづな
8 1939ねん昭和しょうわ14ねん)1がつ場所ばしょ 05-14/西前にしまえあたま17 てわみなと/出羽でわみなと利吉としきち 13せん全勝ぜんしょう 04-01/西にし小結こむすび(5しょう10はい 03-01/関脇せきわけ
9 1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ場所ばしょ 05-01/ひがし前頭まえがしら1 ひしゆうやま/備州山大やまだい八郎はちろう 07-01/7せん全勝ぜんしょう 03-01/ひがし関脇せきわけ(5しょう5はい 03-01/関脇せきわけ
10 1953ねん昭和しょうわ28ねん)5がつ場所ばしょ 05-06/ひがし前頭まえがしら6 ときつやま/時津とぎつさん仁一ひとかず 15せん全勝ぜんしょう[4] 04-01/ひがし小結こむすび(8しょう7はい 03-01/関脇せきわけ
11 1957ねん昭和しょうわ32ねん)11月場所ばしょ 05-14/ひがし前頭まえがしら14 たまのうみ/玉乃たまのうみ太三郎たさぶろう 15せん全勝ぜんしょう 04-01/ひがし小結こむすび(5しょう10はい 03-01/関脇せきわけ
12 1960ねん昭和しょうわ35ねん)5がつ場所ばしょ 05-04/ひがし前頭まえがしら4 わかみすき/わかさんすぎ彰晃しょうこう
(のちだいごうひさあきら
14しょう1はい 03-02/ひがしちょういずる関脇せきわけ(7しょう8はい 03-01/関脇せきわけ
13 1961ねん昭和しょうわ36ねん)5がつ場所ばしょ 05-13/西前にしまえあたま13 さたのやま/佐田さだやますすむまつ 12しょう3はい 05-02/ひがし前頭まえがしら2(11しょう4はい 01/横綱よこづな
14 1964ねん昭和しょうわ39ねん)7がつ場所ばしょ 05-09/西前にしまえあたま9 ふしにしき/富士ふじにしきもうひかり 14しょう1はい 04-01/ひがし小結こむすび(4しょう11はい 04-01/小結こむすび
15 1968ねん昭和しょうわ43ねん)3がつ場所ばしょ 05-08/ひがし前頭まえがしら8 わかなみ/若浪わかのなみじゅん 13しょう2はい 04-01/ひがし小結こむすび(2しょう13はい 04-01/小結こむすび
16 1972ねん昭和しょうわ47ねん)1がつ場所ばしょ 05-05/西前にしまえあたま5 とちあすま/とちひがしよりゆき 11しょう4はい 04-01/ひがし小結こむすび(3しょう9はい3きゅう 03-01/関脇せきわけ
17 1972ねん昭和しょうわ47ねん)7がつ場所ばしょ 05-04/ひがし前頭まえがしら4 たかみやま/高見山たかみやまだい五郎ごろう 13しょう2はい 03-02/西にしちょういずる関脇せきわけ(5しょう10はい 03-01/関脇せきわけ
18 1975ねん昭和しょうわ50ねん)7がつ場所ばしょ 05-01/ひがし前頭まえがしら1 こんこう/金剛こんごう正裕まさひろ 13しょう2はい 03-01/ひがし関脇せきわけ(6しょう9はい 03-01/関脇せきわけ
19 1976ねん昭和しょうわ51ねん)9がつ場所ばしょ 05-04/西前にしまえあたま4 かいけつ/さきがけすぐるはたあきら [ちゅう 7][ちゅう 8] 14しょう1はい 03-01/西にし関脇せきわけ(11しょう4はい 02/大関おおぜき
20 1984ねん昭和しょうわ59ねん)9がつ場所ばしょ 05-12/西前にしまえあたま12 たかりゆう/多賀たがりゅう昇司しょうじ 13しょう2はい 04-01/西にし小結こむすび(6しょう9はい 03-01/関脇せきわけ
21 1991ねん平成へいせい3ねん)7がつ場所ばしょ 05-13/ひがし前頭まえがしら13 ことふし/琴富士ことふじ孝也たかや 14しょう1はい 04-02/ひがしちょういずる小結こむすび(4しょう11はい 03-01/関脇せきわけ
22 1991ねん平成へいせい3ねん)9がつ場所ばしょ 05-05/ひがし前頭まえがしら5 ことにしき/琴錦ことにしきいさおむね 13しょう2はい 04-01/西にし小結こむすび(12しょう3はい 03-01/関脇せきわけ
23 1992ねん平成へいせい4ねん)1がつ場所ばしょ 05-02/ひがし前頭まえがしら2 たかはなた/花田はなた光司こうじ
(のち貴乃花たかのはな光司こうじ
14しょう1はい 03-01/西にし関脇せきわけ(5しょう10はい 01/横綱よこづな
24 1992ねん平成へいせい4ねん)7がつ場所ばしょ 05-01/西前にしまえあたま1 みといすみ/水戸みといずみ政人まさと 13しょう2はい 03-02/西にしちょういずる関脇せきわけ(8しょう7はい 03-01/関脇せきわけ
25 1998ねん平成へいせい10ねん)11月場所ばしょ 05-12/西前にしまえあたま12 ことにしき/琴錦ことにしきいさおむね [ちゅう 8] 14しょう1はい 04-02/ひがし小結こむすび2まい(6しょう9はい 03-01/関脇せきわけ
26 2000ねん平成へいせい12ねん)3がつ場所ばしょ 05-14/ひがし前頭まえがしら14 たかとうりき/貴闘力たかとうりきただししげる 13しょう2はい 04-02/西にし小結こむすび2まい(2しょう13はい 03-01/関脇せきわけ
27 2001ねん平成へいせい13ねん)9がつ場所ばしょ 05-02/ひがし前頭まえがしら2 ことみつき/きん光喜みつよし啓司けいじ 13しょう2はい 03-01/西にし関脇せきわけ(9しょう6はい 02/大関おおぜき
28 2012ねん平成へいせい24ねん)5がつ場所ばしょ 05-07/西前にしまえあたま7 きよくてんほう/旭天鵬きょくてんほうかち 12しょう3はい 05-01/ひがし前頭まえがしら1(2しょう13はい 03-01/関脇せきわけ
29 2018ねん平成へいせい30ねん)1がつ場所ばしょ 05-03/西前にしまえあたま3 とちのしん/とちこころ剛史たけし 14しょう1はい 03-01/西にし関脇せきわけ(10しょう5はい 大関おおぜき
30 2019ねんれい元年がんねん) 5がつ場所ばしょ 05-08/西前にしまえあたま8 あさのやま/あさ乃山英樹ひでき
(のちあさ乃山こうあきら
12しょう3はい 05-01/ひがし前頭まえがしら1(7しょう8はい 大関おおぜき
31 2020ねんれい2ねん) 1がつ場所ばしょ 05-17/西前にしまえあたま17 とくしようりゅう/とくかちりゅうまこと 14しょう1はい 05-02/西前にしまえあたま2(4しょう11はい 前頭まえがしら2
32 2020ねんれい2ねん) 7がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら17 あきら富士ふじ春雄はるお[ちゅう 7][ちゅう 8] 13しょう2はい ひがし前頭まえがしら1(8しょう5はい2きゅう 横綱よこづな
33 2021ねんれい3ねん)1がつ場所ばしょ 西前にしまえあたま1 大栄おおえしょう勇人はやと 13しょう2はい 西にし小結こむすび2まい(8しょう7はい 関脇せきわけ
34 2022ねんれい4ねん)7がつ場所ばしょ 西前にしまえあたま2 いっじょう駿しゅん 12しょう3はい 西にし小結こむすび(6しょう9はい 関脇せきわけ
35 2022ねんれい4ねん)9がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら3 たまわしいちろう[ちゅう 8] 13しょう2はい ひがし小結こむすび(6しょう9はい 関脇せきわけ
36 2022ねんれい4ねん)11月場所ばしょ 西前にしまえあたま9 おもねほのおせいとら 12しょう3はい
(○景勝けいしょう
(○髙安
ひがし前頭まえがしら3(8しょう7はい 関脇せきわけ
37 2024ねんれい6ねん)3がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら17 みこと富士ふじわたる輝也てるや[ちゅう 2] 13しょう2はい ひがし前頭まえがしら6(全休ぜんきゅう 前頭まえがしら6☆
  • デフォルトでは時代じだいじゅん配列はいれつ場所ばしょらんのソートボタンでもと順序じゅんじょもどる。
  • 四股しこめい優勝ゆうしょう当時とうじ四股しこめい
  • しるしは2024ねん現時点げんじてん現役げんえき力士りきし
  • 四股しこめいらんは50おとじゅんソート。地位ちいよく場所ばしょ最高さいこうの3らん東西とうざい考慮こうりょせず番付ばんづけじゅんソート。
  • 小結こむすび2まい」のようにある表記ひょうきは、ちょういずるではなくわくないされたもの。
  • 以下いか注釈ちゅうしゃく
  1. ^ a b 相手あいて力士りきし休場きゅうじょう
  2. ^ a b しん入幕にゅうまく優勝ゆうしょう
  3. ^ この時代じだいは2場所ばしょ通算つうさん番付ばんづけ編成へんせいしており、やまにしきつぎ番付ばんづけ発表はっぴょうの1931ねん1がつ場所ばしょ西にし筆頭ひっとう
  4. ^ あやさくら由太郎よしたろう帰参きさん場所ばしょ1933ねん昭和しょうわ8ねん)1がつ場所ばしょ成績せいせき幕内まくうち格別かくべつせきで5しょう6はい
  5. ^ 男女だんじょかわ新興しんこう力士りきしだんからこの場所ばしょ帰参きさん脱走だっそうまえ番付ばんづけではひがし前頭まえがしら3まい。この場所ばしょ番付ばんづけにはあさしおきょう次郎じろうとあった。
  6. ^ 1945ねん昭和しょうわ20ねん)6がつ場所ばしょ戦災せんさいけたきゅう両国りょうこく国技こくぎかんで“晴天せいてん”7日間にちかん非公開ひこうかい実施じっし
  7. ^ a b さきがけすぐるあきら富士ふじ大関おおぜきから陥落かんらく
  8. ^ a b c d 1976ねん昭和しょうわ51ねん)9がつ場所ばしょさきがけすぐるはたあきら、1998ねん平成へいせい10ねん)11月場所ばしょ琴錦ことにしきいさおむね、2020ねんれい2ねん)7がつ場所ばしょあきら富士ふじ、2022ねんれい4ねん)9がつ場所ばしょたまわしのぞいて、全員ぜんいんはつ優勝ゆうしょう
  • 佐田さだやま横綱よこづな昇進しょうしんするまでは「平幕ひらまく優勝ゆうしょう力士りきし大成たいせいしない」というジンクスがあったという[5]。なお、平幕ひらまく優勝ゆうしょう達成たっせいし、最終さいしゅうてき横綱よこづな昇進しょうしん達成たっせいしたのは2024ねん3がつ場所ばしょ時点じてん男女だんじょかわ佐田さだやま貴花田たかはなだ貴乃花たかのはな)・あきら富士ふじの4にんである。
  • 2000ねん3がつ場所ばしょ貴闘力たかとうりきただししげると2020ねん1がつ場所ばしょとくかちりゅうまこと同年どうねん7がつ場所ばしょあきら富士ふじ春雄はるお、2023ねん3がつ場所ばしょとうと富士ふじわたる輝也てるやまくしり幕内まくうち最下位さいかい)での優勝ゆうしょう。ただし2000ねん3がつ場所ばしょ西にし14まいが、2020ねん7がつ場所ばしょ西にし17まい存在そんざいしたため、貴闘力たかとうりきあきら富士ふじ厳密げんみつ意味いみでの幕内まくうち最下位さいかいではない。
  • しん入幕にゅうまくでの平幕ひらまく優勝ゆうしょうは1914ねん5がつ場所ばしょ両國りょうこく勇治郎ゆうじろうと2024ねん3がつ場所ばしょとうと富士ふじわたる輝也てるやの2めいみこと富士ふじしんじゅうりょう優勝ゆうしょうしてからさらしん入幕にゅうまくとなった場所ばしょでの優勝ゆうしょうであり、これは史上しじょう唯一ゆいいつ
  • さい入幕にゅうまくでの平幕ひらまく優勝ゆうしょうは2020ねん1がつ場所ばしょとくかちりゅうまこと同年どうねん7がつ場所ばしょあきら富士ふじ春雄はるおの2めい
  • 関取せきとりの1場所ばしょ15にちせい定着ていちゃく以降いこう平幕ひらまくでの全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうは1953ねん5がつ場所ばしょとき津山つやま仁一ひとかずひがし前頭まえがしら6まい)と1957ねん11月場所ばしょ玉乃たまのうみ太三郎たさぶろうひがし前頭まえがしら14まい)の2めい。(ただし、両人りょうにんとも横綱よこづな大関おおぜきとの対戦たいせんはなかった[注釈ちゅうしゃく 3]
  • しん入幕にゅうまくでの全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうは2024ねん3がつ場所ばしょ現在げんざいまで実例じつれいがない。
    • ただし、1914ねん5がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく優勝ゆうしょうした両國りょうこくの「1きゅう」は相手あいて力士りきし休場きゅうじょうともなって自身じしん休場きゅうじょうあつかいになったものであり、不戦勝ふせんしょう制度せいどされた現在げんざいであれば「10せん全勝ぜんしょう」であり、実質じっしつてきしん入幕にゅうまく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょうした唯一ゆいいつ実例じつれいといえる。また、関取せきとりの1場所ばしょ15にちせい定着ていちゃく以降いこうかぎれば2024ねん3がつ場所ばしょ現在げんざいまで完全かんぜん実例じつれいい。
  • 平成へいせい時代じだい末期まっき以降いこう平幕ひらまく優勝ゆうしょう急増きゅうぞうしている。優勝ゆうしょう制度せいどもうけられた1909ねんから2024ねんまでの115年間ねんかんで37かい平幕ひらまく優勝ゆうしょうやく3ねんに1)が記録きろくされているが、そのうちの8かいれい時代じだい記録きろくされており、1ねんふくすうかいのペースで記録きろくされている。とくに2022ねんは7がつ場所ばしょから11月場所ばしょまで3場所ばしょ連続れんぞく平幕ひらまく優勝ゆうしょうとなった。

通算つうさん前頭まえがしら在位ざいい[編集へんしゅう]

(2024ねん3がつ場所ばしょ現在げんざい

順位じゅんい 前頭まえがしら在位ざいい 四股しこめい
1 87場所ばしょ 旭天鵬きょくてんほうかち
2 83場所ばしょ ごうふうあさひ
3 82場所ばしょ 安美やすみにしきりゅう
4 81場所ばしょ きんわかはれすすむ
5 80場所ばしょ 寺尾てらおつね
6 73場所ばしょ とち乃洋泰一やすいち
7 71場所ばしょ よしみ風雅ふうがままし
8 70場所ばしょ 高見山たかみやまだい五郎ごろう
9 69場所ばしょ 隆三りゅうぞうすぎ太一たいち
10 68場所ばしょ 水戸みといずみ政人まさと

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 幕下まくした以下いか力士りきし場合ばあい簡素かんそのため、すうめいないしすうじゅうめいごとに横長よこながの「どう」のかんされる。現在げんざい番付ばんづけでは、幕下まくしたで「どう」8さんだん簡略かんりゃくされた「どう」8じょだん簡略かんりゃくされた「どう」6序ノ口じょのくち簡略かんりゃくされた「どう1個いっこないし2となっている。
  2. ^ 略称りゃくしょうなどで「前頭まえがしら1」「ぜん1」といった表記ひょうきおおもちいられている。
  3. ^ すくなくとも1969ねん7がつ場所ばしょ優勝ゆうしょう同点どうてんとなった藤ノ川ふじのかわ武雄たけおひがし前頭まえがしら5まい)のころまでは、幕内まくうち中位ちゅうい以下いか力士りきしがたとえだいちして優勝ゆうしょうあらそいにからんだ場合ばあいでも横綱よこづな大関おおぜきわりまれることはなかった。玉乃たまのうみ太三郎たさぶろう以降いこう平幕ひらまく優勝ゆうしょうしゃでも佐田さだやますすむまつ富士ふじにしきもうひかり若浪わかのなみじゅん横綱よこづな大関おおぜきとの対戦たいせんなしで優勝ゆうしょうした。1969ねん3がつ場所ばしょで12にちに1はい龍虎りゅうこぜいとも西前にしまえあたま9まい)がこの時点じてんで1はいどうしの大関おおぜききんさくらすぐるしょうと12にち対戦たいせん龍虎りゅうこち)して以降いこうだいちした幕内まくうち中位ちゅうい以下いか力士りきし横綱よこづな大関おおぜきとのわりまれるようになった。なお、このときの龍虎りゅうこは13にち小結こむすび藤ノ川ふじのかわやぶれ2はいきんさくらならび、14にちには関脇せきわけ清国きよくにったが千秋楽せんしゅうらく関脇せきわけ長谷川はせがわやぶれ3はいとなり、2はいまもったきんさくらかれて優勝ゆうしょうにはとどかなかった。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 力士りきし給与きゅうよ18ねんぶり増額ぞうがく 横綱よこづな月額げつがく300まんえん毎日新聞まいにちしんぶん
  2. ^ 当時とうじ不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱい制度せいどいため、相手あいてやすめば自分じぶん休場きゅうじょうあつかいだったが、現在げんざい制度せいどであれば不戦勝ふせんしょうにより10せん全勝ぜんしょうとなるため、実質じっしつてき史上しじょう唯一ゆいいつしん入幕にゅうまく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう
  3. ^ 優勝ゆうしょう制度せいど導入どうにゅう以降いこう史上しじょうはつ完全かんぜん平幕ひらまく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう
  4. ^ 1場所ばしょ15にちせい定着ていちゃく以降いこうはつ平幕ひらまく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう
  5. ^ 相撲すもうのジンクス 平幕ひらまく優勝ゆうしょう力士りきし大関おおぜきなし、ほか エキサイトニュース 2016ねん11月23にち 0700ふん (2016ねん11月23にち 0733ふん 更新こうしん)[リンク]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]