鷲羽山わしゅうざん佳和よしかず

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鷲羽山わしゅうざん 佳和よしかず
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい 鷲羽山わしゅうざん 佳和よしかず
本名ほんみょう 石田いしだ けいいん
生年月日せいねんがっぴ (1949-04-02) 1949ねん4がつ2にち(75さい
出身しゅっしん 岡山おかやまけん児島こじま現在げんざい倉敷くらしき
身長しんちょう 175cm
体重たいじゅう 112kg
BMI 36.57
所属しょぞく部屋へや 出羽海でわのうみ部屋へや
得意とくいわざ し、いなし
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう ひがし関脇せきわけ
生涯しょうがい戦歴せんれき 699しょう646はい83きゅう (112場所ばしょ)
幕内まくうち戦歴せんれき 319しょう353はい63きゅう (49場所ばしょ)
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう3かい
しょう 敢闘かんとうしょう3かい
技能ぎのうしょう5かい[1]
データ
はつ土俵どひょう 1967ねん3がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1973ねん5月場所ばしょ
引退いんたい 1985ねん11月場所ばしょ
引退いんたい 年寄としより境川さかいがわどう出羽海でわのうみどう高崎たかさき
活動かつどう 日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじ(6
2002ねん2がつ - 2014ねん4がつ
日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい評議ひょうぎいん(1
2018ねん3がつ -
備考びこう
金星かなぼし2きんさくら1個いっこきたうみ1個いっこ
出羽海でわのうみ部屋へやぜん師匠ししょう
2018ねん3月26にち現在げんざい

鷲羽山わしゅうざん 佳和よしかず(わしゅうやま よしかず、1949ねん4がつ2にち - )は、岡山おかやまけん児島こじま現在げんざい倉敷くらしき出身しゅっしん出羽海でわのうみ部屋へや所属しょぞくしたもと大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう石田いしだ けいいん(いしだ よしかず、旧姓きゅうせい鈴木すずき)。身長しんちょう175cm、体重たいじゅう112kg。得意とくいしゅし、いなし。最高さいこうひがし関脇せきわけ(1976ねん5がつ場所ばしょ)。

引退いんたい年寄としより境川さかいがわて、1996ねん2がつから2014ねん1がつまで年寄としより出羽海でわのうみ襲名しゅうめいし、出羽海でわのうみ部屋へや師匠ししょうつとめた。

来歴らいれき[編集へんしゅう]

岡山おかやま県立けんりつ琴浦ことうら高等こうとう学校がっこうげん岡山おかやま県立けんりつ倉敷くらしきわし高等こうとう学校がっこう)を中退ちゅうたいして、あにじゅうりょうつねやま)が所属しょぞくしていた出羽海でわのうみ部屋へやから1967ねん3がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。はつ土俵どひょうさい同姓どうせい力士りきしすで在籍ざいせきしており四股しこめいえらびにこまっていたところ、入門にゅうもんまえ姻戚いんせき関係かんけいたる初代しょだいつねやまとのえんつねやまわか名乗なのりである鷲羽山わしゅうざんあたえられ、以後いご引退いんたいまで鷲羽山わしゅうざんとおす。身長しんちょう173cmという入門にゅうもん規定きていぎりぎりで合格ごうかくし、ちいさいからだ活躍かつやくした。1972ねん7がつ場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしんぜん場所ばしょ取組とりくみ負傷ふしょうし、しんじゅうりょう場所ばしょ全休ぜんきゅうする不運ふうん見舞みまわれたものの、1972ねん1がつ場所ばしょよりれられた公傷こうしょう制度せいどじゅうりょう力士りきしとしてはじめて適用てきようされたことで、「じゅうりょう土俵どひょうがらないまま幕下まくした陥落かんらく」という事態じたいまぬかれ、実質じっしつてきしんじゅうりょう場所ばしょとされた1972ねん9がつ場所ばしょでもしはできなかったものの、十両じゅうりょう残留ざんりゅう相当そうとう成績せいせきおさめた。以降いこう負傷ふしょう回復かいふくし、しん入幕にゅうまくたした1973ねん5月場所ばしょでは、初日しょにちから8連勝れんしょうするとともに大関おおぜき清國きよくにやぶ殊勲しゅくんほしげる[2]など11しょう4はいだいちし、この好成績こうせいせき敢闘かんとうしょう受賞じゅしょうした[1][3]1977ねん7がつ場所ばしょでは、殊勲しゅくん敢闘かんとうしょう該当がいとうなく、技能ぎのうしょうかれだけがさんしょう受賞じゅしょうしゃとなるというめずらしい状態じょうたいになったこともあった。

小柄こがらながら正攻法せいこうほう相撲すもうで、りやし、いなしとった多彩たさいわざなが土俵どひょうかせた[1][3]。『ちびっギャング』[3][4]異名いみょうり、あさひこくきたうみらとともに小兵こひょう旋風せんぷうかせ技能ぎのう力士りきしとして人気にんきはくした。きたうみには1975ねん11月場所ばしょ8にち金星かなぼし獲得かくとく、またしん小結こむすびだった1976ねん3がつ場所ばしょ4にちにも勝利しょうりしている。このだい横綱よこづなをして、「あのひとぼくとは相撲すもう見方みかたちがう」とわしめた力士りきしだった。ただし輪島わじまたいしては極端きょくたん成績せいせきわるく、はつかおから18たたかってついに、いちてずにわった。

しょう兵力へいりょくながら36さいまで現役げんえきつとめており、大型おおがた力士りきし輩出はいしゅつした時代じだいなかでは特筆とくひつされる。現役げんえき時代じだい晩年ばんねんには幕内まくうちじゅうりょう往復おうふくしていたが、その当時とうじ黒船くろふねしょうされるほどのかい進撃しんげきつづけていたしょうにしきはちじゅうきちやぶり、話題わだいになった。 1985ねん11月場所ばしょ現役げんえき引退いんたいして年寄としより境川さかいがわ襲名しゅうめいし、以後いご出羽海でわのうみ部屋へやきの親方おやかたとして、後進こうしん指導しどうたった。

1996ねん2がつには、出羽海でわのうみ理事りじちょう横綱よこづな佐田さだやま)が理事りじちょうしょく専念せんねんするため出羽海でわのうみ部屋へや経営けいえいからはなれることになったことをけて、出羽海でわのうみ境川さかいがわ年寄としより名跡みょうせき交換こうかんして10代出羽海でわのうみ襲名しゅうめいするとともに伝統でんとうある出羽海でわのうみ部屋へや継承けいしょうした[3]2002ねんには、出羽海でわのうみ一門いちもん代表だいひょうして日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじ就任しゅうにんした。

直弟子じきでしからは、小結こむすび普天ふてんおうじゅうりょう出羽でわおおとり出羽でわたいらそだてた。自身じしん停年ていねん退職たいしょくには出羽でわ疾風しっぷうじゅうりょう昇進しょうしんしている。

2010ねん3月31にち大関おおぜき瑠都昇進しょうしん伝達でんたつしき使者ししゃつとめたさいには、私服しふく姿すがたよる繁華はんかがい闊歩かっぽしたことなどで過去かこに2厳重げんじゅう注意ちゅういけたれいいにして「相撲すもう大事だいじだけど、私生活しせいかつもな。これからは、横綱よこづなみたいに注目ちゅうもくされるのだから」と瑠都に苦言くげんていする異例いれい様子ようすせた。同年どうねん1がつ場所ばしょ直後ちょくご横綱よこづなあさあおりゅう一般人いっぱんじんへの暴力ぼうりょく行為こういはたらいた不祥事ふしょうじけて引責いんせき引退いんたいしたばかりであっただけにこの時期じきには外国がいこく出身しゅっしん力士りきし品格ひんかくきびしくわれていた。出羽海でわのうみ伝達でんたつしきからげるさいにも「うえ目指めざして努力どりょくしてほしいが、私生活しせいかつでもめてもらわないといけない」とあらためてうったえた[5]

2010ねん発覚はっかくした大相撲おおずもう野球やきゅう賭博とばく問題もんだいでは執行しっこう事業じぎょう部長ぶちょう)として、また弟子でし野球やきゅう賭博とばく関与かんよ監督かんとく責任せきにんで、名古屋なごや場所ばしょ謹慎きんしん処分しょぶんとなる[6]場所ばしょちゅう入院にゅういんした武蔵川むさしがわ理事りじちょうから場所ばしょ理事りじちょう代行だいこう指名しめいけていたが、賭博とばく問題もんだいけて発足ほっそくした特別とくべつ調査ちょうさ委員いいんかい山口やまぐち弘典ひろのり暴力団ぼうりょくだんへの維持いじいんせきのチケットがわたったとされる問題もんだいで、山口やまぐち委員いいん就任しゅうにんまえ報告ほうこくけながら黙認もくにんしたことが問題もんだいとなり、代行だいこう場所ばしょちゅうつとめた外部がいぶ理事りじ村山むらやま弘義ひろよしがそのままつとめることになった[7]

2014ねん4がつ停年ていねん定年ていねん)をむかえることにともない、同年どうねん1がつ場所ばしょもと前頭まえがしら2・小城おぎはな高崎たかさき親方おやかた名跡みょうせき交換こうかん出羽海でわのうみ部屋へや継承けいしょうさせ、自身じしんは15だい高崎たかさき襲名しゅうめいしたのち予定よていどお同年どうねん4がつ1にちづけ日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい停年ていねん退職たいしょくした。

停年ていねん退職たいしょく2016ねん12月20にちだい49かい日本にっぽんプロスポーツ大賞たいしょう授賞じゅしょうしきで、スポーツ功労こうろうしゃ文部もんぶ科学かがく大臣だいじん顕彰けんしょう受賞じゅしょうした[8]2018ねん3月26にち日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい評議ひょうぎいん就任しゅうにん[9]

御嶽みたけかい大関おおぜき昇進しょうしんたしたさいには、かつて出羽海でわのうみ部屋へや師匠ししょうつとめたもの立場たちばで「部屋へや一丸いちがんとなって大関おおぜきつくってくれた。これに満足まんぞくせず、横綱よこづなけてなお一層いっそう努力どりょくしてしい。年齢ねんれいが30になろうとしている。1にちはやあしがかりをつくってゆめ実現じつげんさせてもらいたい」とコメント[10]

人物じんぶつ[編集へんしゅう]

  • 四股しこめい由来ゆらいである鷲羽山わしゅうざん実家じっかのすぐそばにあり、本人ほんにんいわく「あまりに平凡へいぼんいやだった。いから電話でんわがあっても近所きんじょやまほう混同こんどうされそうでずかしかった」といい、私生活しせいかつじることなくこの四股しこめい名乗なのることができるようになるまで襲名しゅうめい以降いこう1ねんから2ねんようしたという[11]
  • 現役げんえき時代じだいから語彙ごいおお表現ひょうげんりょくけており、「高見山たかみやまられたとき宇宙うちゅう遊泳ゆうえいしてるようだった」などの名言めいげんのこした。
  • 土俵入どひょういでは、はらたいらえがいた「モンローちゃん」の化粧廻けしょうまわしを使用しようした時期じきもある[12]
  • 新年しんねん恒例こうれい番組ばんぐみだった『大相撲おおずもう部屋へやべつ対抗たいこう歌合戦うたがっせん』(フジテレビ)では親方おやかた時代じだいいたるまでみずからセンターにつなど、意欲いよくてき参加さんかしていた。現役げんえき時代じだい、カラオケでは演歌えんかなつメロでみぎものはいないという歌唱かしょうりょくほこったが、現役げんえき当時とうじ座談ざだんかいでは「五木いつきひろしのうたオンリー」とっていた[13]
  • 相撲すもう茶屋ちゃや伊勢福いせふく」の女将おかみもと小結こむすび大起だいき未亡人みぼうじん)の養子ようしとなって、鈴木すずきせいから石田いしだせいあらためた。
  • 1981ねん3がつ場所ばしょ6にちおこなわれた座談ざだんかいでは9だい出羽海でわのうみよろこかおるために相撲すもうっていることなどをかした[14]
  • 現役げんえき幕内まくうち力士りきしである石浦いしうら宮城野みやぎの部屋へや)が「自分じぶん尊敬そんけいし、目標もくひょうとする力士りきし」として鷲羽山わしゅうざんげている[8][15]

おも成績せいせき記録きろく[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:699しょう646はい83きゅう 勝率しょうりつ.520
  • 幕内まくうち成績せいせき:319しょう353はい63きゅう 勝率しょうりつ.475
  • 現役げんえき在位ざいい:112場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:49場所ばしょ
  • さんやく在位ざいい:5場所ばしょ関脇せきわけ3場所ばしょ小結こむすび2場所ばしょ
  • さんしょう:8かい[16]
    • 敢闘かんとうしょう:3かい (1973ねん5がつ場所ばしょ、1975ねん9がつ場所ばしょ、1976ねん3がつ場所ばしょ
    • 技能ぎのうしょう:5かい (1976ねん1がつ場所ばしょ、1976ねん5がつ場所ばしょ、1976ねん11月場所ばしょ、1977ねん5がつ場所ばしょ、1977ねん7がつ場所ばしょ
  • 金星かなぼし:2きんさくら1個いっこきたうみ1個いっこ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:3かい(1978ねん5がつ場所ばしょ、1978ねん7がつ場所ばしょ、1983ねん3がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

鷲羽山わしゅうざん 佳和よしかず
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
x ぜん相撲すもう 西にし序ノ口じょのくち22まい
6–1 
ひがしじょだん67まい
5–2 
ひがしじょだん20まい
5–2 
ひがしさんだん85まい
5–2 
1968ねん
昭和しょうわ43ねん
西にしさんだん54まい
4–3 
ひがしさんだん42まい
3–4 
西にしさんだん55まい
2–5 
西にしさんだん71まい
3–4 
西にしさんだん80まい
5–2 
西にしさんだん47まい
4–3 
1969ねん
昭和しょうわ44ねん
ひがしさんだん36まい
6–1 
ひがしさんだん2まい
3–4 
西にしさんだん7まい
5–2 
ひがし幕下まくした44まい
3–4 
ひがし幕下まくした51まい
4–3 
西にし幕下まくした40まい
5–2 
1970ねん
昭和しょうわ45ねん
西にし幕下まくした22まい
2–5 
西にし幕下まくした32まい
2–5 
西にし幕下まくした46まい
3–4 
西にし幕下まくした53まい
3–4 
ひがしさんだん2まい
6–1 
ひがし幕下まくした35まい
6–1 
1971ねん
昭和しょうわ46ねん
ひがし幕下まくした14まい
0–3–4 
西にし幕下まくした43まい
3–4 
ひがし幕下まくした51まい
5–2 
西にし幕下まくした27まい
6–1 
ひがし幕下まくした8まい
4–3 
西にし幕下まくした6まい
4–3 
1972ねん
昭和しょうわ47ねん
西にし幕下まくした3まい
3–4 
西にし幕下まくした5まい
4–3 
西にし幕下まくした2まい
5–1–1 
西にしじゅうりょう10まい
休場きゅうじょう
0–0–15
西にしちょういずる十両じゅうりょう10まい
7–8 
ひがしじゅうりょう12まい
9–6 
1973ねん
昭和しょうわ48ねん
ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
西にしじゅうりょう2まい
9–6 
西前にしまえあたま13まい
11–4
ひがし前頭まえがしら2まい
6–9 
西前にしまえあたま3まい
6–9 
西前にしまえあたま6まい
7–8 
1974ねん
昭和しょうわ49ねん
西前にしまえあたま7まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら4まい
7–8
西前にしまえあたま5まい
2–6–7[17] 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
ひがし前頭まえがしら10まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら12まい
1–3–11[18] 
1975ねん
昭和しょうわ50ねん
ひがしじゅうりょう9まい
8–7 
西にしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう5まい
10–5 
西前にしまえあたま12まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら7まい
11–4
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
5–10
1976ねん
昭和しょうわ51ねん
ひがし前頭まえがしら6まい
12–3
わざ
ひがし小結こむすび
10–5
ひがし関脇せきわけ
8–7
わざ
西にし関脇せきわけ
5–10 
ひがし前頭まえがしら3まい
7–8 
西前にしまえあたま4まい
10–5
わざ
1977ねん
昭和しょうわ52ねん
西にし小結こむすび
6–9 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
6–9 
西前にしまえあたま4まい
8–7
わざ
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
9–6
わざ
西にし関脇せきわけ
3–12 
ひがし前頭まえがしら4まい
6–9 
1978ねん
昭和しょうわ53ねん
西前にしまえあたま8まい
休場きゅうじょう
0–0–15
ひがしじゅうりょう7まい
8–7 
ひがしじゅうりょう6まい
優勝ゆうしょう
11–4
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
優勝ゆうしょう
10–5
ひがし前頭まえがしら10まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら11まい
8–7 
1979ねん
昭和しょうわ54ねん
ひがし前頭まえがしら7まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら3まい
1–6–8[19] 
西前にしまえあたま13まい
4–11 
ひがしじゅうりょう4まい
9–6 
西前にしまえあたま14まい
8–7 
西前にしまえあたま10まい
9–6 
1980ねん
昭和しょうわ55ねん
西前にしまえあたま2まい
5–10 
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
3–12 
西前にしまえあたま10まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら6まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
5–10 
1981ねん
昭和しょうわ56ねん
西前にしまえあたま7まい
6–9 
西前にしまえあたま10まい
10–5 
西前にしまえあたま3まい
7–8 
西前にしまえあたま4まい
7–8 
西前にしまえあたま4まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
4–4–7[20] 
1982ねん
昭和しょうわ57ねん
ひがし前頭まえがしら10まい
休場きゅうじょう
0–0–15
西にしじゅうりょう4まい
6–9 
ひがしじゅうりょう9まい
7–8 
ひがしじゅうりょう10まい
9–6 
西にしじゅうりょう4まい
5–10 
西にしじゅうりょう9まい
10–5 
1983ねん
昭和しょうわ58ねん
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
7–8 
ひがしじゅうりょう3まい
優勝ゆうしょう
11–4
西前にしまえあたま11まい
7–8 
西前にしまえあたま12まい
6–9 
西にしじゅうりょう3まい
9–6 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
1984ねん
昭和しょうわ59ねん
ひがし前頭まえがしら11まい
5–10 
ひがしじゅうりょう2まい
8–7 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
西前にしまえあたま11まい
6–9 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
8–7 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
6–9 
1985ねん
昭和しょうわ60ねん
ひがしじゅうりょう7まい
6–9 
西にしじゅうりょう8まい
10–5 
ひがしじゅうりょう4まい
7–8 
ひがしじゅうりょう6まい
7–8 
ひがしじゅうりょう7まい
6–9 
西にしじゅうりょう11まい
引退いんたい
6–9–0
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
青葉あおばじょう 10 6 青葉山あおばやま 5 4 あさしお(あさしお) 1 5 あさひこく 4 9
てんやま 5 3 あらぜい 14 12 板井いたい 0 4 岩波いわなみ 3 2
大潮おおしお 7 5 きょほう 5 4 だいうみ 1 0 だい乃国 0 1
大豊たいほう 0 3 大鷲おおわし 2 2 魁輝かいき 5 8 さきがけすぐる 5 8
かげとら 1 1 きたうみ 6 4 きたうみ 2 17 きた富士ふじ 0 1
清國きよくに 2 0 霧島きりしま 0 1 麒麟児きりんじ 7 4 ぞうあいだ 5 6
黒瀬川くろせがわ 5 3 黒姫山くろひめさん 13 9 こう鐵山てつざん(こう鉄山てつざん) 1 3 こうのぞむさん 1 0
きんふう 3 3 きんさくら 1 2 きんせんさい 1 0 琴乃ことの富士ふじ 4 2
きんわか 1 3 小錦こにしき 1 0 きむつよし 3 3 ひとし 1 0
蔵玉くらだまにしき 4 3 嗣子ししおおとり 2 1 白田しらださん 1 1 陣岳じんだけ 1 1
かみみゆき 1 0 だい 1 0 だい 2 0 だい麒麟きりん 0 2
だい 1 1 だい 3 4 大寿だいずさん 2 3 だいてっ 1 1
大登おおのぼり(だい) 0 1 大竜おおたつがわ 2 0 りゅうさと 10 5 たかはな 4 12(1)
隆三りゅうぞうすぎ 0 2 高見山たかみやま 9 4 多賀たがりゅう 1 1 たにあらし 2 1
たま輝山てらしやま 3 2 たま富士ふじ 11 10(1) たまりゅう 0 1 千代ちよさくら 1 0
千代ちよ富士ふじ 1 10 天龍てんりゅう 2 4 たたかえりゅう 4 3 どき葉山はやま 2 0
とち赤城せきじょう 5 8 とちひがし 4 3 とちひかり 6 14(1) 羽黒はぐろいわ 0 3
長谷川はせがわ 2 3 播竜やま 4 2 飛騨ひだ乃花(飛騨ひだはな) 2 1 富士ふじさくら 13 10
二子ふたごだけ 5 2 そうりゅう 1 6 鳳凰ほうおう 2 2 きた天佑てんゆう 3 2
まえやま 0 1 ぞう位山くらいやま 9 8 舛田ますださん 13 1 三杉みすぎいそ(東洋とうよう) 2 5
陸奥むつあらし 4 1 豊山とよやま 5 10 きちおうやま 4 1 琉王 6 1
龍虎りゅうこ 1 3(1) わか獅子しし 8 4 わか嶋津しまづ(若島わかしま) 3 1 わか瀬川せかわ 0 1
わかうみ 1 4 若乃花わかのはな(わかさんすぎ) 3 18 わか富士ふじ 0 1 わか 1 0
輪島わじま 0 18
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず

年寄としより変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • 境川さかいがわ 佳和よしかず(さかいがわ よしかず)1985ねん11月-1996ねん2がつ
  • 出羽海でわのうみ 義和よしかず(でわのうみ よしかず)1996ねん2がつ-2014ねん1がつ
  • 高崎たかさき 義和よしかず(たかさき -)2014ねん2がつ-2014ねん4がつ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 戦後せんごしん入幕にゅうまく力士りきし物語ものがたり だい3かん』(著者ちょしゃ佐竹さたけよしあつし発行はっこうもとスボすぼル・マガジン社るまがじんしゃ1991ねん、p616-p628)
  • ベースボールマガジンしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』(2017ねん、B・B・MOOK)

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c 大相撲おおずもうジャーナル』2017ねん6がつごう109ぺーじ
  2. ^ 清國きよくにめに土俵際どひょうぎわまったが、清國きよくにとっしゅ手繰たぐってうしろへまわるとおくして勝利しょうり
    大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』p49
  3. ^ a b c d 大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』p27
  4. ^ 角界かくかい異名いみょう列伝れつでん ウルフの時代じだい 時事じじドットコム
  5. ^ ノーモアあさあおりゅう大関おおぜき瑠都に使者ししゃ物言ものいい” Sponichi Annex 2010ねん04がつ01にち
  6. ^ 2010ねん 7がつ5にち朝日新聞あさひしんぶん
  7. ^ 維持いじいんせき問題もんだい辞任じにん拒否きょひ山口やまぐち特別とくべつ調査ちょうさ委員いいん解任かいにん スポニチアネックス 2010ねん7がつ24にち閲覧えつらん
  8. ^ a b もと関脇せきわけ鷲羽山わしゅうざん石田いしだけいいん日本にっぽんプロスポーツ大賞たいしょうスポーツ功労こうろうしゃ文部もんぶ科学かがく大臣だいじん顕彰けんしょう受賞じゅしょう 2016ねん12がつ20日はつか2013ふん スポーツ報知ほうち
  9. ^ 現職げんしょくにん新任しんにんにん 10にん親方おやかた理事りじ選任せんにん. 毎日新聞まいにちしんぶん. (2018ねん3がつ26にち). https://mainichi.jp/articles/20180327/k00/00m/050/119000c 2018ねん3がつ26にち閲覧えつらん 
  10. ^ もと関脇せきわけ鷲羽山わしゅうざん石田いしだけいいん御嶽みたけかい大関おおぜき昇進しょうしんに「横綱よこづなけて一層いっそう努力どりょくを」 日刊にっかんスポーツ 2022ねん1がつ26にち1344ふん (2022ねん1がつ26にち閲覧えつらん)
  11. ^ 相撲すもう』2014ねん3がつごう72ぺーじ
  12. ^ 千代ちよだいりゅうは「キン肉マンきんにくまん」/おも漫画まんが化粧けしょうまわしメモ 日刊にっかんスポーツ 2017ねん4がつ25にち950ふん 紙面しめんから
  13. ^ 大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』p56
  14. ^ 大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』p57
  15. ^ 石浦いしうら 鳥取とっとりから53ねんぶり関取せきとりはくほう内弟子うちでし 目標もくひょう鷲羽山わしゅうざん. Sponichi ANNEX. スポすぽツニッポン新聞社つにっぽんしんぶんしゃ. (2015ねん1がつ29にち). https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/01/29/kiji/K20150129009710960.html 2017ねん2がつ27にち閲覧えつらん 
  16. ^ 殊勲賞しゅくんしょう受賞じゅしょう経験けいけんがない力士りきしとしては、最多さいたである。
  17. ^ ひだり足首あしくび関節かんせつ捻挫ねんざにより3にちから途中とちゅう休場きゅうじょう、11にちからさい出場しゅつじょう
  18. ^ みぎ足首あしくび関節かんせつ捻挫ねんざにより4にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  19. ^ みぎひざ関節かんせつ捻挫ねんざにより7にちから途中とちゅう休場きゅうじょう
  20. ^ みぎひざ関節かんせつ捻挫ねんざにより8にちから途中とちゅう休場きゅうじょう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]