龍虎りゅうこぜいとも

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りゅうこ せいほう
龍虎りゅうこ ぜいとも
本名ほんみょう 鈴木すずき 忠清ただきよ[1]
べつ名義めいぎ 龍虎りゅうこ こうむね
龍虎りゅうこ
こま 清一せいいち
生年月日せいねんがっぴ (1941-01-09) 1941ねん1がつ9にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (2014-08-29) 2014ねん8がつ29にち(73さいぼつ
出生しゅっしょう 東京とうきょう大田おおた[2]
死没しぼつ 静岡しずおかけん掛川かけがわ
国籍こくせき 日本の旗 日本にっぽん
民族みんぞく 日本人にっぽんじん
身長しんちょう 186cm
血液けつえきがた AB
職業しょくぎょう もと大相撲おおずもう力士りきし
タレント
俳優はいゆう
ジャンル テレビドラマ
映画えいがなど
活動かつどう期間きかん 1957ねん - 2014ねん
配偶はいぐうしゃ ゆう
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龍虎りゅうこ ぜいとも(りゅうこ せいほう、1941ねん1がつ9にち - 2014ねん8がつ29にち)は、日本にっぽんもと大相撲おおずもう力士りきし引退いんたいタレントコメンテーター俳優はいゆう本名ほんみょう鈴木すずき 忠清ただきよ(すずき ただきよ)[1]親方おやかた当時とうじこま 清一せいいち晩年ばんねん芸名げいめい龍虎りゅうこ こうむね龍虎りゅうこ名義めいぎ場合ばあいもある[3][2]

東京とうきょう大田おおた出身しゅっしん東京都立大とうきょうとりつだいもり高等こうとう学校がっこう中退ちゅうたいはなかご部屋へや所属しょぞく最高さいこうひがし小結こむすび現役げんえき時代じだい身長しんちょう186cm、体重たいじゅう132kg。つま鈴木すずき貴子たかこ観世かんぜりゅう太鼓たいこじゅうろくせい宗家そうけ観世かんぜ元信もとのぶ長女ちょうじょ)。1992ねん4がつ結婚けっこん。1992ねん11月長女ちょうじょ、1994ねん8がつ長男ちょうなん誕生たんじょう[4]

来歴らいれき[編集へんしゅう]

大相撲おおずもう時代じだい[編集へんしゅう]

幼少ようしょうからたかく、両親りょうしん忠清ただきよ大相撲おおずもう力士りきしにしようとかんがえていた。1957ねん1がつ場所ばしょはなかご部屋へやからはつ土俵どひょう[5][2]自身じしんふくめて同期どうきしん弟子でしは50にんいたが、当初とうしょのちだい52だい横綱よこづなとなるきた富士ふじならんでとても軽量けいりょう最下さいかそう実力じつりょくしかたなかったという[2][6]実際じっさい後年こうねんそのきた富士ふじみずからが「50にんしん弟子でしなか一番いちばんよわかったのがオレと龍虎りゅうこでした」と当時とうじかえっている[6]稽古けいこするとすぐたおれるため、くちわる兄弟子あにでしから「電柱でんちゅう」と揶揄やゆされた。同年どうねん11がつ場所ばしょまで鈴木すずきやま四股しこめい土俵どひょう生活せいかつおくり、よく1958ねん1がつから1959ねん9がつまではな武蔵むさし四股しこめい土俵どひょうがった。1959ねん11月からはわか神山かみやま名乗なのるも、幕下まくした中位ちゅういから下位かい停滞ていたいしていたことにしびれをらして1964ねん11月場所ばしょからはな武蔵むさしもどす。1966ねん5がつ場所ばしょまえには師匠ししょうはなかごからすすめられて龍虎りゅうこ改名かいめいし、以来いらい引退いんたいまでこの四股しこめいとおす(1969ねん3がつまではした名前なまえのぼりだった)。若乃花わかのはなにはしん弟子でしころからかわいがられ、二子山ふたごやま若乃花わかのはな独立どくりつさいについてくことを志望しぼうしながら師匠ししょうはなかご移籍いせきみとめた力士りきしふくまれていなかったために移籍いせきみとめられず残留ざんりゅうすることになった。二子山ふたごやまは「おまえのこったほうが(稽古けいこ相手あいてもいて)いい。だいいち、おまえみたいなよわいヤツはれていけない」とはなしたとつたわる[7]1967ねん3がつ場所ばしょしんじゅうりょう1968ねん3がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく[2]はつ土俵どひょうより11ねんかけての幕内まくうち昇進しょうしん当時とうじもっとおそ記録きろくであった。なお、同期どうきなか幕内まくうち昇進しょうしんしたのは当初とうしょ最下さいかそう力士りきしとされていた自身じしんきた富士ふじ2人ふたりだけであった[6][8]

しん入幕にゅうまく場所ばしょで11しょう4はい成績せいせき敢闘かんとうしょう獲得かくとく1969ねん5月場所ばしょ前頭まえがしら2まい)で大鵬たいほうからはつ金星かなぼしげ、この場所ばしょ8しょう7はい殊勲賞しゅくんしょう獲得かくとくよく7がつ場所ばしょひがし前頭まえがしら筆頭ひっとうで8しょう7はい成績せいせきげた(このあいだ、3場所ばしょ連続れんぞく優勝ゆうしょう力士りきしをつけるというめずらしい記録きろくをつくっている)がしんさんやく昇進しょうしんできず、よく9がつ場所ばしょどう位置いちで3しょう12はい大敗たいはいしたが、そのはほぼ安定あんていした成績せいせき幕内まくうち上位じょうい保持ほじしていた。ようやく1970ねん3がつ場所ばしょしんさんやく小結こむすび)。美男びなん力士りきしとして人気にんきはく[2]、1969ねん1がつ場所ばしょまえ座談ざだんかいでは初代しょだいとちひがしから「龍虎りゅうこせき、あんたはこえもいいしみみもつぶれてない。それで相撲すもうってるとえますか(笑)」とまれていた[9]まじえた気風きふうのよい相撲すもう[2]大鵬たいほうからも「ボロカスにうところなんてないよ。いいっているものなあ。ときどきたたいているのをるけど、あれも出足であしがあってのはたきだからいいんじゃないかな」とめられたことがある[9]1970ねん9月場所ばしょ前頭まえがしら11まい自己じこ最高さいこうの13しょう2はいげた。

しかし、よく1971ねん11月場所ばしょ6にち前頭まえがしら7まいよしはなせんひだりアキレス腱あきれすけんだんきれして途中とちゅう休場きゅうじょう、その1972ねん1がつ場所ばしょから3場所ばしょ連続れんぞく全休ぜんきゅう幕下まくしたまでちた。病院びょういんはこまれたさい「(入院にゅういんが)2カ月かげつもかかるとはまいったな。まあ、いいや。ついでにみすぎていためている肝臓かんぞう治療ちりょうもやってもらうか」と冗談じょうだんばしていた。このとき龍虎りゅうこ負傷ふしょうけ、日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい1972ねん1がつ場所ばしょより公傷こうしょう制度せいど導入どうにゅうすることになったが(2003ねん11月場所ばしょかぎりで廃止はいし)、龍虎りゅうこ自身じしんには制度せいど適用てきようされなかったため、世間せけん同情どうじょうあつめた[7]

しかし、本人ほんにん不屈ふくつ闘志とうし努力どりょくむすび、幕下まくした優勝ゆうしょう(1972ねん9がつ場所ばしょ、7せん全勝ぜんしょう)、十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1973ねん3がつ場所ばしょ、11しょう4はい)と実績じっせきかさね、1973ねん7がつ場所ばしょさい入幕にゅうまくする[7][2]。その1974ねん9月場所ばしょしん横綱よこづなきたうみから通算つうさん2金星きんぼし獲得かくとく[7]はげしいいからはじまり、最後さいごとしでやぶった一番いちばんであった[7]1975ねん1がつ場所ばしょ小結こむすびとなりさんやくにカムバックした(破門はもんなど協会きょうかいからの離職りしょくによるブランクなしで幕下まくした降下こうかしたもとさんやくさんやく復帰ふっき史上しじょうはつ)。

ところが、1975ねん5がつ場所ばしょ初日しょにち前頭まえがしら4まいあさひこくせんで、今度こんどみぎアキレス腱あきれすけん切断せつだん復帰ふっき2度目どめアキレス腱あきれすけんだんきれけい3アキレス腱あきれすけんだんきれ)して、その場所ばしょかぎりで現役げんえき引退いんたい[7][2]引退いんたい年寄としより16だいこま襲名しゅうめいするも1977ねん廃業はいぎょうし、タレントに転向てんこうした。

タレント・俳優はいゆう時代じだい[編集へんしゅう]

こま親方おやかた時代じだい1976ねんから映画えいがやドラマに出演しゅつえんしていた龍虎りゅうこは、相撲すもう協会きょうかい退職たいしょく四股しこめい龍虎りゅうこをそのまま芸名げいめいとし、本格ほんかくてき芸能げいのうかい進出しんしゅつ。テレビ、時代じだいげきなどで活躍かつやくしていた。また、『料理りょうり天国てんごく』(TBS系列けいれつ)の名物めいぶつ試食ししょくじんとして活躍かつやく。「おいしいですね」の一言ひとことはそのまま龍虎りゅうこのキャッチフレーズとなった[7]以降いこう舞台ぶたい北島きたじま三郎さぶろう公演こうえん)などを中心ちゅうしん俳優はいゆうとして活躍かつやくしていた。また、大相撲おおずもうのご意見いけんばんとしてテレビ朝日てれびあさひのワイドショーを中心ちゅうしん出演しゅつえん。1990ねんごろクモまく出血しゅっけつたおれ、2008ねん再発さいはつ[4]2014ねん8がつ29にち家族かぞく礼参れいまいことにん八幡宮はちまんぐうおとずれたさい本宮ほんぐうへの階段かいだんのぼっている最中さいちゅう循環じゅんかん疾患しっかんたおれ、むすめ息子むすこ救命きゅうめい措置そちほどこしたものの、搬送はんそうさき静岡しずおかけん掛川かけがわ病院びょういん死去しきょ。73さいぼつ[10][11][12]

通夜つや9月4にち葬儀そうぎ告別こくべつしき9月5にち東京とうきょう目黒めぐろ斎場さいじょういとなまれ、葬儀そうぎ委員いいんちょうきた富士ふじ勝昭かつあきつとめ、弔辞ちょうじきた富士ふじ生島いくしまヒロシんだ。通夜つや告別こくべつしきには「料理りょうり天国てんごく」で共演きょうえんした芳村よしむら真理まり西川にしかわきよしほかやくみつる、「あばれんぼう将軍しょうぐん」で共演きょうえんした松平まつだいらけんおなじく根本ねもとりつらが参列さんれつ出棺しゅっかんさいには「威風いふうどう」がながれ、拍手はくしゅと「龍虎りゅうこ!!」のこえけられた。かんにはつま手作てづく弁当べんとうれられた[7]

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:563しょう511はい48きゅう 勝率しょうりつ.524
  • 幕内まくうち成績せいせき:240しょう262はい25きゅう 勝率しょうりつ.478
  • 現役げんえき在位ざいい:110場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:36場所ばしょ
  • さんやく在位ざいい:4場所ばしょ小結こむすび4場所ばしょ
  • さんしょう:6かい
    • 殊勲賞しゅくんしょう:2かい(1969ねん3がつ場所ばしょ、1969ねん5がつ場所ばしょ
    • 敢闘かんとうしょう:4かい(1968ねん3がつ場所ばしょ、1969ねん3がつ場所ばしょ、1969ねん11月場所ばしょ、1970ねん9がつ場所ばしょ
  • 金星かなぼし:2大鵬たいほう1個いっこきたうみ1個いっこ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:2かい1968ねん1がつ場所ばしょ、1973ねん3がつ場所ばしょ
    • 幕下まくした優勝ゆうしょう:2かい1967ねん1がつ場所ばしょ、1972ねん9がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

龍虎りゅうこぜいとも
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1957ねん
昭和しょうわ32ねん
ぜん相撲すもう ぜん相撲すもう ぜん相撲すもう x 西にし序ノ口じょのくち4まい
4–4 
ひがしじょだん110まい
4–4 
1958ねん
昭和しょうわ33ねん
西にしじょだん96まい
4–4 
西にしじょだん89まい
5–3 
ひがしじょだん60まい
5–3 
ひがしじょだん38まい
4–4 
ひがしじょだん31まい
4–4 
西にしじょだん28まい
3–5 
1959ねん
昭和しょうわ34ねん
西にしじょだん34まい
3–5 
西にしじょだん38まい
6–2 
西にしじょだん15まい
3–5 
西にしじょだん19まい
4–4 
ひがしじょだん16まい
4–4 
西にしじょだん14まい
5–3 
1960ねん
昭和しょうわ35ねん
ひがしさんだん101まい
3–5 
西にしさんだん101まい
5–3 
ひがしさんだん72まい
4–4 
西にしさんだん67まい
4–3 
ひがしさんだん49まい
3–4 
ひがしさんだん62まい
5–2 
1961ねん
昭和しょうわ36ねん
西にしさんだん34まい
6–1 
ひがし幕下まくした81まい
4–3 
西にし幕下まくした63まい
4–3 
ひがし幕下まくした55まい
3–4 
ひがし幕下まくした63まい
1–6 
ひがしさんだん2まい
5–2 
1962ねん
昭和しょうわ37ねん
西にし幕下まくした62まい
3–4 
ひがし幕下まくした65まい
2–5 
ひがし幕下まくした79まい
6–1 
ひがし幕下まくした48まい
6–1 
ひがし幕下まくした24まい
3–4 
西にし幕下まくした23まい
3–4 
1963ねん
昭和しょうわ38ねん
西にし幕下まくした26まい
1–5–1 
ひがし幕下まくした45まい
4–3 
ひがし幕下まくした41まい
3–4 
西にし幕下まくした44まい
4–3 
西にし幕下まくした33まい
3–4 
ひがし幕下まくした37まい
5–2 
1964ねん
昭和しょうわ39ねん
ひがし幕下まくした24まい
3–4 
ひがし幕下まくした26まい
3–4 
西にし幕下まくした29まい
4–3 
西にし幕下まくした25まい
2–5 
ひがし幕下まくした42まい
5–2 
西にし幕下まくした27まい
4–3 
1965ねん
昭和しょうわ40ねん
ひがし幕下まくした25まい
3–4 
西にし幕下まくした31まい
5–2 
ひがし幕下まくした16まい
4–3 
西にし幕下まくした12まい
4–3 
西にし幕下まくした8まい
5–2 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
1–7 
1966ねん
昭和しょうわ41ねん
ひがし幕下まくした16まい
4–3 
ひがし幕下まくした14まい
2–5 
西にし幕下まくした22まい
3–4 
西にし幕下まくした26まい
3–4 
西にし幕下まくした29まい
4–3 
西にし幕下まくした24まい
5–2 
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
ひがし幕下まくした14まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがしじゅうりょう16まい
10–5 
ひがしじゅうりょう12まい
9–6 
西にしじゅうりょう7まい
8–7 
西にしじゅうりょう4まい
5–10 
ひがしじゅうりょう10まい
11–4 
1968ねん
昭和しょうわ43ねん
ひがしじゅうりょう3まい
優勝ゆうしょう
13–2
西前にしまえあたま9まい
11–4
ひがし前頭まえがしら3まい
2–13 
西前にしまえあたま9まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら10まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6 
1969ねん
昭和しょうわ44ねん
ひがし前頭まえがしら3まい
4–11 
西前にしまえあたま9まい
12–3
こと
ひがし前頭まえがしら2まい
8–7
こと
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
8–7 
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
3–12 
西前にしまえあたま6まい
11–4
1970ねん
昭和しょうわ45ねん
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
9–6 
西にし小結こむすび
8–7 
ひがし小結こむすび
5–10 
ひがし前頭まえがしら3まい
2–13 
ひがし前頭まえがしら11まい
13–2
ひがし小結こむすび
6–9 
1971ねん
昭和しょうわ46ねん
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
7–8 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
6–9 
西前にしまえあたま2まい
4–9–2[13] 
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
6–9 
西前にしまえあたま3まい
1–6–8[14] 
1972ねん
昭和しょうわ47ねん
ひがし前頭まえがしら12まい
休場きゅうじょう
0–0–15
ひがしじゅうりょう8まい
休場きゅうじょう
0–0–15
ひがし幕下まくした11まい
休場きゅうじょう
0–0–7
西にし幕下まくした42まい
6–1 
西にし幕下まくした22まい
優勝ゆうしょう
7–0
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
6–1 
1973ねん
昭和しょうわ48ねん
西にしじゅうりょう8まい
8–7 
西にしじゅうりょう7まい
優勝ゆうしょう
11–4
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
西前にしまえあたま12まい
10–5 
西前にしまえあたま5まい
6–9 
西前にしまえあたま7まい
8–7 
1974ねん
昭和しょうわ49ねん
ひがし前頭まえがしら5まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら7まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら3まい
7–8 
西前にしまえあたま4まい
5–10 
西前にしまえあたま9まい
9–6
西前にしまえあたま5まい
9–6 
1975ねん
昭和しょうわ50ねん
西にし小結こむすび
3–12 
ひがし前頭まえがしら8まい
8–7 
西前にしまえあたま5まい
引退いんたい
0–2–0
x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおさと 3 0 朝岡あさおか 1 0 浅瀬あさせがわ 4 1 あさとう 3 2
あさひこく 4 6 いわおとら 1 0 大潮おおしお 1 0 だいにしき 2 2
大鷲おおわし 2 2 うみ乃山 3 1 柏戸かしわど 0 3 きたうみ 3 1
きたうみ 1 7 きたはな 2 1 きた富士ふじ 3 13 清國きよくに 3 13
麒麟児きりんじ 2 1 黒姫山くろひめさん 3 10(1) こう鉄山てつざん 5 1 きんさくら 2 16
琴乃ことの冨士ふじ 1 0 きむつよし 5 4 白田しらださん 1 3 だい 0 1
だい 3 4 だい麒麟きりん 8 10(1) だい 4 3 大雪おおゆき 1 0
大鵬たいほう 1 9 大文字おおもじ 1 0 大雄たいゆう 9 2 大竜おおたつがわ 5 1
たかはな 3 6 高見山たかみやま 6 12 たまうみ 1 13 たま冨士ふじ 2 0
あきらさくら 1 0 天龍てんりゅう 3 1 どき葉山はやま 5 0 とちひがし 7 7(1)
とちおうやま 7 3 金城きんじょう 1 3 とち富士ふじ 3 1 羽黒はぐろいわ 7 7
長谷川はせがわ 10 13 廣川ひろかわ 1 0 ぶくはな 13 12 富士ふじさくら 6 0
富士ふじにしき 3 1 藤ノ川ふじのかわ 6 6 二子ふたごだけ 7 3 まえやま 8 9
ぞう位山くらいやま 3 0 丸山まるやま 0 1 三重みえうみ 7 4 みそぎおおとり 2 0
あきら武谷たけや 1 2 陸奥むつあらし 9 10 豊山とよやま 0 1 豊山とよやま 2 3
きちおうやま 2 2 きちたに 1 2 よしはな 1 5 琉王 3 3
わか獅子しし 3 2 若浪わかのなみ 6 2 わか鳴門なると 1 0 わかさんすぎ 1 4
わか 4 4 若見わかみさん 1 1 鷲羽山わしゅうざん 3(1) 1
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず

出演しゅつえん[編集へんしゅう]

映画えいが[編集へんしゅう]

テレビドラマ[編集へんしゅう]

そののテレビ番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

ラジオ番組ばんぐみ[編集へんしゅう]

舞台ぶたい[編集へんしゅう]

  • 国定くにさだ忠治ただはる/北島きたじま三郎さぶろうおおいにうたう(北島きたじま三郎さぶろう 特別とくべつ公演こうえん

CM[編集へんしゅう]

著書ちょしょ[編集へんしゅう]

  • 『どうにかなるさ』:1975ねん、ごま書房しょぼう

脚注きゃくちゅう引用いんよう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b もと小結こむすび龍虎りゅうこさん死去しきょ…「料理りょうり天国てんごく」などタレント、俳優はいゆうでも活躍かつやく - スポニチアネックス 2014ねん8がつ31にち閲覧えつらん
  2. ^ a b c d e f g h i ベースボールマガジンしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(2) しょせき部屋へや』p26
  3. ^ 桃太郎ももたろうさむらいだい124日本一にっぽんいちあばぐま」(時代じだいげき専門せんもんチャンネルでの番組ばんぐみ紹介しょうかい記事きじ
  4. ^ a b [1]テレビ東京てれびとうきょう レディス4 2007ねん10がつ11にち
  5. ^ 龍虎りゅうこさん死去しきょ家族かぞくとハイキングちゅう神社じんじゃたおれる もと小結こむすび、タレント”. ハフポスト. (2014ねん8がつ30にち). https://m.huffingtonpost.jp/2014/08/30/ryuko_n_5742612.html 2020ねん3がつ20日はつか閲覧えつらん 
  6. ^ a b c 龍虎りゅうこさん告別こくべつしききた富士ふじほそくてへなちょこだった」 msn産経さんけいニュース 2014.9.6 06:56
  7. ^ a b c d e f g h 非業ひごうげためい力士りきし龍虎りゅうこ(小結こむすび)」 WJN 2018ねん12月19にち 1700ふん 週刊しゅうかん実話じつわ2018ねん12月27にちごう誌面しめんより (日本ジャにほんじゃナル出版なるしゅっぱん、2019ねん3がつ30にち閲覧えつらん
  8. ^ 龍虎りゅうこおなはなかご部屋へやわか乃洲さとわたるしん弟子でし検査けんさこそ龍虎りゅうこきた富士ふじ同期どうきであったが準備じゅんび不足ふそく理由りゆうはつ土俵どひょうが1場所ばしょおくれの1957ねん3がつ場所ばしょとなった。
  9. ^ a b 雑誌ざっし相撲すもう別冊べっさつ菊花きっかごう 創業そうぎょう70周年しゅうねん特別とくべつ企画きかくシリーズ(3)かしわほう時代じだい やわら大鵬たいほう つよし柏戸かしわど――大型おおがた横綱よこづなたちの君臨くんりん(ベースボールマガジンしゃ、2016ねん) p48-53
  10. ^ 龍虎りゅうこさんが死去しきょ 73さい心筋梗塞しんきんこうそく デイリースポーツ 2014ねん8がつ30にち
  11. ^ 龍虎りゅうこさん死去しきょ 旅行りょこうちゅう心筋梗塞しんきんこうそく救急きゅうきゅう搬送はんそう 日刊にっかんスポーツ 2014ねん8がつ30にち
  12. ^ 龍虎りゅうこさん急死きゅうし 家族かぞく旅行りょこう神社じんじゃ心肺しんぱい停止ていし 日刊にっかんスポーツ 2014ねん8がつ31にち
  13. ^ みぎひじ関節かんせつはなれだんせいこつ軟骨なんこつえんにより13にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  14. ^ ひだりアキレス腱あきれすけんだんきれにより7にちから途中とちゅう休場きゅうじょう

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]