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ともふうそうだい

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
ともかぜ勇太ゆうたから転送てんそう
ともふう そうだい
2019ねん9がつ場所ばしょでのともふう
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい みなみともふう
本名ほんみょう みなみ ともふとし
愛称あいしょう みなゆー、とも
生年月日せいねんがっぴ (1994-12-02) 1994ねん12月2にち(29さい
出身しゅっしん 神奈川かながわけん川崎かわさき川崎かわさき
身長しんちょう 184.0cm
体重たいじゅう 173.0kg
BMI 51.1
所属しょぞく部屋へや 尾車おぐるま部屋へやしょせき部屋へや中村なかむら部屋へや
得意とくいわざ き、し、
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ ひがしじゅうりょう7まい
最高さいこう 西前にしまえあたま3まい
生涯しょうがい戦歴せんれき 217しょう136はい70きゅう(42場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 49しょう59はい12きゅう(8場所ばしょ
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
さんだん優勝ゆうしょう1かい
序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう1かい
しょう 殊勲賞しゅくんしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 2017ねん5月場所ばしょ
入幕にゅうまく 2019ねん3がつ場所ばしょ
趣味しゅみ ピアノ[1]
備考びこう
金星きんぼし2つるりゅう2
史上しじょう3にん幕内まくうち経験けいけんしゃじょだんからの幕内まくうち復帰ふっき
2024ねん7がつ1にち現在げんざい

ともふう そうだい(ともかぜ そうだい、1994ねん12月2にち - )は、神奈川かながわけん川崎かわさき川崎かわさき出身しゅっしん中村なかむら部屋へや入門にゅうもん尾車おぐるま部屋へや一時期いちじきしょせき部屋へや所属しょぞく現役げんえき大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょうみなみ ともふとし(みなみ ゆうた)。身長しんちょう184.0cm、体重たいじゅう173.0kg、血液けつえきがたはOがた[2]最高さいこう西にし前頭まえがしら3まい2019ねん9月場所ばしょ、11月場所ばしょ)。

みぎ膝下ひざもと切断せつだん寸前すんぜん重傷じゅうしょう幕内まくうちからじょだん陥落かんらくしたが、そこから幕内まくうち復帰ふっきした経歴けいれきつ。

来歴らいれき

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アマチュア時代じだい

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幼少ようしょうよりおおくのスポーツを経験けいけんしており、川崎かわさき市立しりつ宮前みやまえ小学校しょうがっこう6年次ねんじまでごく真空しんくうしゅバスケットボール川崎かわさき市立しりつ富士見ふじみ中学校ちゅうがっこう時代じだい柔道じゅうどう経験けいけんした[3]中学校ちゅうがっこう柔道じゅうどう顧問こもん相撲すもう経験けいけんしゃだったため相撲すもう大会たいかいにも出場しゅつじょうし、関東かんとう大会たいかい団体だんたい優勝ゆうしょう実績じっせきのこしたが[4]当時とうじ相撲すもう興味きょうみしめさなかった[5]中学ちゅうがく入学にゅうがく本当ほんとうはバスケットボールをおこないたかったのだが、当時とうじから体格たいかくかったため柔道じゅうどう顧問こもんなか無理むりやり柔道じゅうどうをやらされたのが実情じつじょうであった。ところが中学ちゅうがく柔道じゅうどう相撲すもうをトレーニングの1つにれており、次第しだい柔道じゅうどう試合しあいより相撲すもう試合しあいることがおおくなり、実態じったいとしては相撲すもうしていた。関東かんとう大会たいかい優勝ゆうしょうしたあたりから自分じぶん相撲すもういているのではないかとおもうようになった[6]本格ほんかくてき相撲すもうんだのは、中学ちゅうがく柔道じゅうどう監督かんとく知人ちじん相撲すもう監督かんとくつとめているというえんから進学しんがくしたむかいおか工業こうぎょうだか入学にゅうがくしてからで[7]、2ねんつぎ全国ぜんこく選抜せんばつ高校こうこう相撲すもう弘前ひろさき大会たいかいじゅん優勝ゆうしょう実績じっせきのこした[8]決勝けっしょうせんでアルタンホヤグ・イチンノロブ(鳥取とっとり城北しろきた高校こうこう。のちのいっしろ)にやぶれた。同校どうこう相撲すもう稽古けいこは、きびしさよりもやるすことに心掛こころがけている。高校こうこう時代じだい相撲すもうたいする情熱じょうねつき、大学だいがくでも相撲すもうつづけることを決意けついした。むかいおか工高こうこう相撲すもう清田きよた英彦ひでひこ監督かんとく学生がくせい時代じだいアジア大会たいかい優勝ゆうしょう)の出身しゅっしんこうである日本体育大学にほんたいいくだいがく進学しんがくした[5]大学だいがく時代じだいは、4ねんつぎ全日本ぜんにほん大学だいがく選抜せんばつ宇和島うわじま大会たいかい優勝ゆうしょうという実績じっせきのこしている[9]大学だいがく時代じだいには、日体大にったいだいOBのよしみふうから技術ぎじゅつ指導しどうけていた[10]

大学だいがく卒業そつぎょうは、2017ねん4がつ26にち尾車おぐるま部屋へや大関おおぜききんふう)への入門にゅうもん発表はっぴょうした[9]尾車びしゃ部屋へやりをめた背景はいけいにはよしみふう存在そんざいがあり、よしみふう尾車びしゃ部屋へや所属しょぞくであることからおな部屋へや入門にゅうもんすることになった[5]

大相撲おおずもう入門にゅうもん

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2017ねん5月場所ばしょはつ土俵どひょう同期生どうきせいには、どう部屋へや幕下まくした15まい格付かくづけ)、水戸みとりゅうらがいる[11]はじめて番付ばんづけ名前なまえったよく7がつ場所ばしょから四股しこめい本名ほんみょうの「とも」をれて「ともふう」にあらた[12]、この場所ばしょは7せん全勝ぜんしょう序ノ口じょのくち優勝ゆうしょうとした[13]つづく9がつ場所ばしょは2番目ばんめ相撲すもうやぶれ、はつ土俵どひょう以来いらい連勝れんしょうまったが、のこり5ばんって6しょう1はいとした[14]さんだんがったよく11がつ場所ばしょふたたび7せん全勝ぜんしょうとし、露草つゆくさとの優勝ゆうしょう決定けっていせんせいしてさんだん優勝ゆうしょうたした[15]2018ねん1がつ場所ばしょ幕下まくしたに、同年どうねん11がつ場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしんした[16]しんじゅうりょうの11月場所ばしょは、西にしじゅうりょう14まい番付ばんづけで、2連勝れんしょうのあと3連敗れんぱい一時いちじ黒星くろぼし先行せんこうとなったが、6にちから10連勝れんしょうとし、12しょう3はいじゅうりょう優勝ゆうしょうかざった。よく2019ねん1がつ場所ばしょも10しょうし、同年どうねん3がつ場所ばしょでは幕内まくうち昇進しょうしんした。日本体育大学にほんたいいくだいがくからのしん入幕にゅうまく史上しじょう7にん神奈川かながわけんからは戦後せんご9にん[17]所要しょよう11場所ばしょ兄弟子あにでしよしみふう所要しょよう12場所ばしょ上回うわまわ記録きろくであり、この時点じてん史上しじょう4タイのスピード昇進しょうしん記録きろく[18]本人ほんにんも「よしみふうせき記録きろくなにかしらくのが目標もくひょうだった。ひと達成たっせいできてうれしい」と、よしみふう記録きろくのことを意識いしきしていた模様もようである[19]

幕内まくうち昇進しょうしん

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しん入幕にゅうまくの2019ねん3がつ場所ばしょは13にちしが決定けってい千秋楽せんしゅうらくあおやまとの取組とりくみには2けた白星しろぼし敢闘かんとうしょう受賞じゅしょうかっていたが、とっだおしでやぶれて敢闘かんとうしょう受賞じゅしょうあおやまゆず格好かっこうとなった[20]よく5がつ場所ばしょ千秋楽せんしゅうらくして8しょう7はいつづく7がつ場所ばしょは、4大関おおぜき全員ぜんいん休場きゅうじょう影響えいきょうで、西前にしまえあたま7まいながら13にち前日ぜんじつまで12連勝れんしょうちゅう横綱よこづなつるりゅう対戦たいせん相手あいて抜擢ばってきされると、横綱よこづなはつ挑戦ちょうせんはつ勝利しょうりし、小錦こにしきなら所要しょよう14場所ばしょ史上しじょう最速さいそくタイ記録たいきろくとし6場所ばしょせいとなった1958ねん以降いこう幕下まくしたづけ入門にゅうもんしゃのぞく)ではつ金星きんぼし獲得かくとくした[21]金星かなぼし獲得かくとくさいよしみふうにやっといい相撲すもうせられた」とコメントしていた[22]。この場所ばしょはこの金星きんぼし評価ひょうかされて殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょうした[23]最終さいしゅうてき優勝ゆうしょうしたつるりゅう唯一ゆいいつ黒星くろぼしけた力士りきしにもなった)。なお、成績せいせきは11しょう4はいだった。よく9がつ場所ばしょ番付ばんづけ西にし前頭まえがしら3まいまでげ、7にちにはつるりゅうたたみで撃破げきはして2場所ばしょ連続れんぞく金星きんぼし獲得かくとくし、花道かどうげる途中とちゅうから号泣ごうきゅうした。直後ちょくごのインタビューでは、「(この場所ばしょちゅう引退いんたいした兄弟子あにでしよしみふうに)ようやくいい相撲すもうせられてよかった」とはなした。翌日よくじつよしみふうからは「きすぎだよ。おれんだのか?」という電話でんわがかかってきたという[よう出典しゅってん]。8にち大関おおぜきごうさかえどうたたんで2にち連続れんぞく殊勲しゅくん。これで5しょう3はい白星しろぼし先行せんこうかえしたが、後半こうはんは3連敗れんぱいきっするなどけがみ、14にちあさ乃山せんが8はいとなって、入門にゅうもん以来いらいはじめてのしがまった。千秋楽せんしゅうらくって7しょう8はいしのはば最小限さいしょうげんめた。場所ばしょ巡業じゅんぎょうみぎ脇腹わきばらいためたため休場きゅうじょう

みぎひざ負傷ふしょう長期ちょうき休場きゅうじょう

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2019ねん11月場所ばしょぜん場所ばしょおな西にし前頭まえがしら3まい番付ばんづけのぞんだ。2にちきんいさむあきらせんだったが、この取組とりくみ土俵どひょう転落てんらくしたときみぎひざいためたため、よく3にちから入門にゅうもん以来いらいはつとなる休場きゅうじょう日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいとどた。相撲すもう協会きょうかい提出ていしゅつした診断しんだんしょによると「みぎひざ関節かんせつ脱臼だっきゅう靱帯じんたい損傷そんしょうともなう。治療ちりょう期間きかん現在げんざいのところ未定みてい」とのことで、師匠ししょう尾車おぐるまは「長引ながびくだろう。そう簡単かんたんにはいかない。最低さいていでもいちねんはかかる」[24]「(患部かんぶを)固定こていしてじっとしている。精密せいみつ検査けんさして今後こんご治療ちりょう方針ほうしんめる。きのう全身ぜんしん麻酔ますいして脱臼だっきゅうれた。じんたい神経しんけいはこれから検査けんさする」と重症じゅうしょうであることと今後こんごきびしい見通みとおしをかたり、手術しゅじゅつなども視野しやれていることをかした[25]尾車おぐるま相撲すもうながらのわざあじとするくち危惧きぐしており、1978ねん11月場所ばしょ2にちひだりひざ内側うちがわがわふくじんたいだんきれだいケガを経験けいけんしてそこから復帰ふっきして大関おおぜきとなったみずからの経験けいけんかさわせ「因縁いんねんなのかな」とむねいためた様子ようすであった。「しん相撲すもうえろ。みんなケガをしてはいがってくる。やっとプロになったんだよ」とともふう本人ほんにんにはつたえたという[26]

この怪我けがについてはその外側そとがわがわふく靱帯じんたいぜん十字じゅうじ靭帯じんたいこう十字じゅうじ靭帯じんたいハムストリングだんきれ半月はんつきばん損傷そんしょう大腿だいたいこつ脛骨けいこつ骨折こっせつ判明はんめいし、みぎひざからした皮膚ひふ内側うちがわがわふく靭帯じんたい血管けっかん1ほんだけがつながっているような状態じょうたいだったという[27][28]医師いしからは「復帰ふっきどころかあるけるまで回復かいふく出来できればほう」という内容ないよう通告つうこくけるほどの重症じゅうしょうであったが、現役げんえきちゅうだいケガと幕下まくしたへの転落てんらく経験けいけんしながら大関おおぜき昇進しょうしんたした師匠ししょうをはじめ、母親ははおや周囲しゅうい人間にんげんささえとはげましもあって現役げんえき続行ぞっこう決意けついし、靭帯じんたい再建さいけん手術しゅじゅつなどでけい4かい手術しゅじゅつけた[27][28]。その土俵どひょう復帰ふっき目指めざしてリハビリにみ、2020ねん7がつ報道ほうどうでは、実家じっかのある川崎かわさき市内しない施設しせつでリハビリをおこない、施設しせつやすみの尾車びしゃ部屋へや筋力きんりょくトレーニングにんでいるとほうじられていた[29]

の2023ねん3がつ場所ばしょ直前ちょくぜんのNHK横浜よこはま放送ほうそうきょくのインタビュー記事きじでは「切断せつだん寸前すんぜん重傷じゅうしょうで、一生いっしょうあるくことができない可能かのうせいもある」とも宣告せんこくされたとつたえられ、最初さいしょ病院びょういんでは「相撲すもうなんか絶対ぜったいとれませんよ、土俵どひょうにあがることさえむずかしいですから、とりあえずあるくことだけかんがえましょう」とわれていた。本人ほんにん怪我けが深刻しんこくさはただけでかっていたため最初さいしょ復帰ふっきことなど一切いっさいかんがえず引退いんたいうたがわなかったといい、かんがえにあったのは日常にちじょう生活せいかつもどれるのか、まえわらない生活せいかつもどれるのかだけであった。5カ月かげつにもおよ入院にゅういん期間きかんちゅうには川崎かわさきからははけつけてきっきりで看病かんびょうしてくれたため、母親ははおやという存在そんざい偉大いだいさをかんじたという。リハビリは次第しだい強度きょうどし、これまできびしい稽古けいこにもえていたともふうもってしても大変たいへんつらいものであったが、自分じぶんよりちいさい2、3さいぐらいの子供こども姿すがた悲壮ひそうかんせないのを勇気付ゆうきづけられた。稽古けいこ復帰ふっきしてからも腓骨ひこつ神経しんけい麻痺まひ後遺症こういしょうのこり、装具そうぐささえがなければ、日常にちじょう歩行ほこうにも支障ししょうがある状態じょうたいしょせき部屋へや移籍いせきしてからは、あたらしい師匠ししょうしょせきに「ケガをしてなかったら、さんやくがっていただろう、もしかしたら大関おおぜきがっていただろう」となんはげまされた。おなじような怪我けが引退いんたい余儀よぎなくされた中村なかむら親方おやかたもと関脇せきわけよしみふう)からもはげましをけ、中村なかむら親方おやかたともふうのために中村なかむら親方おやかた自身じしんのこれまでの経験けいけんや、競技きょうぎなどからもヒントをた、科学かがくてき稽古けいこ指導しどうおこなった[30]。 さらに同年どうねん5がつには、2021ねん2がつ身体しんたい障害しょうがいしゃ5きゅう軽度けいど身体しんたい障害しょうがい)に認定にんていされ身体しんたい障害しょうがいしゃ手帳てちょう交付こうふされたことを公表こうひょうした[31]

じょだんからの復帰ふっき

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2022ねん7がつ場所ばしょでのともふう

みぎひざ怪我けがしたのちは1ねん以上いじょうわたって休場きゅうじょうつづけていたが、2021ねん3がつ場所ばしょで1ねん4かげつぶりに土俵どひょう復帰ふっきした。番付ばんづけ長期ちょうき休場きゅうじょう影響えいきょう大幅おおはばがり、西にしじょだん55まいからの復帰ふっきとなった。尾車びしゃによると、この場所ばしょむかえる時点じてんでは関取せきとり稽古けいこができるほど回復かいふくしているようで、「うえ幕内まくうち)にもう一度いちどがって、奇跡きせきこしてくれたらおおくのひと勇気ゆうきあたえる」と期待きたいせた[32]復帰ふっきせんとなった2にちわかいちてるとの取組とりくみとしで勝利しょうり[28]取組とりくみ報道陣ほうどうじん取材しゅざいでは、土俵どひょうがることへの恐怖きょうふしんがあったことをかしたうえで、今後こんご目標もくひょうは「こん場所ばしょ無事ぶじえること」だとかたった[27]

粉々こなごなになった」という大腿だいたいこつにはほねをつなぐボルトがはいっており、日常にちじょう生活せいかつにもをつかう状況じょうきょうであるという[33]

9月場所ばしょちゅうは「たりまえだが、けがはだんだんくなっているので、比例ひれいして相撲すもうもよくなればいいとおもっている」と前向まえむきにはなし「尾車びしゃ部屋へや幕下まくしたさかんになってきたので、いい稽古けいこ相手あいてがたくさんいていいとおもいます」と稽古けいこ充実じゅうじつしている様子ようすかたった[34]

2ねんぶりの九州きゅうしゅう場所ばしょとなった11月場所ばしょ初日しょにちの1ばん相撲すもう白星しろぼしげたさいには、怪我けがかかえるなか相撲すもうさい恐怖きょうふしんについて「対処たいしょできないので、うしかない。克服こくふくはできない」とかたった。一方いっぽう、この場所ばしょからみぎひざにテーピングをほどこさずに土俵どひょうがった[35]

2022ねん2がつ7にち尾車びしゃ部屋へや閉鎖へいさされたことにともなってしょせき部屋へや転属てんぞくした[36]。これにより、しょせき稽古けいこ相手あいてとして所属しょぞく部屋へやくわわる格好かっこうとなった[37]。その部屋へや日体大にったいだいぜい先輩せんぱい」というふうほうじられることがおおこと[38]から、部屋へやのまとめやくたる年長ねんちょうしゃとしてしょせき部屋へや移籍いせきしたものとられる。

2022ねん3がつ場所ばしょは3しょう4はい土俵どひょう復帰ふっきはじめてした[39]よく5がつ場所ばしょは6しょう1はい好成績こうせいせきのこした[40]。7がつ場所ばしょせば十両じゅうりょう復帰ふっきえるひがし幕下まくした3まいで4しょう3はいとしたが、関取せきとり復帰ふっき見送みおくられた。9月場所ばしょは11にちの6ばん相撲すもうし、最終さいしゅうてきに2しょう5はいよく11がつ場所ばしょは5しょう2はい好成績こうせいせきのこした。2023ねん1がつ場所ばしょせば十両じゅうりょう復帰ふっきえるひがし幕下まくした2まいむかえる。この場所ばしょは2にち初日しょにちから3連敗れんぱいしたのち4連勝れんしょうし、場所ばしょ十両じゅうりょう復帰ふっき有力ゆうりょくされた[41]。1月25にちひらかれた番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎで、全休ぜんきゅうした2020ねん3がつ場所ばしょ以来いらい17場所ばしょぶりとなるさいじゅうりょう昇進しょうしん正式せいしき発表はっぴょうされた[42]幕内まくうち経験けいけん力士りきしじょだんまで降格こうかくさいじゅうりょうとなるのは、あきら富士ふじ宇良うらつづ史上しじょう3にん[43]。3月12にち白星しろぼしをあげる[44]。4月29にちにははる巡業じゅんぎょう川崎かわさき場所ばしょ凱旋がいせん帰郷ききょうちなみに川崎かわさき場所ばしょは4ねんぶりの開催かいさいともふうは「めげずに頑張がんばってきてかった」と感想かんそうべた[45]同日どうじつのトークショーでは引退いんたいにピアニストを目指めざすとかたった[注釈ちゅうしゃく 1][46]さいじゅうりょう昇進しょうしんは4場所ばしょ連続れんぞくし、11月場所ばしょさい入幕にゅうまくたし、2にちたから富士ふじせんしにより自身じしん1513にちぶりの幕内まくうちでの白星しろぼし[47]どう場所ばしょは7にちまでに5しょう2はいとしながらも、中日ちゅうにち以降いこう3の2連敗れんぱいで7しょう8はいし。

2024ねん1がつ場所ばしょひがし前頭まえがしら15まいむかえたが、9にち決定けってい10日とおかから3連勝れんしょうかえすも5しょう10はいわりじゅうりょう降格こうかく西にしじゅうりょう3まいむかえた3がつ場所ばしょは、4しょう5はいから4連勝れんしょうし、9しょう6はいで1場所ばしょ幕内まくうち復帰ふっき。しかし5がつ場所ばしょは6連敗れんぱい、3連敗れんぱい、4連敗れんぱいで2しょう13はいわり、さいじゅうりょう陥落かんらく確実かくじつとなる。同月どうげつ30にち日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじかい同年どうねん6がつ1にちづけでの中村なかむら部屋へや新設しんせつ承認しょうにんしたことにともない、13だい中村なかむらもと関脇せきわけよしみふう)に帯同たいどうして中村なかむら部屋へや転籍てんせきすることがまった[48]

くち

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基本きほんしかはたきで勝負しょうぶめるが、たま上手じょうずからのめがある。

2019ねん7がつ場所ばしょ5にち妙義みょうぎりゅうせん自身じしん通算つうさんはつ小手こてめた。「小手こてげってなにですか。はじめてきました」と本人ほんにんとしては小手こてげをつとはゆめにもおもわなかった模様もようで、普段ふだん小手こてげを得意とくいとはしていない[49]

右足みぎあしだい怪我けがひざった状態じょうたいわざはな相撲すもう原因げんいんわれる。

右足みぎあしだい怪我けがて、2021ねん3がつ場所ばしょではのこ相撲すもうれなくなっている[50]

2023ねん11月場所ばしょ師匠ししょうしょせきのコラムでは、徐々じょじょ本来ほんらい圧力あつりょく相撲すもうもどってきているとひょうされている[51]

後半こうはんせんつよく、本人ほんにんも「後半こうはんともふう」とうそぶくなど自信じしんっている[52]

人物じんぶつ

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  • 趣味しゅみはピアノの演奏えんそうである。リチャード・クレイダーマンこのみ、音楽おんがく大学だいがくへの進学しんがくすすめられたこともある[9]小学生しょうがくせい時代じだい作曲さっきょくした運動会うんどうかいきょくは、自身じしん卒業そつぎょう使つかわれつづけている[5]中学校ちゅうがっこう合唱がっしょうコンクールでは、3年間ねんかんずっと伴奏ばんそうしゃだったという。結果けっかてき相撲すもうみちえらぶことになったが、大相撲おおずもう入門にゅうもんもピアノの演奏えんそう趣味しゅみつづけており、2018ねん2がつには川崎かわさき市内しない幼稚園ようちえんでピアノの演奏えんそう披露ひろうしている[53]。2019ねん4がつのインタビューでは、巡業じゅんぎょうさき食事しょくじ会場かいじょういてあったグランドピアノで関取せきとりしゅからのリクエストで演奏えんそうしたことや、X JAPANきょくきであるとはなしている。X JAPANのリーダーで作曲さっきょく演奏えんそうをしているYOSHIKI一番いちばんきなアーティストであるという[54]
  • 十両じゅうりょう昇進しょうしんさい、みずからもびとがつく立場たちばになったが、よしみふう希望きぼうもありじゅうりょう昇進しょうしんびとつづけていた[55]

エピソード

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  • しん入幕にゅうまく直後ちょくごの2019ねん4がつ12にち当地とうち巡業じゅんぎょうであるはる巡業じゅんぎょう川崎かわさき場所ばしょ参加さんか。ぶつかり稽古けいこしん大関おおぜき景勝けいしょうむねを4分間ふんかんりたほか生後せいご8ヶ月かげつめい記念きねん写真しゃしん撮影さつえいした[56]
  • 2019ねん7がつ2にち尾車びしゃ部屋へや墨絵すみえ作家さっか有田ありたひろみ・有田ありたちゃぼ親子おやこ製作せいさくした、まねねこがおにぎりをにふすまから登場とうじょうする様子ようすえがかれている化粧廻けしょうまわし「いただきます」がおくられ、ともふうためし担当たんとうした[57]

くち

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いずれも2024ねん5がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい 

以下いか引退いんたい力士りきし

  • もと横綱よこづなつるりゅうには2せん2しょう。2019ねん7がつ場所ばしょの13にちに2017ねん9がつ場所ばしょ阿武あぶさき以来いらい11場所ばしょりの横綱よこづなはつ挑戦ちょうせんはつ金星きんぼしとなり、はつ土俵どひょうさんだんおよ幕下まくしたしをのぞく)から所要しょよう14場所ばしょはつ金星きんぼしもと大関おおぜきしょうにしきならんで史上しじょう1タイとなるスピード記録きろく。そのよく場所ばしょもはたきみで勝利しょうりし2場所ばしょ連続れんぞくつるりゅう勝利しょうり金星きんぼし獲得かくとく。そのともふう長期ちょうき休場きゅうじょうしてじょだんまで陥落かんらくし、そのあいだつるりゅう引退いんたいしたため、つるりゅうには1けなかった。
  • もと大関おおぜききんすすむきくには1しょう1はい
  • もと大関おおぜきごうさかえどうには1しょう
  • もと大関おおぜきとちこころには1はい
  • 最高さいこう関脇せきわけ以下いか力士りきしとの幕内まくうちでの対戦たいせん成績せいせき以下いかとおりである。
力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
関脇せきわけ
あおやま 1 2(1) おもねほのお 1 0 いっしろ 0 1 隠岐おきうみ 1 0
さきがけきよし 0 1 きんいさむあきら 1 1 りゅうかち 0 2 たから富士ふじ 2 4
たまわし 2 2 とち煌山 0 1 ゆたかしま 1 0 妙義みょうぎりゅう 2 1
明生あきお 0 2
小結こむすび
遠藤えんどう 1 2 阿武あぶさき 2 2 まつおおとりさん 3 0 千代ちよ大龍おおたつ 1 1
錦木にしきぎ 1 0 平戸ひらどかい 2 0 きた勝富かつとみ 0 1 りゅうでん 0 3
前頭まえがしら
石浦いしうら 1 0 一山ひとやまほん 2 1 ほのおおおとり 1 0 おう勝馬かつま 0 1
おうほう 0 2 てる 3 0 きたわか 1 0 きんめぐみこう 1 1
きんかちほう 0 1 佐田さたうみ 2 2 島津しまつうみ 1 0 志摩しまうみ 1 0
湘南しょうなん乃海 1 1 だいしょうおおとり 0 1 源治げんじ 1 0 よしうみ 0 3
千代ちよしょう 1 1 千代丸ちよまる 0 1 けんしょう 0 3 あきらきょう 1 1
ひがし白龍はくりゅう 1 0 どき疾風しっぷう 1 0 にしき富士ふじ 0 2 武将ぶしょうやま 0 1
きたあおほう 0 1 豊山とよやま 1 0 おおかみみやび 1 1
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず太字ふとじは2024ねん5がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきし

略歴りゃくれき

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  • 2017ねん5がつ場所ばしょ - はつ土俵どひょう
  • 2017ねん7がつ場所ばしょ - 序ノ口じょのくち
  • 2017ねん9がつ場所ばしょ - じょだん
  • 2017ねん11月場所ばしょ - さんだん
  • 2018ねん1がつ場所ばしょ - 幕下まくした
  • 2018ねん11月場所ばしょ - じゅうりょう
  • 2019ねん3がつ場所ばしょ - 幕内まくうち
  • 2020ねん1がつ場所ばしょ - 十両じゅうりょう陥落かんらく
  • 2020ねん7がつ場所ばしょ - 幕下まくした陥落かんらく
  • 2020ねん11月場所ばしょ - さんだん陥落かんらく
  • 2021ねん3がつ場所ばしょ - じょだん陥落かんらく
  • 2021ねん5がつ場所ばしょ - さんだんさい昇進しょうしん
  • 2021ねん11月場所ばしょ - 幕下まくしたさい昇進しょうしん
  • 2023ねん3がつ場所ばしょ - 十両じゅうりょうさい昇進しょうしん関取せきとり復帰ふっき
  • 2023ねん11月場所ばしょ - 幕内まくうちさい昇進しょうしん幕内まくうち復帰ふっき

おも成績せいせき

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2024ねん5がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい

スピード記録きろく

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通算つうさん成績せいせき

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  • 通算つうさん成績せいせき:217しょう136はい70きゅう(42場所ばしょ
  • 通算つうさん勝率しょうりつ:.615
  • 幕内まくうち成績せいせき:49しょう59はい12きゅう(8場所ばしょ
  • 幕内まくうち勝率しょうりつ:.454
    • 前頭まえがしら成績せいせき:49しょう59はい12きゅう(8場所ばしょ
    • 前頭まえがしら勝率しょうりつ:.454
  • 通算つうさん連続れんぞく記録きろく:13場所ばしょ(2017ねん7がつ場所ばしょ - 2019ねん7がつ場所ばしょ
  • 序ノ口じょのくちデビューからの連続れんぞく記録きろく:13場所ばしょ(2017ねん7がつ場所ばしょ - 2019ねん7がつ場所ばしょ歴代れきだい3タイ。)

さんしょう金星かなぼし

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  • さんしょう:1かい
    • 殊勲賞しゅくんしょう:1かい(2019ねん7がつ場所ばしょ
  • 金星かなぼし:2
    • つるりゅう:2(2019ねん7がつ場所ばしょ、2019ねん9がつ場所ばしょ

かくだん優勝ゆうしょう

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  • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(2018ねん11月場所ばしょ
  • さんだん優勝ゆうしょう:1かい(2017ねん11月場所ばしょ
  • 序ノ口じょのくち優勝ゆうしょう:1かい(2017ねん7がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき

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ともふう そうだい
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
2017ねん
平成へいせい29ねん
x x ぜん相撲すもう ひがし序ノ口じょのくち25まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがしじょだん15まい
6–1 
ひがしさんだん53まい
優勝ゆうしょう
7–0
2018ねん
平成へいせい30ねん
ひがし幕下まくした31まい
5–2 
ひがし幕下まくした18まい
4–3 
ひがし幕下まくした13まい
4–3 
ひがし幕下まくした10まい
5–2 
西にし幕下まくした4まい
5–2 
西にしじゅうりょう14まい
優勝ゆうしょう
12–3
2019ねん
平成へいせい31ねん
/れい元年がんねん
ひがしじゅうりょう4まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら13まい
9–6 
西前にしまえあたま9まい
8–7 
西前にしまえあたま7まい
11–4
こと
西前にしまえあたま3まい
7–8
西前にしまえあたま3まい
0–3–12[注釈ちゅうしゃく 2] 
2020ねん
れい2ねん
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
休場きゅうじょう[注釈ちゅうしゃく 3]
0–0–15
西にしじゅうりょう13まい
休場きゅうじょう[注釈ちゅうしゃく 3][注釈ちゅうしゃく 4]
0–0–15
感染かんせんしょう拡大かくだい
により中止ちゅうし
西にし幕下まくした11まい
休場きゅうじょう[注釈ちゅうしゃく 5]
0–0–7
ひがし幕下まくした52まい
休場きゅうじょう
0–0–7
ひがしさんだん35まい
休場きゅうじょう[注釈ちゅうしゃく 5]
0–0–7
2021ねん
れい3ねん
ひがしさんだん95まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にしじょだん55まい
6–1[注釈ちゅうしゃく 5] 
ひがしさんだん88まい
5–2[注釈ちゅうしゃく 6] 
西にしさんだん55まい
6–1 
ひがしさんだん3まい
5–2 
ひがし幕下まくした37まい
6–1 
2022ねん
れい4ねん
ひがし幕下まくした15まい
5–2 
ひがし幕下まくした8まい
3–4 
西にし幕下まくした10まい
6–1 
ひがし幕下まくした3まい
4–3 
ひがし幕下まくした2まい
2–5 
西にし幕下まくした8まい
5–2 
2023ねん
れい5ねん
ひがし幕下まくした2まい
4–3 
西にしじゅうりょう13まい
8–7 
ひがしじゅうりょう12まい
8–7 
西にしじゅうりょう9まい
10–5 
ひがしじゅうりょう3まい
11–4 
ひがし前頭まえがしら14まい
7–8 
2024ねん
れい6ねん
ひがし前頭まえがしら15まい
5–10 
西にしじゅうりょう3まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら16まい
2–13 
ひがしじゅうりょう7まい
5–7–3 
x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

改名かいめいれき

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  • みなみ ともふとし(みなみ ゆうた)2017ねん5がつ場所ばしょ
  • ともかぜ 勇太ゆうた(ともかぜ ゆうた)2017ねん7がつ場所ばしょ - 2024ねん5がつ場所ばしょ
  • ともふう そうだい(ともかぜ そうだい)2024ねん7がつ場所ばしょ -

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ ただし相撲すもうゆび怪我けがのリスクが非常ひじょうたか格闘技かくとうぎである(たとえ相撲すもう主体しゅたいともふうであっても)ため、ゆび資本しほんとなるピアニストを本気ほんき目指めざ予定よていとはかんがえづらく、このはなしげるためにぎない可能かのうせいたかい。
  2. ^ みぎひざ関節かんせつ脱臼だっきゅうのため3にちから休場きゅうじょう
  3. ^ a b みぎひざ関節かんせつ脱臼だっきゅうのため初日しょにちから休場きゅうじょう
  4. ^ 観客かんきゃく開催かいさい
  5. ^ a b c 東京とうきょう開催かいさい
  6. ^ 3にちまで観客かんきゃく開催かいさい

出典しゅってん

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  1. ^ 時事じじドットコム 大相撲おおずもう 新星しんせい探査たんさ”. 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  2. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2018ねん5がつごう夏場所なつばしょ展望てんぼうごう別冊べっさつ付録ふろく 平成へいせい30年度ねんどばん 最新さいしん部屋へやべつ ぜん相撲すもうじん写真しゃしん名鑑めいかん 15ぺーじ
  3. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2017ねん6がつごう夏場所なつばしょ総決算そうけっさんごう) 106ぺーじ
  4. ^ 全国ぜんこく選抜せんばつ高校こうこう相撲すもう弘前ひろさき大会たいかいじゅん優勝ゆうしょうした みなみ ともふとしさん”. タウンニュース. (2012ねん3がつ9にち). https://www.townnews.co.jp/0206/2012/03/09/137983.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  5. ^ a b c d スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2018ねん8がつごう名古屋なごや場所ばしょ総決算そうけっさんごう) 83ぺーじ
  6. ^ ともふう 柔道じゅうどうへの“勧誘かんゆう”から意外いがい相撲すもうとの出合であい 「バスケはいろうとおもって…」 Sponichi Annex 2024ねん2がつ17にち 18:07 (2024ねん2がつ18にち閲覧えつらん)
  7. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2017ねん8がつごう名古屋なごや場所ばしょ総決算そうけっさんごう) 69ぺーじ
  8. ^ 公益こうえき財団ざいだん法人ほうじん 日本にっぽん相撲すもう連盟れんめい 平成へいせい24ねん試合しあい記録きろく結果けっか”. 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん
  9. ^ a b c “ピアノ力士りきしみなみともふとし尾車びしゃ部屋へや入門にゅうもん 音大おんだいより相撲すもう. 日刊にっかんスポーツ. (2017ねん4がつ27にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1814000.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  10. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2017ねん12がつごう九州きゅうしゅう場所ばしょ総決算そうけっさんごう) 69ぺーじ
  11. ^ ら6にん合格ごうかく 夏場所なつばしょしん弟子でし検査けんさ. スポニチアネックス. (2017ねん5がつ14にち). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/05/14/kiji/20170514s00005000182000c.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  12. ^ スボすぼル・マガジン社るまがじんしゃかん相撲すもう』 2017ねん7がつごう名古屋なごや場所ばしょ展望てんぼうごう) 62ぺーじ
  13. ^ “ピアノ力士りきしともふう序ノ口じょのくち優勝ゆうしょうかせて相撲すもうを」”. 日刊にっかんスポーツ. (2017ねん7がつ21にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/1859233.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  14. ^ じょだんともふう、6しょうはい秋場所あきばしょえるも「課題かだいはたくさんあります」”. スポーツ報知ほうち. (2017ねん9がつ24にち). https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170924-OHT1T50088.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  15. ^ ともふうさんだん優勝ゆうしょう兄弟子あにでしよしみふう「おまえつよいんだ」が後押あとおし”. スポーツ報知ほうち. (2017ねん11月26にち). https://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20171126-OHT1T50183.html 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  16. ^ 相撲すもう協会きょうかい番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎともふうごくしんどうしんじゅうりょう昇進しょうしん決定けってい. スポーツ報知ほうち. (2018ねん9がつ26にち). https://hochi.news/articles/20180926-OHT1T50060.html 2018ねん9がつ26にち閲覧えつらん 
  17. ^ ともふうあきらきょうだいしょうおおとりしん入幕にゅうまく ゆたかしま石浦いしうらさい入幕にゅうまく 日刊にっかんスポーツ 2019ねん2がつ25にち60ふん(2019ねん12月17にち閲覧えつらん
  18. ^ ともふう史上しじょうタイのスピード昇進しょうしん 2019ねん2がつ25にち1556ふん スポーツ報知ほうち報知新聞社ほうちしんぶんしゃ、2019ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  19. ^ ともふうよしみ風上かざかみまわる11場所ばしょスピード入幕にゅうまく SANSPO.COM 2019.2.26 05:01(産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2019ねん3がつ22にち閲覧えつらん
  20. ^ いっしろ殊勲賞しゅくんしょう 14ねん秋場所あきばしょ以来いらい、2度目どめ 日刊にっかんスポーツ 2019ねん3がつ24にち1326ふん日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ、2019ねん3がつ24にち閲覧えつらん
  21. ^ ともふう 最速さいそく金星きんせいはつ土俵どひょうから14場所ばしょ 横綱よこづなはつ挑戦ちょうせん撃破げきは」『スポニチアネックス』2019ねん7がつ20日はつか2019ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  22. ^ ともふうなみだ金星かなぼしよしみせきにやっといい相撲すもうせられた」 日刊にっかんスポーツ 2019ねん9がつ14にち1925ふん(2019ねん9がつ22にち閲覧えつらん
  23. ^ ともふう殊勲賞しゅくんしょうあきらきょう敢闘かんとうしょう遠藤えんどうほのおおおとり技能ぎのうしょう」『日刊にっかんスポーツ』2019ねん7がつ21にち2019ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  24. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019ねん11月12にち). “平幕ひらまくともふうみぎひざ関節かんせつ脱臼だっきゅう休場きゅうじょう 師匠ししょう「1ねんはかかる」”. 産経さんけいニュース. 2019ねん11月12にち閲覧えつらん
  25. ^ ともふう休場きゅうじょうみぎひざ脱臼だっきゅう 尾車おぐるま親方おやかた「1ねんはかかる」 - 大相撲おおずもう : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com(2019ねん11月12にち). 2019ねん11月12にち閲覧えつらん
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  27. ^ a b c もと幕内まくうちともふう ひざだいケガから復帰ふっき初戦しょせん白星しろぼし 「ぼくのケガはゴールがえない、なによりもそれがきつかった」」『スポーツ報知ほうち』2021ねん3がつ15にち2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  28. ^ a b c ともふうあるけたら」から手術しゅじゅつかい、1ねんカ月かげつぶり復活ふっかつ」『日刊にっかんスポーツ』2021ねん3がつ15にち2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  29. ^ 休場きゅうじょうつづ大相撲おおずもうともふう 懸命けんめいのリハビリにはげ愛弟子まなでし見守みまも師匠ししょう近況きんきょうかた」『毎日新聞まいにちしんぶん』2020ねん7がつ4にち2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  30. ^ だいケガから関取せきとり復帰ふっきともふう ささえてくれたひとたちへのおも NHK横浜よこはま放送ほうそうきょく 2023ねん03がつ10日とおか (2023ねん3がつ10日とおか閲覧えつらん)
  31. ^ ピアノ力士りきし ともかぜ勇太ゆうたせき」『東京とうきょう新聞しんぶん TODAY』2023ねん5がつ10日とおか2023ねん10がつ2にち閲覧えつらん
  32. ^ もと幕内まくうちともふうの1ねんカ月かげつぶり復帰ふっき師匠ししょう尾車びしゃ親方おやかた「もう一度いちどがって、奇跡きせきを」」『デイリースポーツ』2021ねん3がつ13にち2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん
  33. ^ ともふうあるけたら」から手術しゅじゅつかい、1ねんカ月かげつぶり復活ふっかつ 日刊にっかんスポーツ 2021ねん3がつ15にち1147ふん (2021ねん3がつ15にち閲覧えつらん)
  34. ^ ひざたいけがから復帰ふっき場所ばしょともふう白星しろぼし発進はっしん「まずは幕下まくした復帰ふっき目標もくひょうに。結果けっか次第しだいではそれ以上いじょうを」 2021ねん9がつ12にち 1340ふんスポーツ報知ほうち (2021ねん9がつ13にち閲覧えつらん)
  35. ^ ねんまえ九州きゅうしゅう場所ばしょたいけがともふうこわさとい」白星しろぼし発進はっしん 日刊にっかんスポーツ 2021ねん11月14にち1354ふん (2021ねん11月14にち閲覧えつらん)
  36. ^ 尾車おぐるま部屋へや力士りきし転属てんぞくさきまる 尾車びしゃ親方おやかたじゅうりょう新設しんせつ押尾川おしおがわ部屋へや転属てんぞく」『日刊にっかんスポーツ』2022ねん1がつ27にち2022ねん2がつ7にち閲覧えつらん
  37. ^ 関取せきとり復帰ふっき目指めざ幕下まくしたともふう白星しろぼししょせき部屋へや転籍てんせきはつ取組とりくみげのせい 日刊にっかんスポーツ 2022ねん3がつ13にち153ふん (2022ねん3がつ13にち閲覧えつらん)
  38. ^ 弟弟子おとうとでし快挙かいきょに「うれしい」 1学年がくねん先輩せんぱい白熊しろくま 山陽さんよう新聞しんぶんdigital 2024ねん05がつ26にち 2225ふん 更新こうしん (2024ねん5がつ27にち閲覧えつらん)
  39. ^ すべてが勉強べんきょう場所ばしょだった」ともふう復帰ふっき場所ばしょくやしいはつ スポーツ報知ほうち 2022ねん3がつ25にち1529ふん (2022ねん3がつ25にち閲覧えつらん)
  40. ^ 幕内まくうち経験けいけんしゃともふう幕下まくしたで6しょうはい好成績こうせいせき 7がつ名古屋なごや場所ばしょで20ねん春場所はるばしょ以来いらい関取せきとり復帰ふっきける 日刊にっかんスポーツ 2022ねん5がつ21にち1514ふん (2022ねん5がつ21にち閲覧えつらん)
  41. ^ 解説かいせつ大相撲おおずもう史上しじょうはつ所要しょよう場所ばしょじゅうりょうへ 落合おちあい昇進しょうしんが25にち午前ごぜん番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎまる 日刊にっかんスポーツ 2023ねん1がつ24にち1314ふん (2023ねん1がつ24にち閲覧えつらん)
  42. ^ 落合おちあいしんじゅうりょう昇進しょうしん史上しじょう最速さいそく所要しょよう場所ばしょ関取せきとり 28にち引退いんたい相撲すもうもと横綱よこづなしろおおとり朗報ろうほうとどく”. 日刊にっかんスポーツ. (2023ねん1がつ25にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202301250000137.html 2023ねん1がつ25にち閲覧えつらん 
  43. ^ “【春場所はるばしょしん番付ばんづけちょう乃山あと1さい入幕にゅうまくのがす…フレッシュなしん入幕にゅうまく一挙いっきょにんも/平幕ひらまく以下いか関取せきとりへん. 日刊にっかんスポーツ. (2023ねん2がつ27にち). https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202302260002082.html 2023ねん2がつ27にち閲覧えつらん 
  44. ^ さいじゅうりょうともふう たいけがえ3ねんカ月かげつぶり関取せきとり白星しろぼし万感ばんかん感無量かんむりょうはつ土俵どひょうめた」”. デイリースポーツ online (株式会社かぶしきがいしゃデイリースポーツ). (2023ねん3がつ12にち). https://www.daily.co.jp/general/2023/03/12/0016134492.shtml 2023ねん3がつ12にち閲覧えつらん 
  45. ^ 川崎かわさき出身しゅっしんじゅうりょうともふう地元じもとファンからの声援せいえん感謝かんしゃ「めげずに頑張がんばってかった」 日刊にっかんスポーツ 2023ねん4がつ29にち1827ふん (2023ねん4がつ30にち閲覧えつらん)
  46. ^ 引退いんたいはピアニスト?じゅうりょうともふう引退いんたいしたら」“仰天ぎょうてんプラン”披露ひろう 母校ぼこう運動会うんどうかい使つか音楽おんがく作曲さっきょく 日刊にっかんスポーツ 2023ねん4がつ29にち1826ふん (2023ねん4がつ30にち閲覧えつらん)
  47. ^ ともふう1513にちぶり幕内まくうち白星しろぼし素直すなおにうれしい」4手術しゅじゅつ歩行ほこう困難こんなん危機ききからの復活ふっかつ Sponichi Annex 2023ねん11月14にち 04:50 (2023ねん11月16にち閲覧えつらん)
  48. ^ げんよしみふう中村なかむら親方おやかた独立どくりつ しょせき部屋へやから幕内まくうちともふうふく力士りきしにん転属てんぞく」『デイリースポーツ』2024ねん5がつ30にち2024ねん5がつ30にち閲覧えつらん
  49. ^ ともふうが5連勝れんしょう まりしゅに「小手こてげってなにですか」 デイリースポーツ 2019.07.11(2020ねん1がつ3にち閲覧えつらん
  50. ^ たいけが復帰ふっきともふう相手あいて得意とくいかたちに」こん場所ばしょはつ黒星くろぼし 日刊にっかんスポーツ 2021ねん3がつ21にち1125ふん (2021ねん3がつ21にち閲覧えつらん)
  51. ^ もと横綱よこづなまれぜいさとコラム】ともふうだいさと高橋たかはしをはじめ、それぞれにかんじた成長せいちょう課題かだい Sponichi Annex 2023ねん12月6にち 07:00 (2023ねん12月11にち閲覧えつらん)
  52. ^ ともふうが7しょう王手おうて 「ここから後半こうはん、“後半こうはんともふう”ですから」 2023ねん7がつ17にち 1550ふんスポーツ報知ほうち (2024ねん5がつ27にち閲覧えつらん)
  53. ^ 大相撲おおずもう身近みぢかかんじて」 川崎かわさき人気にんき力士りきしが「川崎かわさき場所ばしょ」PR”. カナロコ. (2018ねん2がつ8にち). http://www.kanaloco.jp/article/309431 2018ねん8がつ28にち閲覧えつらん 
  54. ^ “おすもうさんてき巡業じゅんぎょうを100ばいたのしむ方法ほうほう 2019 ~その②~”. おすもうさん(2019ねん4がつ28にち). 2019ねん7がつ21にち閲覧えつらん
  55. ^ 関取せきとりでもびと ともふうおもい - 大相撲おおずもう裏話うらばなし - 相撲すもう格闘技かくとうぎコラム : 日刊にっかんスポーツ”. nikkansports.com. 2019ねん2がつ25にち閲覧えつらん
  56. ^ ともふう兄弟子あにでし景勝けいしょう稽古けいこ感謝かんしゃ、めいにはデレデレ 日刊にっかんスポーツ 2019ねん4がつ12にち2139ふん日刊スポにっかんすぽツ新聞社つしんぶんしゃ、2019ねん4がつ14にち閲覧えつらん
  57. ^ 愛知あいち大相撲おおずもう尾車びしゃ部屋へやまねねこ化粧けしょうまわし寄贈きぞう 瀬戸せと 朝日新聞あさひしんぶんDIGITAL 2019ねん7がつ3にち0300ふんぶん松永まつなが佳伸よしのぶ、2019ねん12月26にち閲覧えつらん

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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