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だい銀杏いちょう

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だい銀杏いちょう(おおいちょう)とは、大相撲おおずもうじゅうりょう十枚目じゅうまいめ以上いじょう力士りきし関取せきとり)がうことができる髪形かみがたである。まげ(まげ)の先端せんたんおおきなイチョウていることからこのがある。

だい35だい横綱よこづなそう葉山はやま定次さだじ

概要がいよう

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江戸えど時代じだい男性だんせい髪形かみがたとして一般いっぱんてきだったまげを「銀杏髷いちょうまげ」(または銀杏いちょうあたま)とんでおり、このまげ部分ぶぶんおおきな体躯たいくにあわせておおきくった、もしくは形容けいようしたまげである。だい銀杏いちょう大相撲おおずもうじゅうりょう以上いじょう力士りきしうことができる髪形かみがたである。ただし、幕下まくした以下いか力士りきしでも、十両じゅうりょうとの取組とりくみがある場合ばあいや、弓取ゆみとりしき巡業じゅんぎょう初切しょっきり床山とこやま練習れんしゅうだい相撲すもう甚句じんくおよ断髪だんぱつしきおこなさいにはうことができる(ただし若手わかて年寄としより発言はつげんによれば関取せきとり経験けいけん場合ばあいさんだん以上いじょう在位ざいいしている力士りきしかぎられ、関取せきとり経験けいけんしゃかぎってはじょだん以下いか陥落かんらくしていても可能かのう相撲すもう甚句じんく披露ひろうするさいわないことのほうおおい)。

関取せきとりでもだい銀杏いちょう正式せいしきなときにのみうものとされており、稽古けいこなど普段ふだん髪形かみがた丁髷ちょんまげである。力士りきしだい銀杏いちょう江戸えど時代じだい武士ぶしあいだられたものとはことなり、ぜん頭部とうぶられず月代さかやきさかやき)にはならない。

山野美容芸術短期大学やまのびようげいじゅつたんきだいがくのコラムによると、だい銀杏いちょうこと目的もくてきわれた力士りきし本人ほんにん気持きもちをめることと頭部とうぶ保護ほごにあるという[1]

だい銀杏いちょういやすくするためにあたま上部じょうぶかみることを「なかり」(なかぞり)とう。かみりょうおおい・密度みつどたか力士りきし床山とこやまいにくいのでこれをおこなう。1953ねん3がつ場所ばしょ7にちとちにしき - 若乃花わかのはなたたかみず大相撲おおずもうになったが、取組とりくみちゅうとちにしきまげっていた元結もとゆいれてざんばらかみとなり、なかりをした頭頂とうちょうがあらわになった[2][注釈ちゅうしゃく 1]。このときはじめてなかりのことをった相撲すもうファンもおおかったという。なかりをしていた力士りきしでも引退いんたい間近まぢかには、断髪だんぱつのことをかんがえてらなくなることがおおい。

まげそのものが日本人にっぽんじんかみしつにあったものであるため、外国がいこく人力じんりきうのに苦労くろうすることがある。床山とこやま証言しょうげんによると、瑠都かみよわくてれやすいのでくしとおときったとい、また小錦こにしき場合ばあいつよちぢれがあったためストレートパーマをかけたとされる。とくトンガ出身しゅっしん力士りきしはチリチリの剛毛ごうもうであるためくしとおらないほどのからかたであったという[3]

原則げんそくとして、関取せきとり取組とりくみおこなさいだい銀杏いちょうって土俵どひょうがることが義務付ぎむづけられている[4]ぞくに「だい銀杏いちょうゆわえないほど頭髪とうはつおとろえた関取せきとり引退いんたいしなくてはいけない」とわれることがあるが、これは誤解ごかいである。昭和しょうわ春秋しゅんじゅうえん事件じけん日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい離脱りだつ、のちに復帰ふっきした力士りきしや、近年きんねんでも学生がくせい相撲すもう出身しゅっしん力士りきしなどで出世しゅっせはやくてかみびがいつかなかったものなどが、ざんばらや丁髷ちょんまげじゅうりょう幕内まくうち土俵どひょうつとめるれいがある[注釈ちゅうしゃく 2]ちなみに、もと横綱よこづなあけぼの証言しょうげんによると「頭頂とうちょう禿げていても後頭部こうとうぶ毛髪もうはつのこっていればだい銀杏いちょうゆわえる」とのことである[5]横綱よこづな土俵入どひょうい露払つゆはら太刀持たちもつとめる力士りきしだい銀杏いちょうわなければならないという暗黙あんもくのルールがあるため、ゆわえない力士りきしはこれらをつとめることができない。

開催かいさい予定よていされていた明治めいじ神宮じんぐう外苑がいえん相撲すもうじょう空襲くうしゅうはらわれたことにより「晴天せいてん7日間にちかん非公開ひこうかい場所ばしょ」となった1945ねん6がつ場所ばしょは、太平洋戦争たいへいようせんそう激化げきかにより物資ぶっし床山とこやま不足ふそくしたため、だい銀杏いちょう横綱よこづな土俵入どひょうい出場しゅつじょう力士りきしのみとなり、ほかの関取せきとりしゅ土俵入どひょういりでも丁髷ちょんまげでの登場とうじょうとなった[6]

相撲すもう規則きそく勝負しょうぶ規定きていだい9じょうでは、「頭髪とうはつすなについたときけである。しかし、相手あいてたおしながら、瞬時しゅんじはやかみがついたときまけにならない」とさだめられている。つまり、げのいになった場合ばあいは、ギリギリまでこらえたがわち。1980ねん9月場所ばしょ7にち高見山たかみやま - たかはなせんは、土俵際どひょうぎわ高見山たかみやま小手こてとうとはなすくいとなり、物言ものいすえたかはなまげさきについたとして高見山たかみやまちとされたが、この場合ばあいどう条項じょうこう後半こうはん部分ぶぶん適用てきようされるべきではなかったかという意見いけんもある。

また相手あいてかみをつかむことは反則はんそくである[7]まげをつかんでの反則はんそくけは、1955ねん規定きていができて以来いらい2023ねん1がつ場所ばしょ阿武あぶさき - 豊昇ほうしょうりゅうせんまでじゅうりょう以上いじょうで40れいあるが、うち30れい2003ねん以降いこう増加ぞうか傾向けいこうにある。反則はんそく厳密げんみつにとるようになったことや、はたきけいわざえていることが要因よういんとされる[8]

だい銀杏いちょういの実演じつえん動画どうが(2022ねん10がつ10日とおか撮影さつえい)

髪結かみゆいの手順てじゅん

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  1. みずおけからガーゼでみずり、ぎわから全体ぜんたいまでまんべんなく水分すいぶんふくませる。その両手りょうてかみばし、くせ一時いちじてきになくす(くせ)。手触てざわりでかみをなでて抵抗ていこうがなくなるまでおこない、最低さいていで5ふん本場所ほんばしょ初日しょにちなどでひさしぶりにだい銀杏いちょう場合ばあい最長さいちょうで30ふんかかるという[9]
  2. 固形こけいのビンあぶらのひらでってかみにまんべんなくつけ、くせのなくなったかみ固定こていする[10]
  3. あらくしかみをよくとかす[10]
  4. ぐしでフケなどのこまかいよごれをとる。このため、ぐしにはかもじかもじ人工じんこう)をけている[11]
  5. ぞろくしでもう一度いちどとき、かみたばねる位置いちめる[12]
  6. 元結もとゆいかみしばる(だいいち元結もとゆい)。このとき左手ひだりてかみささえるため元結もとゆい片端かたはしひだり奥歯おくばんで固定こていしており、床山とこやまつよさがもとめられる。通常つうじょう丁髷ちょんまげでは、ここからかみまえかえしてすうセンチ前方ぜんぽうでもう一度いちどむすび(だい元結もとゆい)、完成かんせいする[12]
  7. まげぼうたたみはりにヤスリをかけたもの)を元結もとゆいのそばにみ、まげだい銀杏いちょうかたちととのえる。
  8. さきしばまげかえしの部分ぶぶんかりむすび、ちからをかけてかえす。だいいち元結もとゆい場所ばしょかえしたかみしばる(さきしばりをはずす)。
  9. まえぜん頭部とうぶすうかけて、ぜん頭部とうぶととのえる[13]
  10. ハケさきかみ先端せんたん)をととのえ、半円はんえんがたにする。きれいにととのわない場合ばあいは、にぎやっとこりそろえる[14]

脚注きゃくちゅう

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注釈ちゅうしゃく

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  1. ^ なおこのような場合ばあい力紙ちからがみをこよりにして応急おうきゅう処置しょちをするのが慣例かんれいになっている。
  2. ^ 十分じゅうぶんかみびるまで土俵どひょう生活せいかつつづけた力士りきしなかにも、ちからさくらなどのように一度いちど脱走だっそうしかけたさいまげって土俵どひょうもどったさいにザンバラでがるものもいる。また、琉王のようによるあいだ高校こうこう通学つうがくするため入門にゅうもんしてからも高校こうこう卒業そつぎょうまでまげわなかったものもいる。

出典しゅってん

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  1. ^ 大相撲おおずもう結髪けっぱつだい銀杏いちょう(おおいちょう)」 山野美容芸術短期大学やまのびようげいじゅつたんきだいがく 2011.06.24 (2023ねん2がつ13にち閲覧えつらん)
  2. ^ 大相撲おおずもうジャーナル』2018ねん3がつごう p.58
  3. ^ 相撲すもう』2013ねん3がつごう73ぺーじ
  4. ^ 相撲すもう規則きそく力士りきし規定きていだい3じょう
  5. ^ 大相撲おおずもうのぶっちゃけはなし』(あけぼの太郎たろうちょ宝島社たからじましゃ
  6. ^ わたしの“奇跡きせきいちまい連載れんさい100】相撲すもうかい劇的げきてき復活ふっかつ原点げんてん! 歴史れきしてき非公開ひこうかい場所ばしょ風景ふうけい BBM Sports 2021-02-02 (2021ねん2がつ5にち閲覧えつらん)
  7. ^ 審判しんぱん規則きそくきんしゅ反則はんそくだい1じょう2こう
  8. ^ 読売新聞よみうりしんぶん2014ねん5がつ25にちづけ、31めん
  9. ^ 小林こばやし, pp. 39–40.
  10. ^ a b 小林こばやし, p. 40.
  11. ^ 小林こばやし, pp. 40–41.
  12. ^ a b 小林こばやし, p. 41.
  13. ^ 小林こばやし, p. 65.
  14. ^ 小林こばやし, pp. 65–66.

参考さんこう文献ぶんけん

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