よしうみ義久よしひさ

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よしうみ 義久よしひさ
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい 﨑 → よしうみ
本名ほんみょう しんこころざし
愛称あいしょう チュラ
生年月日せいねんがっぴ (1993-05-06) 1993ねん5月6にち(31さい
出身しゅっしん 沖縄おきなわけんうるま
身長しんちょう 177.0cm
体重たいじゅう 137.0kg
BMI 43.7
所属しょぞく部屋へや 木瀬きせ部屋へや
得意とくいわざ
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 西前にしまえあたま13まい
最高さいこう ひがし前頭まえがしら13まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 277しょう259はい1きゅう(48場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 23しょう22はい(3場所ばしょ
優勝ゆうしょう 幕下まくした優勝ゆうしょう1かい
さんだん優勝ゆうしょう1かい
じょだん優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 2016ねん3がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 2023ねん11月場所ばしょ
趣味しゅみ り、映画えいが散歩さんぽ[1]さけ[2]
備考びこう
2024ねん4がつ30にち現在げんざい

よしうみ 義久よしひさ(ちゅらのうみ よしひさ、1993ねん5月6にち - )は、沖縄おきなわけんうるま出身しゅっしんで、木瀬きせ部屋へや所属しょぞく現役げんえき大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょうしんこころざし(きざき しんじ)。身長しんちょうは177.0cm、体重たいじゅうは137.0kg、血液けつえきがたはBがた[3]最高さいこうひがし前頭まえがしら13まい2024ねん1がつ場所ばしょ)。おとうとおな木瀬きせ部屋へや所属しょぞくしていたもとじゅうりょう﨑海[4]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

アマチュア時代じだい[編集へんしゅう]

1993ねん沖縄おきなわけんに、5にんあねおとうと三男さんなんとしてまれる。長兄ちょうけい大輔だいすけ鳥取とっとり城北しろきた高校こうこう日本にっぽん大学だいがく活躍かつやくし、現在げんざい九州電力きゅうしゅうでんりょく相撲すもうふく主将しゅしょう次兄じけいは6さい病死びょうししている[5]沖縄おきなわ市立しりつ美里みさと小学校しょうがっこう1ねんから相撲すもうはじ[1]叔父おじ監督かんとくつとめていた沖縄おきなわ県立けんりつ中部ちゅうぶ農林のうりん高等こうとう学校がっこうかよって高校生こうこうせい稽古けいこをしていた。沖縄おきなわ市立しりつ美里みさと小学校しょうがっこう5年生ねんせいとき、スポーツで文化ぶんか振興しんこう発展はってん貢献こうけんしたとして沖縄おきなわ教育きょういく委員いいんかいから表彰ひょうしょうされた。うるま市立しりつ具志川ぐしかわ中学校ちゅうがっこう在学ざいがくちゅうは2ねんつぎ全国ぜんこく中学校ちゅうがっこう相撲すもう選手権せんしゅけん大会たいかいでベスト16りしている[1]当時とうじ中部ちゅうぶ農林のうりん高校こうこう稽古けいこんでいたため、そのまま同校どうこう進学しんがくする予定よていであったが、鳥取とっとり城北しろきた高等こうとう学校がっこう合宿がっしゅく参加さんかしたさいに、きびしい稽古けいこたりにしたことでかんがえをえることになった[6]中学ちゅうがく3ねんからは、おとうと伸之のぶゆきすけ中学校ちゅうがっこう進学しんがくわせて鳥取とっとり市立しりつ西中にしなか学校がっこう転校てんこうし、中学ちゅうがく卒業そつぎょう鳥取とっとり城北しろきた高校こうこう進学しんがくした。高校こうこう同期どうきには、のち大相撲おおずもうりするいっしろ本名ほんみょう:アルタンホヤグ・イチンノロブ、みなと部屋へや)がいる[7]高校こうこう時代じだいは3ねんつぎ国体こくたい団体だんたい優勝ゆうしょう個人こじんせん決勝けっしょういっしろ鳥取とっとり城北しろきた対決たいけつせいして優勝ゆうしょうするなどの実績じっせきのこし、卒業そつぎょう日本にっぽん大学だいがく経済学部けいざいがくぶ経済けいざい学科がっか進学しんがくした。4ねんには主将しゅしょうつとめて[8]全国ぜんこく学生がくせい相撲すもう選手権せんしゅけん大会たいかい団体だんたい優勝ゆうしょうなとの実績じっせきのこした。個人こじんタイトルは4かんだが、全国ぜんこく学生がくせい選手権せんしゅけん個人こじん3全日本ぜんにほん相撲すもう選手権せんしゅけん大会たいかいは16きょうまりだったため、当時とうじ規定きていでは幕下まくしたさんだんづけ資格しかくることはできなかった[9]

大相撲おおずもう入門にゅうもん[編集へんしゅう]

大学だいがく卒業そつぎょう進路しんろについては、就職しゅうしょく活動かつどうをしたこともあったが、日大にちだい出身しゅっしん木瀬きせ親方おやかたもと幕内まくうち肥後ひごうみ)の勧誘かんゆうけて[6]木瀬きせ部屋へや入門にゅうもんし、2016ねん3がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。入門にゅうもん同期生どうきせいにはあさ乃山豊山とよやま平戸ひらどかいらがいる。ぜん相撲すもうは2しょう1はい一番いちばん出世しゅっせはじめて番付ばんづけ名前なまえった同年どうねん5がつ場所ばしょは、序ノ口じょのくちで6しょう1はいよく7がつ場所ばしょじょだんで7せん全勝ぜんしょうとし、池川いけがわとの優勝ゆうしょう決定けっていせんせいして自身じしんはじめてのかくだん優勝ゆうしょうとなるじょだん優勝ゆうしょうめた[10]つづく9がつ場所ばしょさんだんで7せん全勝ぜんしょうとし、全勝ぜんしょうしゃがなかったためそのままさんだん優勝ゆうしょうまった。同年どうねん11がつ場所ばしょ幕下まくした昇進しょうしんして以降いこうしをつづけて、2017ねん9月場所ばしょでは西にし幕下まくした3まいまで番付ばんづけげたが、7にち(4ばん相撲すもう)のきた磻磨との取組とりくみはじめてじゅうりょう力士りきしとの対戦たいせんのぞみ、たた勝利しょうりしたものの、その3連敗れんぱい入門にゅうもん以来いらいはつしとなった。よく11がつ場所ばしょしたが、2018ねん1がつ場所ばしょからは3場所ばしょ連続れんぞくし、5月場所ばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎで、よく7がつ場所ばしょでのしんじゅうりょう昇進しょうしん決定けっていした。昇進しょうしんわせて、四股しこめいを「よしうみ義久よしひさ」に改名かいめいした。「木崎きざき」が沖縄おきなわ名字みょうじではないため、沖縄おきなわひと素直すなお応援おうえんしてもらえるように、沖縄おきなわけん方言ほうげんで「きれい」を意味いみする「よし」をれ、「義久よしひさ」は、相撲すもうはじめるきっかけとなったくなった祖父そふ名前なまえもちいた。沖縄おきなわけん出身しゅっしん力士りきしとしては2002ねん11月場所ばしょしんじゅうりょう昇格しょうかくした琉鵬正吉まさきち以来いらい15ねん8かげつぶり、戦後せんご5にんしんじゅうりょう[11][12]しんじゅうりょうとなった7がつ場所ばしょ序盤じょばんからけがみ、5しょう10はいがえされた。そのよく9がつ場所ばしょから2019ねん3がつ場所ばしょまでの4場所ばしょ幕下まくしたらしをて5がつ場所ばしょじゅうりょう復帰ふっき復帰ふっきめた3がつ場所ばしょには自身じしんはつとなる幕下まくした優勝ゆうしょうたしている。5月場所ばしょは5しょう10はいじゅうりょうかべはばまれ、7がつ場所ばしょ西にし幕下まくした3まいで3しょう4はいとさらに番付ばんづけげた。9月場所ばしょひがし幕下まくした6まい地位ちいで5しょう2はい。この場所ばしょかぎりで引退いんたいした日大にちだい先輩せんぱい大喜だいぎおおとり花道かどうかざりたい一心いっしん相撲すもうっていたという[13]番付ばんづけうん次第しだいでは場所ばしょ十両じゅうりょう復帰ふっきたが、11月場所ばしょひがし幕下まくした筆頭ひっとう。その11月場所ばしょは5ばん相撲すもうやぶれて2しょう3はいくなったが、のこりを2しょうして4しょう3はい日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい内規ないきによりひがし幕下まくした筆頭ひっとうでのしは無条件むじょうけんじゅうりょう昇進しょうしんとなるため、これにより2020ねん1がつ場所ばしょでの十両じゅうりょう復帰ふっき決定けってい。1月場所ばしょ中盤ちゅうばんの5連敗れんぱいもあって一時いちじは3しょう6はいくるしんだが、そこからなおして千秋楽せんしゅうらく自身じしんはつとなる十両じゅうりょうでのしをめた。よく3がつ場所ばしょ番付ばんづけうんめぐまれて一気いっきに5まい上昇じょうしょう西にしじゅうりょう7まいとなったが、中盤ちゅうばん以降いこうけがんで6しょう9はいした。

そのしをつづけ、2021ねん1がつ場所ばしょしん入幕にゅうまくえる西にしじゅうりょう3まいむかえた。この場所ばしょは11にちまでに7しょうげるもそこから連敗れんぱい。さらに13にち源治げんじせんで、からられて土俵どひょうがい落下らっか脳震盪のうしんとうのため、よく14にちから休場きゅうじょうとなった[14]。この脳震盪のうしんとう影響えいきょうもあってか、よく3がつ場所ばしょ、5月場所ばしょと2場所ばしょつづけて2けたしをきっし、7がつ場所ばしょでは幕下まくしたからの出直でなおしを余儀よぎなくされた。西にし幕下まくした3まいのぞんだ7がつ場所ばしょ西にし幕下まくした3まいで5しょう2はいし、場所ばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎにより1場所ばしょでの十両じゅうりょう復帰ふっき決定けっていした[15]

2022ねん5がつ場所ばしょ中日ちゅうにちである同年どうねん同月どうげつ15にち沖縄おきなわけん本土ほんど復帰ふっき50周年しゅうねん記念きねんであった。よしうみはこれについておりからのウクライナ侵攻しんこうつづ世界せかい情勢じょうせいうれいながら「ぼくらはうえ世代せだいからいできたはなししからないけど、平和へいわについてかんがえる機会きかい」とかたり「もっとつよくなってれる機会きかいえれば、沖縄おきなわのことをかんがえるきっかけをあたえられる」と奮闘ふんとうちかった[16]

2023ねん11月場所ばしょしん入幕にゅうまくしん入幕にゅうまく会見かいけんでは「すごくうれしい気持きもち。沖縄おきなわひとたちもおおてくれる九州きゅうしゅう場所ばしょめられたことがおおきい」とよろこんだ[17]。この場所ばしょは4にんしん入幕にゅうまくなか唯一ゆいいつし、9しょう6はいだった(の3にんして1場所ばしょ陥落かんらく)。

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

2024ねん3がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい

通算つうさん成績せいせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:277しょう259はい1きゅう(48場所ばしょ
  • 幕内まくうち成績せいせき:23しょう22はい(3場所ばしょ

かくだん優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

  • 幕下まくした優勝ゆうしょう:1かい(2019ねん3がつ場所ばしょ
  • さんだん優勝ゆうしょう:1かい(2016ねん9がつ場所ばしょ
  • じょだん優勝ゆうしょう:1かい(2016ねん7がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

よしうみ 義久よしひさ
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2016ねん
平成へいせい28ねん
x ぜん相撲すもう 西にし序ノ口じょのくち15まい
6–1 
ひがしじょだん38まい
優勝ゆうしょう
7–0
西にしさんだん39まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがし幕下まくした26まい
4–3 
2017ねん
平成へいせい29ねん
ひがし幕下まくした21まい
5–2 
西にし幕下まくした13まい
4–3 
ひがし幕下まくした9まい
4–3 
ひがし幕下まくした7まい
5–2 
西にし幕下まくした3まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
3–4 
2018ねん
平成へいせい30ねん
ひがし幕下まくした11まい
4–3 
ひがし幕下まくした7まい
4–3 
ひがし幕下まくした4まい
4–3 
西にしじゅうりょう14まい
5–10 
西にし幕下まくした2まい
3–4 
西にし幕下まくした5まい
3–4 
2019ねん
平成へいせい31ねん
/れい元年がんねん
ひがし幕下まくした9まい
4–3 
ひがし幕下まくした5まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがしじゅうりょう14まい
5–10 
西にし幕下まくした3まい
3–4 
ひがし幕下まくした6まい
5–2 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
4–3 
2020ねん
れい2ねん
西にしじゅうりょう12まい
8–7 
西にしじゅうりょう7まい
6–9 
感染かんせんしょう拡大かくだい
により中止ちゅうし
西にしじゅうりょう9まい
8–7 
ひがしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
8–7 
2021ねん
れい3ねん
西にしじゅうりょう3まい
7–7–1[18] 
ひがしじゅうりょう5まい
5–10 
西にしじゅうりょう9まい
3–12 
西にし幕下まくした3まい
5–2 
ひがしじゅうりょう14まい
9–6 
西にしじゅうりょう8まい
7–8 
2022ねん
れい4ねん
西にしじゅうりょう9まい
6–9 
西にしじゅうりょう10まい
5–10 
西にしじゅうりょう14まい
9–6 
西にしじゅうりょう9まい
9–6 
西にしじゅうりょう6まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
4–11 
2023ねん
れい5ねん
ひがしじゅうりょう6まい
4–11 
西にしじゅうりょう10まい
9–6 
西にしじゅうりょう7まい
7–8 
西にしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう5まい
10–5 
西前にしまえあたま15まい
9–6 
2024ねん
れい6ねん
ひがし前頭まえがしら13まい
7–8 
西前にしまえあたま13まい
7–8 
西前にしまえあたま13まい
 
x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

くち[編集へんしゅう]

2024ねん3がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい

以下いか最高さいこう横綱よこづな大関おおぜき現役げんえき力士りきし

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
関脇せきわけ
りゅうかち 0 1 たから富士ふじ 1 1 たまわし 1 2 妙義みょうぎりゅう 2 0
小結こむすび
遠藤えんどう 2 0 りゅうでん 0 1
前頭まえがしら
熱海あたみ富士ふじ 0 1 一山ひとやまほん 0 3 おうほう 0 1 きたわか 2 0
きんかちほう 0 2 佐田さたうみ 3 0 島津しまつうみ 1 1 湘南しょうなん乃海 1 1
だい奄美あまみ 0 1 みこと富士ふじ 0 1 けんしょう 0 2 ともふう 2 0
にしき富士ふじ 2 0 平戸ひらどかい 0 1 武将ぶしょうやま 0 1 みどり富士ふじ 1 0
おおかみみやび 2 0
太字ふとじは2024ねん3がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきし

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • しんこころざし(きざき しんじ)2016ねん3がつ場所ばしょ - 2018ねん5がつ場所ばしょ
  • よしうみ 義久よしひさ(ちゅらのうみ よしひさ)2018ねん7がつ場所ばしょ -

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2016ねん4がつごう春場所はるばしょ総決算そうけっさんごう)110ぺーじ
  2. ^ 【おうち時間じかん3】千代丸ちよまるたまわしなど、関取せきとり14めい登場とうじょう 日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい公式こうしきチャンネル YouTube 2020/06/18 (2020ねん8がつ25にち閲覧えつらん)
  3. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2018ねん5がつごう夏場所なつばしょ展望てんぼうごう別冊べっさつ付録ふろく 平成へいせい30年度ねんどばん最新さいしん部屋へやべつ ぜん相撲すもうじん写真しゃしん名鑑めいかん 20ぺーじ
  4. ^ 十両じゅうりょう木崎きざきかい引退いんたいとどけあによしうみ兄弟きょうだい関取せきとり活躍かつやく」『日刊にっかんスポーツ』、2020ねん8がつ27にち2020ねん8がつ27にち閲覧えつらん
  5. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2019ねん7がつごう名古屋なごや場所ばしょ展望てんぼうごう) 24ぺーじ
  6. ^ a b スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2017ねん4がつごう春場所はるばしょ総決算そうけっさんごう)90ぺーじ
  7. ^ だい66かい国民こくみん体育たいいく大会たいかいにおける鳥取とっとりけん選手せんしゅだん成績せいせきについて”. 鳥取とっとりけん教育きょういく委員いいんかい (2011ねん10がつ24にち). 2023ねん11がつ10日とおか閲覧えつらん
  8. ^ 日大にちだい相撲すもう主将しゅしょう木崎きざきら16にん一番いちばん出世しゅっせ. 日刊にっかんスポーツ. (2016ねん3がつ17にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1617983.html 2018ねん5がつ28にち閲覧えつらん 
  9. ^ 2023ねん9がつ現在げんざい規定きていであれば、全国ぜんこく学生がくせい選手権せんしゅけん3実績じっせきから幕下まくした最下位さいかい格付かくづけみとめられる
  10. ^ 木崎きざきじょだんV、池川いけがわとの優勝ゆうしょう決定けっていせんせいした”. 日刊にっかんスポーツ. (2016ねん7がつ24にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1683795.html 2018ねん5がつ28にち閲覧えつらん 
  11. ^ しんじゅうりょうよしうみ昇進しょうしん沖縄おきなわひと応援おうえんしてもらえるように」”. 日刊にっかんスポーツ. 日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ (2018ねん5がつ31にち). 2018ねん7がつ12にち閲覧えつらん
  12. ^ ゆたかしまきんいさむあきら復帰ふっき源治げんじうれしいしん入幕にゅうまく しん番付ばんづけ 日刊にっかんスポーツ 2019ねん6がつ24にち60ふん(2019ねん12月17にち閲覧えつらん
  13. ^ よしうみさいじゅうりょうのぞみ、引退いんたい大喜だいぎおおとり花道かどうかざりたい一心いっしん 日刊にっかんスポーツ 2019ねん9がつ22にち1517ふん(2019ねん12月3にち閲覧えつらん
  14. ^ 休場きゅうじょうじゅうりょうよしうみは「のうしんとう」の診断しんだん 前日ぜんじつ敗戦はいせん、しばらくてず”. スポーツ報知ほうち (2021ねん1がつ23にち). 2021ねん1がつ23にち閲覧えつらん
  15. ^ きたあおおおとりちょう志雄しおしんじゅうりょう昇進しょうしん 秋場所あきばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎ」『日刊にっかんスポーツ』、2021ねん7がつ21にち2021ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  16. ^ 平和へいわについてかんがえる機会きかい」「頑張がんばってる姿すがたを」本土ほんど復帰ふっき50ねん沖縄おきなわ出身しゅっしん力士りきしおもかた 日刊にっかんスポーツ 2022ねん5がつ15にち2038ふん (2022ねん5がつ16にち閲覧えつらん)
  17. ^ よしうみしん入幕にゅうまく沖縄おきなわひとたちもおおてくれる九州きゅうしゅう場所ばしょめられたことがおおきい」 日刊にっかんスポーツ 2023ねん10がつ30にち1537ふん (2023ねん10がつ30にち閲覧えつらん)
  18. ^ 脳震盪のうしんとうのため14にちより休場きゅうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]