かずあきら敏郎としお

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かず晃敏あきとしろうから転送てんそう

かずあきら 敏郎としお(かつひかり としお、1942ねん8がつ9にち - 2018ねん1がつ1にち)は、愛知あいちけん蒲郡がまごおり神ノ郷かみのごうまち出身しゅっしん伊勢いせはま部屋へや入門にゅうもん荒磯あらいそ部屋へや所属しょぞくした大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう杉浦すぎうら 敏朗としろう(すぎうら としお)。現役げんえき時代じだい体格たいかくは186cm、113kg。最高さいこうひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう1970ねん9月場所ばしょ)。得意とくいしゅひだりよっつ、り、上手じょうず

来歴らいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

蒲郡がまごおり市立しりつ蒲郡がまごおり中学校ちゅうがっこうでは横綱よこづなたまうみの1ねん先輩せんぱいたり、相撲すもう主将しゅしょうつとめていた。その進学しんがくした愛知あいち県立けんりつ蒲郡がまごおり高等こうとう学校がっこうを1年生ねんせい途中とちゅう中退ちゅうたいし、荒磯あらいそ部屋へや1961ねん1がつより伊勢いせはま部屋へや改称かいしょう)へ入門にゅうもん1958ねん11月場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。はつ土俵どひょう同期どうきには、前頭まえがしらとちおうやまらがいる。

以来いらい着実ちゃくじつ番付ばんづけげてゆき、1965ねん5月場所ばしょじゅうりょう昇進しょうしんした。だが、軽量けいりょう生来せいらいよわさにより、本場所ほんばしょちゅう取組とりくみへの不安ふあんから鎮静ちんせいざいいとよるねむれなかったという。そのじゅうりょう下位かい幕下まくした往復おうふくする状況じょうきょうが3ねん以上いじょうつづいたが、徐々じょじょじゅうりょうでも成績せいせきのこせるようになり、1969ねん9月場所ばしょしん入幕にゅうまくたした。

一見いっけん地味じみではあるが、長身ちょうしんかしたひだりよっつからのりを得意とくいとした。1970ねん9月場所ばしょでは最高さいこうとなるひがし前頭まえがしら筆頭ひっとうまで番付ばんづけげ、さんやく昇進しょうしん期待きたいされた。この場所ばしょでは、中学ちゅうがく時代じだい後輩こうはいであった横綱よこづなたまうみとの対戦たいせんたしている。しかし、110kg前後ぜんこうという軽量けいりょうであったため本来ほんらい相撲すもうをなかなからせてもらえず、3しょう12はい大敗たいはいきっした(たまうみふくめ、横綱よこづな大関おおぜきにはことができなかった)。

それ以降いこう幕内まくうち下位かい低迷ていめいし、結局けっきょく幕内まくうち在位ざいい通算つうさん7場所ばしょわっている。

1972ねん3がつ場所ばしょ最後さいご幕内まくうちからとおざかり、ひがしじゅうりょう12まい地位ちいむかえた1973ねん1がつ場所ばしょでは6しょう9はい関取せきとり地位ちいうしなった。ひがし幕下まくした3まい在位ざいいしたよく3がつ場所ばしょを以って30さい引退いんたいし、年寄としより若藤わかふじ襲名しゅうめい

引退いんたい伊勢いせはま部屋へやきの親方おやかたとして後進こうしん指導しどうたり、福岡ふくおか場所ばしょ担当たんとう委員いいんつとめたほか理事りじ歴任れきにんした(3つとめ、相撲すもう教習所きょうしゅうじょ所長しょちょう経験けいけん退職たいしょく直前ちょくぜん役員やくいん待遇たいぐう[1]

2006ねん11月場所ばしょちゅう現役げんえき時代じだい和晃かずあき兄弟子あにでしであったもと大関おおぜき清國きよくにの7だい伊勢いせはま停年ていねんむかえることになった。伊勢いせはま部屋へや後継こうけいしゃ候補こうほすくなかったため、だれ部屋へや継承けいしょうするのか注目ちゅうもくされていたが、唯一ゆいいつ部屋へや親方おやかたであった10代若藤わかふじもとかずあきら)が師匠ししょう名跡みょうせき交換こうかん伊勢いせはま部屋へや継承けいしょうした。しかし、8だい伊勢いせはま襲名しゅうめいしたもとかずあきら自身じしん当時とうじ64さいわずか9ヵ月かげつ2007ねん8がつには停年ていねんむかえるため、ただちに後継こうけいしゃ擁立ようりつすすめた。だが、よく2007ねん1がつ場所ばしょ後継こうけいしゃ擁立ようりつ断念だんねん表明ひょうめい同時どうじ伊勢いせはま部屋へや解散かいさんし、所属しょぞくする力士りきし行司ぎょうじらはおな立浪たつなみ一門いちもん当時とうじ)の桐山きりやま部屋へや高嶋たかしま部屋へや移籍いせきさせた。自身じしん桐山きりやま部屋へや移籍いせきし、部屋へやきの親方おやかたとして後進こうしん指導しどうした。

退職たいしょく直前ちょくぜん同年どうねん8がつ3にちには再度さいど若藤わかふじ名跡みょうせき保持ほじしていたもと清國きよくに名跡みょうせき交換こうかんおこない、若藤わかふじさい襲名しゅうめい。5にち日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい停年ていねん退職たいしょくした。

2018ねん1がつ1にちきもかんがんのため、自宅じたく死去しきょ[2]。75さいぼつ[3][1]葬儀そうぎ告別こくべつしき親族しんぞくのみでおこない、喪主もしゅ長男ちょうなんつとめた[4]

エピソード[編集へんしゅう]

  • じゅうりょう時代じだい1968ねん9月場所ばしょ当時とうじ番付ばんづけは、西にしじゅうりょう11まい)、初日しょにちあさあらしどう西にしじゅうりょう13まいせんでのこと対戦たいせん相手あいてであるあさあらし土俵どひょうないちていたごみを土俵どひょうそとてにったところ物言ものいいが協議きょうぎ結果けっか時間じかんいっぱいののち土俵どひょうたため、戦意せんいしとみて反則はんそくけ」となり、和晃かずあきちとなった。

おも成績せいせき記録きろく[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:461しょう426はい1ふん3きゅう 勝率しょうりつ.520
  • 幕内まくうち成績せいせき:33しょう72はい 勝率しょうりつ.314
  • 現役げんえき在位ざいい:86場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:7場所ばしょ
  • 連続れんぞく出場しゅつじょう:888ばん(1959ねん1がつ場所ばしょ-1973ねん3がつ場所ばしょ(7にち))
  • かくだん優勝ゆうしょう
    • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(1970ねん1がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

かずあきら 敏郎としお
いちがつ場所ばしょ
初場所はつばしょ東京とうきょう
さんがつ場所ばしょ
春場所はるばしょ大阪おおさか
五月ごがつ場所ばしょ
夏場所なつばしょ東京とうきょう
なながつ場所ばしょ
名古屋なごや場所ばしょ愛知あいち
九月場所くがつばしょ
秋場所あきばしょ東京とうきょう
十一月じゅういちがつ場所ばしょ
九州きゅうしゅう場所ばしょ福岡ふくおか
1958ねん
昭和しょうわ33ねん
x x x x x ぜん相撲すもう
1959ねん
昭和しょうわ34ねん
ひがし序ノ口じょのくち14まい
6–2 
西にしじょだん103まい
6–2 
ひがしじょだん71まい
6–2 
西にしじょだん39まい
6–2 
西にしじょだん11まい
6–2 
西にしさんだん75まい
4–4 
1960ねん
昭和しょうわ35ねん
西にしさんだん75まい
3–5 
西にしさんだん76まい
3–5 
ひがしさんだん90まい
7–1 
ひがしさんだん38まい
3–4 
ひがしさんだん45まい
4–3 
ひがしさんだん34まい
4–3 
1961ねん
昭和しょうわ36ねん
ひがしさんだん24まい
6–1 
ひがし幕下まくした69まい
3–4 
西にし幕下まくした84まい
4–3 
ひがし幕下まくした75まい
5–2 
西にし幕下まくした58まい
2–5 
ひがし幕下まくした74まい
6–1 
1962ねん
昭和しょうわ37ねん
西にし幕下まくした38まい
3–4 
ひがし幕下まくした43まい
5–2 
西にし幕下まくした28まい
4–3 
ひがし幕下まくした23まい
4–3 
ひがし幕下まくした22まい
6–1 
ひがし幕下まくした11まい
3–4 
1963ねん
昭和しょうわ38ねん
ひがし幕下まくした14まい
4–3 
ひがし幕下まくした12まい
3–4 
ひがし幕下まくした15まい
5–2 
西にし幕下まくした7まい
3–4 
西にし幕下まくした10まい
4–3 
西にし幕下まくした8まい
3–4 
1964ねん
昭和しょうわ39ねん
ひがし幕下まくした12まい
3–4 
ひがし幕下まくした14まい
5–2 
西にし幕下まくした4まい
4–3 
西にし幕下まくした3まい
3–4 
西にし幕下まくした5まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
3–4 
1965ねん
昭和しょうわ40ねん
ひがし幕下まくした10まい
6–1 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
4–3 
西にしじゅうりょう17まい
8–7 
ひがしじゅうりょう16まい
8–7 
ひがしじゅうりょう15まい
8–7 
西にしじゅうりょう12まい
6–8
引分ひきわけ1)
 
1966ねん
昭和しょうわ41ねん
ひがしじゅうりょう18まい
7–8 
ひがし幕下まくした2まい
6–1 
西にしじゅうりょう18まい
4–11 
西にし幕下まくした8まい
3–4 
ひがし幕下まくした11まい
5–2 
ひがし幕下まくした5まい
2–5 
1967ねん
昭和しょうわ42ねん
ひがし幕下まくした16まい
6–1 
ひがし幕下まくした4まい
5–2 
西にし幕下まくした6まい
4–3 
ひがし幕下まくした4まい
3–4 
ひがし幕下まくした7まい
3–4 
西にし幕下まくした8まい
3–4 
1968ねん
昭和しょうわ43ねん
西にし幕下まくした11まい
6–1 
西にし幕下まくした3まい
5–2 
ひがしじゅうりょう13まい
9–6 
ひがしじゅうりょう7まい
6–9 
西にしじゅうりょう11まい
9–6 
西にしじゅうりょう5まい
6–9 
1969ねん
昭和しょうわ44ねん
ひがしじゅうりょう8まい
8–7 
ひがしじゅうりょう7まい
9–6 
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
7–8 
西にしじゅうりょう2まい
9–6 
西前にしまえあたま10まい
2–13 
ひがしじゅうりょう7まい
5–10 
1970ねん
昭和しょうわ45ねん
ひがしじゅうりょう12まい
優勝ゆうしょう
12–3
西にしじゅうりょう2まい
11–4 
西前にしまえあたま10まい
8–7 
ひがし前頭まえがしら6まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう
3–12 
西前にしまえあたま7まい
2–13 
1971ねん
昭和しょうわ46ねん
ひがしじゅうりょう3まい
7–8 
西にしじゅうりょう5まい
9–6 
西にしじゅうりょう2まい
10–5 
西前にしまえあたま12まい
4–11 
ひがしじゅうりょう6まい
8–7 
ひがしじゅうりょう3まい
8–7 
1972ねん
昭和しょうわ47ねん
ひがしじゅうりょう2まい
9–6 
ひがし前頭まえがしら10まい
5–10 
ひがしじゅうりょう3まい
5–10 
ひがしじゅうりょう8まい
6–9 
西にしじゅうりょう9まい
10–5 
ひがしじゅうりょう4まい
3–12 
1973ねん
昭和しょうわ48ねん
ひがしじゅうりょう12まい
6–9 
ひがし幕下まくした3まい
引退いんたい
1–3–3
x x x x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

幕内まくうち対戦たいせん成績せいせき[編集へんしゅう]

力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう 力士りきしめい かちすう 負数ふすう
あさとう 1 1 さきがけ 1 0 きた富士ふじ 0 1 黒姫山くろひめさん 1 2
こう鉄山てつざん 0 4 きんさくら 0 1 きむつよし 0 3 白田しらださん 1 1
にしきよう 1 2 だい麒麟きりん 0 1 だい 0 2 大雪おおゆき 4 1
大鵬たいほう 0 1 大文字おおもじ 1 0 大雄たいゆう 1 3 大竜おおたつがわ 1 0
たかはな 1 2 高見山たかみやま 0 2 たまうみ 0 1 どき葉山はやま 1 4
とちひがし 2 1 とちいさむ 2 2 とちおうやま 2 4 とち富士ふじ 0 1
羽黒はぐろいわ 1 2 長谷川はせがわ 1 1 はなこう 0 1 ぶくはな 0 2
藤ノ川ふじのかわ 1 0 二子ふたごだけ 3 2 そうりゅう 0 1 ぞう位山くらいやま 0 1
三重みえうみ 0 4 あきら武谷たけや 0 2 陸奥むつあらし 0 1 長浜ながはま 0 1
よしはな 0 2 琉王 1 2 若浪わかのなみ 1 3 わか 2 2

改名かいめいれき[編集へんしゅう]

  • 杉浦すぎうら 敏朗としろう(すぎうら としお)1959ねん1がつ場所ばしょ-1963ねん3がつ場所ばしょ
  • こまこく 敏朗としろう(こまくに -)1963ねん5がつ場所ばしょ-1964ねん11月場所ばしょ
  • 杉浦すぎうら 敏朗としろう(すぎうら -)1965ねん1がつ場所ばしょ-1966ねん1がつ場所ばしょ
  • 神山かみやま 敏朗としろう(しんざん -)1966ねん3がつ場所ばしょ-1966ねん11月場所ばしょ
  • 神山かみやま 敏朗としろう(かみやま -)1967ねん1がつ場所ばしょ-1968ねん1がつ場所ばしょ 
  • かずあきら 敏朗としろう(かつひかり -)1968ねん3がつ場所ばしょ-1969ねん11月場所ばしょ
  • かずあきら 敏郎としお(かつひかり -)1970ねん1がつ場所ばしょ-1973ねん3がつ場所ばしょ

年寄としより変遷へんせん[編集へんしゅう]

  • わかふじ 敏郎としお(わかふじ としお)1973ねん3がつ22にち-2006ねん11月19にち
  • 伊勢いせはま 敏郎としお(いせがはま -)2006ねん11月19にち-2007ねん8がつ3にち
  • わかふじ 敏郎としお(わかふじ -)2007ねん8がつ3にち-2007ねん8がつ8にち停年ていねん退職たいしょく

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 大相撲おおずもう中継ちゅうけい』2018ねん2がつ17にちごう p.101
  2. ^ 訃報ふほう杉浦すぎうら敏朗としろうさん75さいもと日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい理事りじもとかずあきら”. 毎日新聞まいにちしんぶん (2018ねん1がつ13にち). 2021ねん1がつ19にち閲覧えつらん
  3. ^ 大相撲おおずもうもと前頭まえがしら和晃かずあき杉浦すぎうら敏朗としろう死去しきょ. 時事じじドットコム. (2018ねん1がつ13にち). https://web.archive.org/web/20180113150407/https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011300453&g=spo 2018ねん1がつ13にち閲覧えつらん [リンク]
  4. ^ もと幕内まくうち和晃かずあき杉浦すぎうら敏朗としろう死去しきょ、75さい SAMSPO.COM 2018.1.13 20:19(産経新聞さんけいしんぶんしゃ、2018ねん2がつ15にち閲覧えつらん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]