こう鐵山てつざん孝之たかゆきすすむ

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こう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむ
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい あおいりゅう 孝之たかゆきすすむこう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむ瀬川せかわ 孝之たかゆきすすむこう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむこう鉄山てつざん ゆたか
本名ほんみょう かん 孝之たかゆきすすむ
生年月日せいねんがっぴ (1942-07-09) 1942ねん7がつ9にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1996-04-14) 1996ねん4がつ14にち(53さいぼつ
出身しゅっしん 北海道ほっかいどう小樽おたる
身長しんちょう 178cm
体重たいじゅう 128kg
所属しょぞく部屋へや 朝日山あさひやま部屋へや
得意とくいわざ ひだりよっ
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし関脇せきわけ
生涯しょうがい戦歴せんれき 661しょう668はい10きゅう(107場所ばしょ
幕内まくうち戦歴せんれき 323しょう425はい2きゅう(50場所ばしょ
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
しょう 敢闘かんとうしょう1かい
技能ぎのうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 1957ねん3がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1963ねん9月場所ばしょ
引退いんたい 1975ねん1がつ場所ばしょ
引退いんたい 年寄としよりだい鳴戸なると(のちだい鳴戸なると部屋へや創設そうせつ)
備考びこう
金星かなぼし2
2023ねん3月24にち現在げんざい

こう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむ(こうてつやま こうのしん、1942ねん7がつ9にち - 1996ねん4がつ14にち)は、北海道ほっかいどう小樽おたる廐町出身しゅっしん朝日山あさひやま部屋へや所属しょぞくした大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょうかん 孝之たかゆきすすむ(すが こうのしん)。身長しんちょう178cm、体重たいじゅう128kg、得意とくいしゅひだりよっし。最高さいこう西にし関脇せきわけ1967ねん1がつ場所ばしょ[1]

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

14さいとき上京じょうきょうし、朝日山あさひやま部屋へや入門にゅうもん師匠ししょうもと関脇せきわけ瀬川せかわ政一まさかず)。1957ねん3がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。同年どうねん5がつ場所ばしょでは番付ばんづけがいからしんじょがり好成績こうせいせきおさめたので、よく9がつ場所ばしょ当時とうじ、7がつ場所ばしょはなかった)ではいきなりじょだんいた。当初とうしょ四股しこめいである「あおいりゅう」は、実兄じっけいあおい商事しょうじ札幌さっぽろ支店してんちょうつとめていたことにちなんでいる。

1963ねん1がつ場所ばしょではしんじゅうりょう昇進しょうしんして、朝日山あさひやま部屋へや再興さいこう期待きたいになった。その同年どうねん9がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく[1]一時期いちじきじゅうりょうとの往復おうふくつづいたが、当代とうだい師匠ししょうもと関脇せきわけこう津山つやま芳信よしのぶ)が死去しきょしてだい鳴戸なると部屋へや師匠ししょうもと関脇せきわけ瀬山せやままさる)と合同ごうどうしてからはわかという同年代どうねんだい好敵手こうてきしゅて、両者りょうしゃきそって幕内まくうち上位じょうい活躍かつやくした。

1966ねん3がつ場所ばしょ前頭まえがしら9まいで11しょうをあげてはつさんしょう敢闘かんとうしょう)を獲得かくとくどう11がつ場所ばしょでは前頭まえがしら4まいはつ金星かなぼし佐田さだやま)をふくむ12しょう3はい技能ぎのうしょう獲得かくとくし、よく1967ねん1がつ場所ばしょしん関脇せきわけ昇進しょうしんした。だが、3しょう12はいおおきくして1場所ばしょ平幕ひらまく逆戻ぎゃくもどり。結局けっきょくさんやく在位ざいいはこの1場所ばしょだけで、小結こむすび経験けいけん皆無かいむわった[1][ちゅう 1]

うでをうまく使つかったスピードあるし、タイミングわざあじであった[1]

現役げんえき晩年ばんねんふたたじゅうりょう幕内まくうちとの往復おうふくかえし、じゅうりょう下位かい途中とちゅう休場きゅうじょうした1975ねん1がつ場所ばしょ最後さいごに、32さい引退いんたい。その年寄としよりだい鳴戸なると襲名しゅうめいして朝日山あさひやま部屋へやきの親方おやかたとなったが、同年どうねん10がつどう部屋へやから弟子でし1にんれて独立どくりつだい鳴戸なると部屋へや創設そうせつした[1]

師匠ししょうとなってからは、実業じつぎょうだん相撲すもう英才えいさい板井いたい小結こむすびに、維新いしんりょくじゅうりょうそだげた。しかし、板井いたい引退いんたい相撲すもう協会きょうかいのこれず、維新いしんりょく廃業はいぎょうプロレスラー転身てんしんしてからは関取せきとり部屋へや衰退すいたい1995ねんには連帯れんたい保証人ほしょうにんとなった借金しゃっきんのためにまもなく部屋へや力士りきし桐山きりやま部屋へやゆずって、自身じしん名跡みょうせきだい鳴戸なると武蔵川むさしがわもと横綱よこづな三重みえうみ)に売却ばいきゃくして相撲すもう協会きょうかいはなれた。廃業はいぎょう名古屋なごや天白てんぱくらしていた。

1996ねんに「もとだい鳴戸なると親方おやかた名義めいぎで『八百長やおちょう相撲すもう協会きょうかい一刀両断いっとうりょうだん~』というほん鹿砦ろくさいしゃから出版しゅっぱんし、横綱よこづなきた富士ふじ八百長やおちょうぶり[ちゅう 2]女癖おんなぐせわる[ちゅう 3]および角界かくかい脱税だつぜい体質たいしつ[ちゅう 4]、さらには力士りきし大麻たいま吸引きゅういん賭博とばく行為こうい告発こくはつした。そしてみずからもおおむ同様どうようにそのような行為こういおよんでいたともかしていた。だが、同年どうねん4がつ原因げんいん不明ふめい急性きゅうせい重症じゅうしょう肺炎はいえんおよ原因げんいん不明ふめい心不全しんふぜんにより、愛知あいちけん豊明とよあけ藤田保健衛生大学ふじたほけんえいせいだいがく病院びょういんうち死去しきょした。53さいぼつ戒名かいみょう墓所はかしょ不明ふめいである。

告発こくはつほん発売はつばい直前ちょくぜんであること、まただい鳴戸なると部屋へや後援こうえん会長かいちょうつとめた橋本はしもと成一郎せいいちろうも「同日どうじつどう病院びょういん同様どうよう原因げんいん不明ふめい呼吸こきゅう障害しょうがいおよ心臓しんぞう停止ていし」で死亡しぼうしたため事件じけんせいうたがわれるが、病死びょうしとして処理しょりされた。

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:661しょう668はい10きゅう 勝率しょうりつ.497
  • 幕内まくうち成績せいせき:323しょう425はい2きゅう 勝率しょうりつ.432
  • 現役げんえき在位ざいい:107場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:50場所ばしょ
  • さんやく在位ざいい:1場所ばしょ関脇せきわけ1場所ばしょ
  • さんしょう:2かい
    • 敢闘かんとうしょう:1かい(1966ねん3がつ場所ばしょ
    • 技能ぎのうしょう:1かい(1966ねん11月場所ばしょ
  • 金星かなぼし:2佐田さだやま1個いっこ大鵬たいほう1個いっこ
  • かくだん優勝ゆうしょう十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい(1963ねん7がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

こう鉄山てつざん孝之たかゆきすすむ
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1957ねん
昭和しょうわ32ねん
x ぜん相撲すもう しんじょ
2–1 
x 西にしじょだん117まい
5–3 
ひがしじょだん61まい
2–6 
1958ねん
昭和しょうわ33ねん
ひがしじょだん71まい
6–2 
ひがしじょだん45まい
4–4 
ひがしじょだん43まい
4–4 
ひがしじょだん37まい
5–3 
西にしじょだん22まい
4–4 
西にしじょだん19まい
5–3 
1959ねん
昭和しょうわ34ねん
ひがしじょだん6まい
3–5 
ひがしじょだん9まい
6–2 
ひがしさんだん87まい
5–3 
西にしさんだん72まい
5–3 
ひがしさんだん60まい
6–2 
西にしさんだん28まい
7–1 
1960ねん
昭和しょうわ35ねん
ひがし幕下まくした79まい
5–3 
ひがし幕下まくした66まい
5–3 
ひがし幕下まくした54まい
3–5 
西にし幕下まくした59まい
4–3 
西にし幕下まくした48まい
6–1 
ひがし幕下まくした30まい
3–4 
1961ねん
昭和しょうわ36ねん
西にし幕下まくした34まい
6–1 
ひがし幕下まくした18まい
2–5 
ひがし幕下まくした31まい
2–5 
西にし幕下まくした43まい
5–2 
ひがし幕下まくした30まい
5–2 
ひがし幕下まくした18まい
5–2 
1962ねん
昭和しょうわ37ねん
ひがし幕下まくした10まい
4–3 
西にし幕下まくした6まい
2–5 
西にし幕下まくした15まい
3–4 
西にし幕下まくした17まい
5–2 
ひがし幕下まくした13まい
6–1 
西にし幕下まくした4まい
5–2 
1963ねん
昭和しょうわ38ねん
西にしじゅうりょう18まい
9–6 
西にしじゅうりょう12まい
8–7 
ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
優勝ゆうしょう
13–2
ひがし前頭まえがしら13まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら14まい
5–10 
1964ねん
昭和しょうわ39ねん
西にしじゅうりょう2まい
7–8 
西にしじゅうりょう4まい
10–5 
ひがしじゅうりょう2まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら14まい
7–6–2 
ひがし前頭まえがしら15まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら15まい
6–9 
1965ねん
昭和しょうわ40ねん
西にしじゅうりょう2まい
8–7 
西にしじゅうりょう2まい
12–3 
ひがし前頭まえがしら12まい
8–7 
西前にしまえあたま9まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら8まい
6–9 
西前にしまえあたま10まい
9–6 
1966ねん
昭和しょうわ41ねん
ひがし前頭まえがしら6まい
6–9 
西前にしまえあたま9まい
11–4
西前にしまえあたま2まい
4–11 
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
5–10 
西前にしまえあたま4まい
12–3
わざ
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
西にし関脇せきわけ
3–12 
西前にしまえあたま4まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら3まい
5–10 
ひがし前頭まえがしら4まい
7–8 
西前にしまえあたま5まい
8–7 
西前にしまえあたま2まい
6–9 
1968ねん
昭和しょうわ43ねん
西前にしまえあたま5まい
8–7 
西前にしまえあたま2まい
4–11 
西前にしまえあたま7まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら3まい
2–13 
ひがし前頭まえがしら11まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら8まい
7–8 
1969ねん
昭和しょうわ44ねん
西前にしまえあたま9まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら4まい
5–10 
西前にしまえあたま8まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら4まい
6–9
西前にしまえあたま5まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら2まい
4–11 
1970ねん
昭和しょうわ45ねん
ひがし前頭まえがしら10まい
9–6 
西前にしまえあたま3まい
5–10 
西前にしまえあたま7まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら10まい
7–8 
西前にしまえあたま11まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら6まい
7–8 
1971ねん
昭和しょうわ46ねん
ひがし前頭まえがしら8まい
7–8 
西前にしまえあたま10まい
1–14 
西にしじゅうりょう7まい
6–9 
西にしじゅうりょう11まい
11–4 
ひがしじゅうりょう2まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら12まい
4–11 
1972ねん
昭和しょうわ47ねん
西にしじゅうりょう3まい
9–6 
西前にしまえあたま12まい
9–6 
西前にしまえあたま3まい
5–10 
ひがし前頭まえがしら8まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら5まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら2まい
3–12 
1973ねん
昭和しょうわ48ねん
ひがし前頭まえがしら11まい
4–11 
西にしじゅうりょう4まい
11–4 
ひがし前頭まえがしら13まい
2–13 
西にしじゅうりょう8まい
9–6 
西にしじゅうりょう3まい
9–6 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
10–5 
1974ねん
昭和しょうわ49ねん
ひがし前頭まえがしら11まい
3–12 
西にしじゅうりょう5まい
6–9 
ひがしじゅうりょう9まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
4–11 
西にしじゅうりょう10まい
9–6 
西にしじゅうりょう5まい
5–10 
1975ねん
昭和しょうわ50ねん
ひがしじゅうりょう12まい
引退いんたい
0–7–8
x x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおさと 4 6 あさあらし 1 0 朝岡あさおか 1 0 浅瀬あさせがわ 3 3
あさひこく 4 6 天津てんしんふう 2 2 荒波あらなみ 2 4 いわふう 1 0
宇多川うたがわ 3 3 大潮おおしお 1 0 だいにしき 0 1 だいあきら 1 0
大鷲おおわし 1 1 小城おぎはな 2 4 さきがけすぐる 1 3 さきがけ 3 1
うみ乃山 6 6 ひらけたかしさん 4 3 柏戸かしわど 0 8 かずあきら 4 0
きむ乃花 3 3(1) きたうみ 1 2 きたうみ 0 1 きたくに 3 0
きたはな 3 0 きた富士ふじ 1 12 北葉きたばさん 1 0 きみにしき 1 3
清國きよくに 3 9 くろ獅子じし 0 1 黒姫山くろひめさん 4 5 きんさくら 2 11
きむつよし 4 4 逆鉾さかほこ 1 0 佐田さだやま 1 7 さわひかり 1 1
白田しらださん 2 2 だい 1 0 にしきよう 5(1) 2 麒麟児きりんじ 4 10
だいごう 1 1 だい 1 3 だいしん 3 2 大雪おおゆき 2 4
大鵬たいほう 1 7 大文字おおもじ 2 0 大雄たいゆう 12 8 大竜おおたつがわ 8 7
たかはな 3 2 高見山たかみやま 1 8 たまあらし 2 0 玉乃たまのとう 2 10
つねにしき 1 3 つるみね 4 3 あきらさくら 1 2 天水山あまみずやま 0 2
天龍てんりゅう 0 2 どき葉山はやま 7 12 とちひがし 3 12 とちいさむ 5 2
とちおうやま 6(1) 11 とち富士ふじ 2 4 豊國ほうこく 6 3 羽黒はぐろいわ 10 9
羽黒山はぐろさん 1 2 長谷川はせがわ 3 9 はなこう 6 5 廣川ひろかわ 6 4
ぶくはな 8 15 ぼうにしき 3 0 富士ふじさくら 1 2 富士ふじにしき 7 8
藤ノ川ふじのかわ 5(1) 10 二子ふたごだけ 12 8 そうりゅう 3 1 前田川まえだがわ 2 4
まえやま 1 9 ぞう位山くらいやま 0 2 松前まさきさん 1 0 三重みえうみ 0 6
みそぎおおとり 4 1 あきら武谷たけや 7 5 陸奥むつあらし 1 11 豊山とよやま 1 7
豊山とよやま 1 5 きちおうやま 5 3 きちたに 0 1 よしはな 11 5
龍虎りゅうこ 1 5 わか獅子しし 0 1 若杉山わかすぎやま 2 2 わか秩父ちちぶ 3 5
わか天龍てんりゅう 6 5 若浪わかのなみ 14 8 わか鳴門なると 7 2 わかうみ 2 1
わかこく 2 2 わか乃洲 3 4 わか羽黒はぐろ 1 2 わか前田まえだ 1 0
若見わかみさん 4 3 わかよしよう 0 1 輪島わじま 0 2 鷲羽山わしゅうざん 0 2
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょう不戦敗ふせんぱいかず

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • あおいりゅう 孝之たかゆきすすむ(あいのりゅう こうのしん)1957ねん9がつ場所ばしょ-1961ねん5がつ場所ばしょ
  • こう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむ(こうてつやま -)1961ねん7がつ場所ばしょ-1963ねん11月場所ばしょ
  • 瀬川せかわ 孝之たかゆきすすむ(ふたせがわ -)1964ねん1がつ場所ばしょ-1964ねん11月場所ばしょ
  • こう鐵山てつざん 孝之たかゆきすすむ(こうてつやま -)1965ねん1がつ場所ばしょ-1967ねん1がつ場所ばしょ
  • こう鉄山てつざん ゆたか也(こうてつやま とよや)1967ねん3がつ場所ばしょ-1975ねん1がつ場所ばしょ引退いんたい

年寄としより変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • だい鳴戸なると ゆたか也(おおなると とよや)1975ねん1がつ-1975ねん3がつ
  • だい鳴戸なると しゅうよう(おおなると ひでやす)1975ねん3がつ-1995ねん1がつ廃業はいぎょう

著作ちょさく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ さんやく経験けいけんしん関脇せきわけの1場所ばしょのみ」というちん記録きろくについては関脇せきわけ#しんさんやく関脇せきわけだった力士りきし平成へいせい以降いこうふし参照さんしょう
  2. ^ 具体ぐたいてきには「1967ねん5がつつな場所ばしょむかえたが5しょう10はいしでえた。これがきた富士ふじ実力じつりょくだ。」ときた富士ふじ横綱よこづなちからかったことを主張しゅちょうしていた。ほかにも、「大関おおぜき時代じだいに1だけガチンコでたたかったら簡単かんたんってしまった。」ともしるされている。
  3. ^ 女癖おんなぐせわるれいとしては大鵬たいほう著書ちょしょないあつかわれる。
  4. ^ 武蔵川むさしがわもと横綱よこづな三重みえうみ)はわたしから年寄としよりかぶったさい代金だいきん3おくえんをミカンばこめてわたした。贈与ぞうよぜい脱税だつぜいする目的もくてきおこなわれる工作こうさくであり、角界かくかいではなじみのある方法ほうほうだ。」という趣旨しゅし記述きじゅつ暴露ばくろほん収録しゅうろくされている。また、かん弟子でし年寄としよりかぶ手配てはいするためにすぐにうごいた行動こうどうりょく評価ひょうかしており、反対はんたい弟子でし年寄としよりかぶ手配てはいにおいて優柔不断ゆうじゅうふだん大鵬たいほう酷評こくひょうしていた。

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e ベースボールマガジンしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(4) 立浪たつなみ部屋へや』p31

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]