つねにしきとぎごう

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つねにしき とぎごう
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい つねにしき とぎごう
本名ほんみょう 前田まえだ 正三しょうさん鈴木すずき 正三しょうさん
生年月日せいねんがっぴ (1931-05-31) 1931ねん5月31にち(92さい
出身しゅっしん 福島ふくしまけん東白川ひがししらかわぐん古殿ふるとのまち現在げんざい石川いしかわぐん古殿ふるとのまち
身長しんちょう 174cm
体重たいじゅう 108kg
BMI 35.67
所属しょぞく部屋へや 出羽海でわのうみ部屋へや
得意とくいわざ みぎよっつ、
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう 西にし前頭まえがしら筆頭ひっとう
生涯しょうがい戦歴せんれき 579しょう604はい38きゅう1ふん (87場所ばしょ)
幕内まくうち戦歴せんれき 166しょう223はい1ふん (26場所ばしょ)
優勝ゆうしょう 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 1949ねん10がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1958ねん3がつ場所ばしょ
引退いんたい 1967ねん3がつ場所ばしょ
引退いんたい 年寄としよりせきどう稲川いながわ
備考びこう
2019ねん7がつ23にち現在げんざい

つねにしき とぎごう(つねにしき としひで、1931ねん5月31にち - )は、福島ふくしまけん東白川ひがししらかわぐん古殿ふるとのまち現役げんえき当時とうじ現在げんざい石川いしかわぐん古殿ふるとのまち出身しゅっしん出羽海でわのうみ部屋へや所属しょぞくした力士りきし本名ほんみょう前田まえだ 正三しょうさん(まえだ しょうぞう)→鈴木すずき 正三しょうさん(すずき -)、最高さいこう西にし前頭まえがしら筆頭ひっとう1964ねん3がつ場所ばしょ)。得意とくいしゅみぎよっつ、り。現役げんえき時代じだい体格たいかくは174cm、108kg。

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

小学校しょうがっこう卒業そつぎょうはトラックの運転うんてんしゅとしてはたらいていたが、1949ねん故郷こきょう巡業じゅんぎょうがあったさいに、福島ふくしまけん会議かいぎいん世話せわもと横綱よこづな安藝あきうみ藤島ふじしま親方おやかた紹介しょうかいされた。これをけに藤島ふじしま所属しょぞくする出羽海でわのうみ部屋へや入門にゅうもんし、同年どうねん10がつ場所ばしょはつ土俵どひょう

序ノ口じょのくちいたときより「つねにしき」の四股しこめい名乗なのり、引退いんたいまでの17年間ねんかんいち改名かいめいすることはなかった。

からだめぐまれず、またひざ故障こしょうにもくるしんだ。だが、1953ねんごろ藤島ふじしま岳父がくふ出羽海でわのうみ親方おやかたとの確執かくしつなや廃業はいぎょうつばかりの状況じょうきょうであったため「親方おやかたぶんまでろう」とあきらめずに相撲すもうつづけ、1955ねん3がつ場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしん。3ねん1958ねん3がつ場所ばしょで、しん入幕にゅうまくたした。入幕にゅうまくしてしばらくは幕内まくうち定着ていちゃくできず、3じゅうりょう陥落かんらくしたが、4度目どめ入幕にゅうまくたした1960ねん11月場所ばしょで8しょう7はいすと、これ以降いこう幕内まくうち定着ていちゃくする。1962ねん3がつ場所ばしょで1しょう14はいおおきくしてじゅうりょう陥落かんらくしてから1ねんほど低迷ていめいしていたが、1963ねん3がつ場所ばしょで5度目どめ入幕にゅうまくたすと、順調じゅんちょう番付ばんづけげた。1964ねん3がつ場所ばしょでは、自己じこ最高さいこうとなる前頭まえがしら筆頭ひっとうまで昇進しょうしんした。

前頭まえがしら筆頭ひっとうまで出世しゅっせしたものの、殊勲しゅくんぼしは1つだけ(1961ねん7がつ場所ばしょでの大関おおぜききんはません)で上位じょうい進出しんしゅつするとほぼ大敗たいはいしており、1しょう14はい全敗ぜんぱい寸前すんぜん成績せいせきが2あった。そのため、幕内まくうち中位ちゅういから下位かい相撲すもうことおおかった。また、幕内まくうちけた勝利しょうりいちげられなかったためか、さんしょうとはえんがなかった。ただし幕内まくうちを26場所ばしょ十両じゅうりょうを41場所ばしょつとめており、35さい引退いんたいする間際まぎわまで関取せきとり維持いじするなど地力じりきがあり、いきなが力士りきしでもあった。

おな出羽海でわのうみ部屋へや所属しょぞくであったきた富士ふじじゅうりょう昇進しょうしんしたころつねにしきからまわしをゆずってもらった。きた富士ふじいわく「だいぶ使つかんでいて、またぐらのところ気持きもわるくてねぇ(笑)」[1]

1967ねん3がつ場所ばしょかぎりで引退いんたいしたのちは、年寄としよりせきどう稲川いながわとして後進こうしん指導しどうしていたが、1971ねん3がつ場所ばしょ廃業はいぎょう

以後いご郷里きょうり福島ふくしまで、建設けんせつ会社かいしゃ経営けいえいした。

トラックの運転うんてんしゅだったことから、「トラ」の愛称あいしょうがあった。

略歴りゃくれき[編集へんしゅう]

  • 1949ねん出羽海でわのうみ部屋へや入門にゅうもんし、このとしの10がつ場所ばしょはつ土俵どひょうむ。
  • 1950ねん1がつ場所ばしょ師匠ししょうもと横綱よこづなつねはな)の現役げんえきめいちなむ、「つねにしき」の四股しこめい序ノ口じょのくちく。
  • 1955ねん3がつ場所ばしょしんじゅうりょう
  • 1958ねん1がつ場所ばしょ…13しょう2はいという好成績こうせいせきで、十両じゅうりょう優勝ゆうしょうげる。
  • 1958ねん3がつ場所ばしょしん入幕にゅうまく
  • 1959ねん1がつ場所ばしょさい入幕にゅうまく。 8しょう7はいと、幕内まくうちはじめてす。
  • 1960ねん3がつ場所ばしょ…3度目どめ入幕にゅうまく
  • 1960ねん11月場所ばしょ…4度目どめ入幕にゅうまく。 8しょう7はいと、1959ねん1がつ場所ばしょ以来いらいとなる幕内まくうちでのしをたす。
  • 1961ねん7がつ場所ばしょ横綱よこづな大関おおぜきじんとの対戦たいせん圏内けんないはじめて進出しんしゅつし、初日しょにち大関おおぜききんはまくだす「ぎんぼし」をげるも、3しょう12はいおおきくす。
  • 1963ねん3がつ場所ばしょ…5度目どめ入幕にゅうまく
  • 1964ねん3がつ場所ばしょ自己じこ最高さいこうとなる西にし前頭まえがしら筆頭ひっとうまで番付ばんづけげたが、1しょう14はい惨敗ざんぱいきっする。
  • 1967ねん1がつ場所ばしょ関取せきとりとしてむかえた最後さいご本場所ほんばしょ。6にちから出場しゅつじょうするも不本意ふほんい成績せいせきわり、次場すばしょでの幕下まくした陥落かんらく確定かくていする。
  • 1967ねん3がつ場所ばしょ西にし幕下まくした2まいったが、初日しょにちから休場きゅうじょう場所ばしょ引退いんたい表明ひょうめいし、年寄としよりせき襲名しゅうめいする。

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:579しょう604はい38きゅう1ふん 勝率しょうりつ.489
  • 幕内まくうち成績せいせき:166しょう223はい1ふん 勝率しょうりつ.427
  • 現役げんえき在位ざいい:86場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:26場所ばしょ
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(1958ねん1がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

つねにしき とぎごう
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1949ねん
昭和しょうわ24ねん
x x x x しんじょ
2–1 
x
1950ねん
昭和しょうわ25ねん
ひがし序ノ口じょのくち2まい
9–6 
x ひがしじょだん6まい
9–6 
x ひがしさんだん28まい
6–9 
x
1951ねん
昭和しょうわ26ねん
西にしさんだん30まい
9–6 
x ひがしさんだん17まい
休場きゅうじょう
0–0–15
x ひがしさんだん31まい
9–6 
x
1952ねん
昭和しょうわ27ねん
ひがしさんだん9まい
5–3 
x ひがし幕下まくした34まい
7–8 
x 西にし幕下まくした34まい
9–6 
x
1953ねん
昭和しょうわ28ねん
ひがし幕下まくした26まい
9–6 
西にし幕下まくした15まい
4–4 
西にし幕下まくした17まい
休場きゅうじょう
0–0–8
x 西にし幕下まくした26まい
4–4 
x
1954ねん
昭和しょうわ29ねん
ひがし幕下まくした26まい
5–3 
西にし幕下まくした16まい
5–3 
ひがし幕下まくした10まい
5–3 
x ひがし幕下まくした5まい
4–3–1 
x
1955ねん
昭和しょうわ30ねん
ひがし幕下まくした3まい
5–3 
西にしじゅうりょう21まい
9–6 
西にしじゅうりょう11まい
7–8 
x ひがしじゅうりょう12まい
10–5 
x
1956ねん
昭和しょうわ31ねん
ひがしじゅうりょう6まい
6–9 
西にしじゅうりょう10まい
8–7 
ひがしじゅうりょう9まい
8–7 
x 西にしじゅうりょう8まい
5–10 
x
1957ねん
昭和しょうわ32ねん
ひがしじゅうりょう13まい
4–11 
ひがしじゅうりょう20まい
9–6 
ひがしじゅうりょう12まい
10–5 
x ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
ひがしじゅうりょう3まい
8–7 
1958ねん
昭和しょうわ33ねん
ひがしじゅうりょう3まい
優勝ゆうしょう
13–2
ひがし前頭まえがしら16まい
6–9 
西前にしまえあたま18まい
6–8
1引分ひきわけ
 
西前にしまえあたま20まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら21まい
6–9 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
9–6 
1959ねん
昭和しょうわ34ねん
西前にしまえあたま20まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら17まい
4–11 
西にしじゅうりょう4まい
6–7–2 
西にしじゅうりょう6まい
7–8 
ひがしじゅうりょう7まい
11–4 
西にしじゅうりょう2まい
6–9 
1960ねん
昭和しょうわ35ねん
西にしじゅうりょう5まい
10–5 
ひがし前頭まえがしら15まい
5–10 
西にしじゅうりょう2まい
7–8 
西にしじゅうりょう2まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら15まい
8–7 
1961ねん
昭和しょうわ36ねん
西前にしまえあたま11まい
7–8 
西前にしまえあたま11まい
9–6 
西前にしまえあたま5まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら3まい
3–12 
ひがし前頭まえがしら8まい
8–7 
西前にしまえあたま5まい
7–8 
1962ねん
昭和しょうわ37ねん
西前にしまえあたま6まい
7–8 
西前にしまえあたま7まい
1–14 
ひがしじゅうりょう筆頭ひっとう
6–9 
西にしじゅうりょう4まい
9–6 
ひがしじゅうりょう2まい
7–8 
ひがしじゅうりょう3まい
8–7 
1963ねん
昭和しょうわ38ねん
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
9–6 
ひがし前頭まえがしら14まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら11まい
9–6 
西前にしまえあたま7まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら9まい
6–9 
ひがし前頭まえがしら11まい
8–7 
1964ねん
昭和しょうわ39ねん
ひがし前頭まえがしら9まい
9–6 
西前にしまえあたま筆頭ひっとう
1–14 
西前にしまえあたま11まい
7–8 
ひがし前頭まえがしら13まい
8–7 
西前にしまえあたま10まい
4–11 
西にしじゅうりょう2まい
2–13 
1965ねん
昭和しょうわ40ねん
ひがしじゅうりょう10まい
6–9 
ひがしじゅうりょう13まい
10–5 
ひがしじゅうりょう4まい
6–9 
西にしじゅうりょう6まい
7–8 
ひがしじゅうりょう7まい
3–12 
西にしじゅうりょう16まい
9–6 
1966ねん
昭和しょうわ41ねん
西にしじゅうりょう10まい
6–9 
ひがしじゅうりょう15まい
8–7 
西にしじゅうりょう12まい
6–9 
ひがしじゅうりょう16まい
9–6 
西にしじゅうりょう7まい
4–11 
ひがしじゅうりょう17まい
8–7 
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
西にしじゅうりょう11まい
4–6–5 
西にし幕下まくした2まい
引退いんたい
0–0–7
x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あおさと 4 6 あさしお(米川よねかわ) 0 1 浅瀬あさせがわ 0 2 愛宕山あたごやま 1 3
天津てんしんふう 4 3 天津てんしんなだ 2 0 あら岐山きざん 2 0 荒波あらなみ 1 0
いずみひろし 2 3 いわふう 0 4 宇多川うたがわ 6 8 及川おいかわ 4 4
追手おうてさん 2 1 扇山おうぎやま 2 2 大内山おおうちやま 0 3 おかさん 1 1
海山みやま 4 3 ひらけたかしさん 2 3 柏戸かしわど 0 4 きたくに 1 2
きたよう 2 2 北葉きたばさん 0 5 きみにしき 2 3 清恵きよえなみ 2 1
清國きよくに 0 2 しんぜいかわ 4 5 おに竜川りゅうがわ 0 3 くにとう 2 2
ぐり家山いえやま 0 1 くろ獅子じし 1 1 こいいきおい 1 2 二瀬川ふたせがわ(こう鐵山てつざん) 3 1
きんはま 1 0 きんさくら 2 1 逆鉾さかほこ 1 2 さわひかり 1 2
うしおにしき 1 3 しまにしき 3 2(1つうぶん) だいごう 0 5 大鵬たいほう 0 2
大雄たいゆう 0 1 こうにしき 0 3 たまあらし 0 2 玉乃たまのうみ 2 0
玉乃たまのとう 0 1 玉響たまゆら 3 0 つるみね 3 6 時津とぎつさん 1(1) 2
どきにしき 1 1 豊國ほうこく 4 8 ゆたかうみ 0 1 羽黒川はぐろがわ 3 6
羽黒山はぐろさん 2 7 羽子はごにしき 2 3 緋縅ひおどし 1(1) 0 廣川ひろかわ 3 3
広瀬川ひろせがわ 1 0 ぶく乃海 1 1 ぶく乃里 1 1 ぼうにしき 3 6
富士ふじにしき 1 6 そうりゅう 1 1 ほしかぶと 5 0 ぜんしお 1 0
前田川まえだがわ 5 5 まえやま(佐田さたみさき) 1 1 まつのぼる 4 1 三根みつねさん 0 1
みやにしき 2 3 みやはしら 1 2 あきら武谷たけや 3 7 豊山とよやま 0 2
芳野よしのみね 4 1 わかこま 2 1 若杉山わかすぎやま 3 3 わか秩父ちちぶ 4 7
わか天龍てんりゅう 3 2 若浪わかのなみ 5 1 わかうみ 4 5 わかこく 3 4
若乃花わかのはな(初代しょだい) 0 1 わか羽黒はぐろ 2 7 若葉わかばさん 2 1 わか前田まえだ 7 3
若見わかみさん 1 0
※カッコないかちすう負数ふすうなかめる不戦勝ふせんしょうかず

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • 前田まえだ 正三しょうさん(まえだ しょうぞう)1949ねん10がつ場所ばしょ(※番付ばんづけがいしんじょ
  • つねにしき ごう(つねにしき としひで)1950ねん1がつ場所ばしょ - 1967ねん3がつ場所ばしょ

年寄としより変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • せき 正三しょうさん(せきのと しょうぞう)1967ねん3がつ - 1968ねん3がつ
  • 稲川いながわ 正三しょうさん(いながわ しょうぞう)1968ねん3がつ - 1971ねん3がつ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ きた富士ふじ勝昭かつあき嵐山あらしやま光三郎こうざぶろうだい放談ほうだん大相撲おおずもうちあけはなし』(しんこうしゃ、2016ねん)P133

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]