角番かどばん

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角番かどばん(かどばん)は、大相撲おおずもう本場所ほんばしょにおいてをした場合ばあいに、その地位ちいから陥落かんらくするという状況じょうきょうである[1]通常つうじょうは、現役げんえき大関おおぜき力士りきしたいしてもちいられる[注釈ちゅうしゃく 1]

新聞しんぶんなどでは「かく」の漢字かんじを「かく」「つの」とう間違まちがいしないようにカド番かどばん」「かどばんかな表記ひょうきする場合ばあいおおい。

概要がいよう[編集へんしゅう]

大相撲おおずもうにおいては、基本きほんてき本場所ほんばしょした場合ばあいには番付ばんづけがる(陥落かんらく降格こうかく)が、大関おおぜきについてはその地位ちいがるための規則きそく変則へんそくてきであり、ことなる基準きじゅんによってその陥落かんらくめている。大関おおぜきは、本場所ほんばしょで2場所ばしょ連続れんぞくした場合ばあい関脇せきわけ地位ちい降格こうかくするまりになっており、1場所ばしょしたのちの2場所ばしょが「角番かどばん」といわれる。その場所ばしょすれば、「角番かどばん脱出だっしゅつする」が、すと大関おおぜきから陥落かんらく関脇せきわけ降格こうかく)する。ベテランの力士りきし場合ばあい大関おおぜき陥落かんらくとともに引退いんたいするれいがあることから、「角番かどばん」の場所ばしょは、該当がいとう力士りきしにとって「進退しんたいをかけた場所ばしょ」となることがおおい。

ただし、大関おおぜきから陥落かんらくした力士りきしたいしては救済きゅうさい措置そちとして、関脇せきわけ地位ちい日数にっすう3ぶんの2以上いじょう勝星かちぼしげれば、特例とくれいとして大関おおぜき復帰ふっきできる。1場所ばしょ日数にっすうまい場所ばしょ15にち[注釈ちゅうしゃく 2]であるため、10しょう以上いじょう必要ひつようである(以下いか、「特例とくれい復帰ふっき」)。なおこの特例とくれいは、関脇せきわけ降下こうかした直後ちょくごの1場所ばしょのみ有効ゆうこうであり、この場所ばしょにて6はい(9しょう以下いか休場きゅうじょうふくむ)した場合ばあいは、大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき完全かんぜん消滅しょうめつとなる。特例とくれい復帰ふっき失敗しっぱいした力士りきしがのちにふたた大関おおぜき目指めざすためには、しん大関おおぜき昇進しょうしんおな成績せいせき基準きじゅん関脇せきわけ小結こむすび地位ちい連続れんぞく3場所ばしょ33しょう以上いじょう目安めやす)を達成たっせいしなければならない(この場合ばあいは「大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき」ではなく、「再度さいど大関おおぜき昇進しょうしん」のあつかいをける)。特例とくれい復帰ふっきさい昇進しょうしんのいずれの場合ばあいあらたな代数だいすうあたえられず、新規しんき昇進しょうしんしたとき代数だいすう維持いじされる。

なお、大相撲おおずもう番付ばんづけ上下じょうげについては、力士りきし成績せいせきとのいに左右さゆうされ、横綱よこづな大関おおぜき昇進しょうしんについてはその内容ないようまでが評価ひょうか対象たいしょうとなるが、上記じょうき大関おおぜき陥落かんらく特例とくれい復帰ふっきについては一切いっさい考慮こうりょされず、純粋じゅんすい本人ほんにん成績せいせきのみによってまる。

2023ねんれい5ねん現時点げんじてん2人ふたり以上いじょう大関おおぜき同時どうじ関脇せきわけ地位ちい降格こうかくしたれいは、いまいちい。

制度せいど変遷へんせん[編集へんしゅう]

2場所ばしょ連続れんぞくでの大関おおぜき陥落かんらくについては、1927ねん昭和しょうわ2ねん)の東京とうきょう相撲すもう大坂おおさか相撲すもう合併がっぺい以来いらいしょ制度せいど確定かくていなか定着ていちゃくした(ただし、1929ねん昭和しょうわ4ねん)から1932ねん昭和しょうわ7ねん)までの2場所ばしょ通算つうさん成績せいせきなどで番付ばんづけ編成へんせいしていた時代じだいには、かならずしもこのかぎりではない)。このころ復帰ふっきかんしての明確めいかく規定きていはなかった(1949ねん昭和しょうわ24ねん)1がつ場所ばしょ関脇せきわけ転落てんらくしたしおうみが、1950ねん昭和しょうわ25ねん)1がつ場所ばしょふたた大関おおぜき復活ふっかつしたのが唯一ゆいいつのケースである)。その1958ねん昭和しょうわ33ねん)にとし6場所ばしょせい実施じっしされたさい大関おおぜきで3場所ばしょ連続れんぞくしにより関脇せきわけ降下こうか」することをさだめられた(以下いか、「きゅう制度せいど」。この制度せいどでの大関おおぜき陥落かんらくしゃは、まつのぼるわか羽黒はぐろ力士りきし)。

しかし「これではあまぎる」という意見いけんたために、1969ねん昭和しょうわ44ねん)7がつ場所ばしょ以降いこうふたたび「大関おおぜきで2場所ばしょ連続れんぞくしにより関脇せきわけ陥落かんらく」とあらためる。またそれと同時どうじに、特例とくれい復帰ふっき制度せいどさだめられた。この制度せいど変更へんこうで、大関おおぜき残留ざんりゅう条件じょうけんが「えつえつ→8しょう」から「えつえつ→10しょう」(しかも3場所ばしょ一旦いったん関脇せきわけ降格こうかく)と、すこきびしくなった。

なお、かつて大相撲おおずもう公傷こうしょう制度せいど実施じっしされていたときは、公傷こうしょうみとめられた全休ぜんきゅう場所ばしょはカウントされず、そのよく場所ばしょ角番かどばん場所ばしょとなっていた。公傷こうしょう制度せいどはじまった1972ねん昭和しょうわ47ねん)1がつ場所ばしょ当初とうしょは、大関おおぜきのみ適用てきようがいであったが、1983ねん昭和しょうわ58ねん)5がつ場所ばしょからは大関おおぜき公傷こうしょう適用てきよう対象たいしょう該当がいとうされた[注釈ちゅうしゃく 3]。しかしその場所ばしょちゅう公傷こうしょう適用てきようによる休場きゅうじょう力士りきし増加ぞうかし、さらに当時とうじ大関おおぜきじん休場きゅうじょうすれば公傷こうしょう認定にんていされる弊害へいがいおお理由りゆうもあって、2003ねん平成へいせい15ねん)11月場所ばしょかぎりで公傷こうしょう制度せいど廃止はいしとなった。

記録きろく[編集へんしゅう]

2000年代ねんだい平成へいせい時代じだい中期ちゅうき)には、千代ちよ大海たいかい魁皇かいおうの2大関おおぜきがほぼへだた場所ばしょ角番かどばん状態じょうたいなが大関おおぜき維持いじし、従来じゅうらい記録きろく大幅おおはば更新こうしんしたころから現行げんこう制度せいど見直みなおしもろんじられるようになり、横綱よこづな審議しんぎ委員いいんかいから「累積るいせき5かい角番かどばん降格こうかく引退いんたい勧告かんこく」という具体ぐたいあんされたこともあった[2]。しかし、日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい内部ないぶ改訂かいてい議論ぎろんされるまでにはいたっていない。またかれらは角番かどばん回数かいすうおおいとともに、大関おおぜき地位ちい在位ざいいした期間きかん自体じたいながく、さら長期ちょうき在位ざいいしたおおくの大関おおぜき角番かどばん回数かいすう上位じょういはいっている。

そしてれい時代じだいはいると、2019ねんれい元年がんねん)9がつ2022ねんれい4ねん)11月場所ばしょあいだに、ほぼまい場所ばしょしや休場きゅうじょう角番かどばん力士りきし発生はっせいするなど、大関おおぜきじん成績せいせき低下ていか顕著けんちょになる。ちなみに、2022ねん9がつ場所ばしょ横審よこしん委員いいんかいにおいて、大関おおぜき制度せいどについて異議いぎとなえる横審よこしん委員いいん一部いちぶにおり、「個人こじんてき意見いけんだが、角番かどばん大関おおぜきだいけ(10はい以上いじょう)した力士りきしよく場所ばしょ関脇せきわけ地位ちいめるのはあまぎる。三役さんやく最下位さいかい小結こむすびまでとすべきでは?」と、現行げんこう制度せいど大関おおぜき昇進しょうしん目安めやすについて疑問ぎもんをする意見いけんもあった[3][注釈ちゅうしゃく 4]

角番かどばん回数かいすう[編集へんしゅう]

現行げんこう制度せいど(1969ねん7がつ以降いこう)によるもの

順位じゅんい 回数かいすう 四股しこめい 角番かどばん場所ばしょ
成績せいせき内訳うちわけ
在位ざいい
場所ばしょすう
備考びこう
勝越かちこし えつ その
1 14かい 千代ちよ大海おおうみ龍二りゅうじ 13 1 公傷こうしょう4 65 関脇せきわけ陥落かんらく場所ばしょちゅう引退いんたい
2 13かい 魁皇かいおう博之ひろゆき 13 0 公傷こうしょう1 65
3 9かい ごうさかえどうごう太郎たろう 8 1 0 33 関脇せきわけ陥落かんらく確定かくてい引退いんたい
4 8かい とち東大とうだいひろし 6 2 公傷こうしょう2 30 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき2
番付ばんづけじょう在位ざいい場所ばしょは31場所ばしょ
景勝けいしょう貴信きしん 7 1 0 27 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき1
6 7かい しょうにしきはちじゅうきち 6 1 0 39
きんおうしま勝紀かつのり 6 1 0 47
きんすすむきく和弘かずひろ 6 1 0 32
9 6かい 武双山むそうやませい 4 1 引退いんたい 27 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき1
大関おおぜき角番かどばん場所ばしょちゅう引退いんたい
10 5かい だい麒麟きりんはたのう 5 0 0 25
たかはな利彰としあき 5 0 0 50
わか嶋津しまづろくおっと 4 0 引退いんたい 28 大関おおぜき角番かどばん場所ばしょちゅう引退いんたい
貴ノ浪たかのなみ貞博さだひろ 3 2 0 37 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき1
あきら富士ふじ春雄はるお 4 1 0 16 大関おおぜきさい昇進しょうしん1
のちだい73だい横綱よこづな昇進しょうしん
正代しょうだい直也なおや 4 1 0 13
  • 大関おおぜき力士りきしへの公傷こうしょう制度せいど適用てきようは、1983ねん5がつ場所ばしょ~2003ねん11月場所ばしょ
  • 2024ねん3がつ場所ばしょ13にち終了しゅうりょう現在げんざい太字ふとじ横綱よこづな大関おおぜき現役げんえき力士りきしはす関脇せきわけ以下いか現役げんえき力士りきし
参考さんこうきゅう制度せいど(1958ねん1がつ~1969ねん5がつ)の大関おおぜきでのえつ角番かどばん回数かいすう
順位じゅんい えつ 回数かいすう 四股しこめい 角番かどばん場所ばしょ
成績せいせき内訳うちわけ
在位ざいい
場所ばしょすう
備考びこう
勝越かちこし えつ その
1 12かい 3かい きんはま貞雄さだお 3 0 0 28
2 9かい 1かい 豊山とよやま勝男かつお 1 0 0 34
3 7かい 4かい まつのぼりあきらろう 3 1 0 15 大関おおぜき昇進しょうしんきゅう制度せいど以前いぜん
4 6かい 0かい きた葉山はやま英俊ひでとし 0 0 0 30 大関おおぜき2場所ばしょ連続れんぞく負越まけこ引退いんたい
1かい とち光正みつまさこれ 0 1 0 22 関脇せきわけ陥落かんらく確定かくてい引退いんたい
6 5かい 1かい わか羽黒はぐろともあきら 0 1 0 13
3かい きんさくらすぐるしょう 3 0 0 32 しるし角番かどばん回数かいすう現行げんこう制度せいど(1969ねん7がつ以降いこう
8 2かい 1かい きた冨士ふじ勝明かつあき 1 0 0 21
9 1かい 0かい あさしお太郎たろう 0 0 0 11 大関おおぜき昇進しょうしんきゅう制度せいど以前いぜん
佐田さだやますすむまつ 0 0 0 17
玉乃たまのしま正夫まさお 0 0 0 20

連続れんぞく角番かどばんし(大関おおぜきし)[編集へんしゅう]

順位じゅんい 場所ばしょすう 四股しこめい ぜん場所ばしょ地位ちい成績せいせき 大関おおぜき連続れんぞく勝越かちこし角番かどばんし)期間きかん 場所ばしょ地位ちい成績せいせき
1 32場所ばしょ 武蔵丸むさしまる光洋みつひろ 関脇せきわけ・12しょう3はい 1994ねん平成へいせい6ねん)3がつ場所ばしょ1999ねん平成へいせい11ねん)5がつ場所ばしょ 横綱よこづな・12しょう3はい
2 26場所ばしょ あさうしお太郎たろう (4だい) 大関おおぜき・6しょう3はい6きゅう
→ 公傷こうしょう全休ぜんきゅう
1984ねん昭和しょうわ59ねん)1がつ場所ばしょ-1988ねん昭和しょうわ63ねん)3がつ場所ばしょ 大関おおぜき・1しょう2はい12きゅう
3 20場所ばしょ きんふうごうぶんまわし 関脇せきわけ・12しょう3はい 1981ねん昭和しょうわ56ねん)11月場所ばしょ-1985ねん昭和しょうわ60ねん)1がつ場所ばしょ 大関おおぜき・5しょう10はい
4 18場所ばしょ きた天佑てんゆう勝彦かつひこ 関脇せきわけ・14しょう1はい 1983ねん昭和しょうわ58ねん)7がつ場所ばしょ-1986ねん昭和しょうわ61ねん)5がつ場所ばしょ 大関おおぜき・6しょう9はい
まれぜいさとひろし 大関おおぜき・7しょう8はい 2014ねん平成へいせい26ねん)3がつ場所ばしょ2017ねん平成へいせい29ねん)1がつ場所ばしょ 横綱よこづな・13しょう2はい
6 17場所ばしょ 玉乃たまのしま正夫まさお 大関おおぜき・7しょう8はい 1967ねん昭和しょうわ42ねん)5がつ場所ばしょ-1970ねん昭和しょうわ45ねん)1がつ場所ばしょ 横綱よこづな・13しょう2はい
あさひ富士ふじ正也まさや 関脇せきわけ・12しょう3はい 1987ねん昭和しょうわ62ねん)11月場所ばしょ1990ねん平成へいせい2ねん)7がつ場所ばしょ 横綱よこづな・13しょう2はい
きんおうしま勝紀かつのり 大関おおぜき・2しょう7はい6きゅう 2008ねん平成へいせい20ねん)5がつ場所ばしょ-2011ねん平成へいせい23ねん)1がつ場所ばしょ 大関おおぜき・3しょう8はい4きゅう
9 16場所ばしょ 清國きよくに勝雄かつお 大関おおぜき・7しょう8はい 1970ねん昭和しょうわ45ねん)5がつ場所ばしょ-1972ねん昭和しょうわ47ねん)11月場所ばしょ 大関おおぜき・1しょう6はい8きゅう
10 15場所ばしょ きた富士ふじ勝昭かつあき 大関おおぜき・7しょう8はい 1967ねん昭和しょうわ42ねん)9がつ場所ばしょ1970ねん昭和しょうわ45ねん)1がつ場所ばしょ 横綱よこづな・13しょう2はい
わか嶋津しまづろくおっと 関脇せきわけ・12しょう3はい 1983ねん昭和しょうわ58ねん)1がつ場所ばしょ-1985ねん昭和しょうわ60ねん)5がつ場所ばしょ 大関おおぜき・4しょう4はい7きゅう
  • 現行げんこう角番かどばん制度せいど(1969ねん7がつ場所ばしょ以降いこう大関おおぜき在位ざいいした力士りきし対象たいしょう玉乃たまのとうきた富士ふじきゅう制度せいどからの連続れんぞく場所ばしょすう)。
  • 太字ふとじ地位ちい成績せいせき場所ばしょは、幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう達成たっせい。↑の力士りきしは、場所ばしょ横綱よこづな昇進しょうしん
  • ☆の武蔵丸むさしまるあさひ富士ふじは、角番かどばんいち経験けいけんし)で横綱よこづな昇進しょうしん
  • 玉乃たまのとう横綱よこづな昇進しょうしんたまうみ正洋まさひろ改名かいめい)の1967ねん3がつ場所ばしょしはきゅう制度せいどのもので、角番かどばん経験けいけんしていない。「角番かどばんし」でかぞえると、しん大関おおぜき場所ばしょの1966ねん昭和しょうわ41ねん)11月 - 1970ねん1がつ連続れんぞく20場所ばしょとなる。
  • きた富士ふじきた冨士ふじから改名かいめい)は1967ねん5・7がつ場所ばしょし、きゅう制度せいどでの角番かどばん一度いちど経験けいけんしている。

関脇せきわけ陥落かんらく復帰ふっき[編集へんしゅう]

関脇せきわけ陥落かんらく直後ちょくご場所ばしょで10しょう以上いじょうげて、大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき成功せいこうさせた力士りきしは、三重みえうみ貴ノ浪たかのなみ武双山むそうやまとちひがしとちこころ景勝けいしょうの6にんである。そのうち三重みえうみはのちに横綱よこづな昇進しょうしんたし、とちひがしは2特例とくれい復帰ふっき達成たっせいしている。陥落かんらく場所ばしょ優勝ゆうしょうした力士りきしはいない(景勝けいしょう優勝ゆうしょう同点どうてん成績せいせきのこしている)。

関脇せきわけ陥落かんらく場所ばしょ成績せいせき
場所ばしょ 地位ちい 四股しこめい 成績せいせき 備考びこう
1972ねん昭和しょうわ47ねん)5がつ場所ばしょ ひがしちょういずる関脇せきわけ まえやま太郎たろう 7しょう8はい
1974ねん昭和しょうわ49ねん)7がつ場所ばしょ ひがしちょういずる関脇せきわけ だい受久あきら 9しょう6はい
1976ねん昭和しょうわ51ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ さきがけすぐるはたあきら 7しょう8はい のちさい昇進しょうしん
1976ねん昭和しょうわ51ねん)7がつ場所ばしょ 西にしちょういずる関脇せきわけ 三重みえうみ剛司たけし 10しょう5はい 特例とくれい復帰ふっき
1977ねん昭和しょうわ52ねん)11月場所ばしょ 西にし関脇せきわけ さきがけすぐるはたあきら(2) 6しょう9はい
1985ねん昭和しょうわ60ねん)9がつ場所ばしょ ひがしちょういずる関脇せきわけ きんふうごうぶんまわし 公傷こうしょう全休ぜんきゅう
1993ねん平成へいせい5ねん)3がつ場所ばしょ 西にしちょういずる関脇せきわけ 霧島きりしま一博かずひろ 公傷こうしょう→5しょう10はい
1994ねん平成へいせい6ねん)1がつ場所ばしょ 西にしちょういずる関脇せきわけ しょうにしきはちじゅうきち 2しょう13はい
2000ねん平成へいせい12ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 貴ノ浪たかのなみ貞博さだひろ 10しょう5はい 特例とくれい復帰ふっき
2000ねん平成へいせい12ねん)7がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 貴ノ浪たかのなみ貞博さだひろ(2) 7しょう8はい
2000ねん平成へいせい12ねん)9がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 武双山むそうやませい 10しょう5はい 特例とくれい復帰ふっき
2001ねん平成へいせい13ねん)9がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 出島でじま武春たけはる 5しょう10はい
2002ねん平成へいせい14ねん)1がつ場所ばしょ ひがし関脇せきわけ2 まさやま哲士てつし 公傷こうしょう全休ぜんきゅう
2004ねん平成へいせい16ねん)7がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 とち東大とうだいひろし 10しょう5はい 特例とくれい復帰ふっき
2005ねん平成へいせい17ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 とち東大とうだいひろし(2) 11しょう4はい 特例とくれいさい復帰ふっき
2010ねん平成へいせい22ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 千代ちよ大海おおうみ龍二りゅうじ 0しょう4はい 現役げんえき引退いんたい
2013ねん平成へいせい25ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 瑠都凱斗 8しょう7はい
2014ねん平成へいせい26ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ きんおうしま勝紀かつのり 8しょう7はい
2017ねん平成へいせい29ねん)3がつ場所ばしょ ひがし関脇せきわけ2 きんすすむきく和弘かずひろ 9しょう6はい
2017ねん平成へいせい29ねん)11月場所ばしょ ひがし関脇せきわけ2 あきら富士ふじ春雄はるお 0しょう5はい10きゅう のちさい昇進しょうしん
2019ねんれい元年がんねん)5がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ とちこころ剛史たけし 10しょう5はい 特例とくれい復帰ふっき
2019ねんれい元年がんねん)9がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 景勝けいしょう光信みつのぶ[注釈ちゅうしゃく 5] 12しょう3はい
(●御嶽みたけかい
特例とくれい復帰ふっき
2019ねんれい元年がんねん)11月場所ばしょ 西にし関脇せきわけ とちこころ剛史たけし(2) 2しょう3はい10きゅう
2020ねんれい2ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 髙安あきら 6しょう9はい
2021ねんれい3ねん)9がつ場所ばしょ ひがし関脇せきわけ2 あさ乃山英樹ひでき[注釈ちゅうしゃく 6] 全休ぜんきゅう 出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶん
2022ねんれい4ねん)11月場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 御嶽みたけかい久司ひさし 6しょう9はい
2023ねんれい5ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ2 正代しょうだい直也なおや 6しょう9はい
  • ()は優勝ゆうしょう決定けっていせん
  • このうち公傷こうしょう適用てきようれて全休ぜんきゅうしたきんふうまさやま二人ふたり平幕ひらまく下位かい転落てんらく休場きゅうじょうけの場所ばしょで、きんふう(1985ねん11月場所ばしょ)はひがし前頭まえがしら10まいで0しょう4はい現役げんえき引退いんたい)、まさやま(2002ねん3がつ場所ばしょ)はひがし前頭まえがしら8まいで9しょう6はい
  • ☆の力士りきし横綱よこづな昇進しょうしん太字ふとじあきら富士ふじ景勝けいしょう大関おおぜき以上いじょう地位ちいで、はすの髙安・あさ乃山・御嶽みたけかい正代しょうだい関脇せきわけ以下いか地位ちいで、2023ねん時点じてんにおいて現役げんえきちゅう
  • あさ乃山は、2021ねん5がつ場所ばしょちゅう自身じしん不祥事ふしょうじ発覚はっかくで6場所ばしょ連続れんぞく出場しゅつじょう停止ていし処分しょぶんくだされる。2021ねん7がつ場所ばしょは、大関おおぜき角番かどばん脱出だっしゅつ機会きかいうしなわれ関脇せきわけ陥落かんらくさらにはよく9がつ場所ばしょも、大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき機会きかいなく平幕ひらまく下位かい転落てんらくとなった(最終さいしゅうてき出場しゅつじょう停止ていしけの段階だんかいさんだん22まいまで降下こうか)。
  • 御嶽みたけかいは2022ねん7がつ場所ばしょ角番かどばん大関おおぜきで2しょう5はい8きゅう途中とちゅう休場きゅうじょうしで、通常つうじょうなら関脇せきわけ陥落かんらく状況じょうきょうだった。ところが、所属しょぞくする出羽海でわのうみ部屋へや新型しんがたコロナウイルス感染かんせん発生はっせい(クラスター)により、御嶽みたけうみ強制きょうせい休場きゅうじょうされる。7がつ場所ばしょ番付ばんづけ編成へんせい会議かいぎにおいて、どう場所ばしょちゅう新型しんがたコロナ感染かんせんおよ濃厚のうこう接触せっしょくうたがいによる休場きゅうじょうしゃうち当時とうじ勝越かちこし・負越まけこしが確定かくてい力士りきしよく場所ばしょ番付ばんづけき(事実じじつじょうのみなし公傷こうしょう)になる。その救済きゅうさい措置そち御嶽おんたけうみも、よく9がつ場所ばしょ角番かどばん大関おおぜきのまま継続けいぞくしてむかえた。しかしながら御嶽みたけかいは、とう場所ばしょも4しょう11はい皆勤かいきんえつきっしてしまい、つぎの11月場所ばしょ関脇せきわけ降下こうか決定けっていし、昭和しょうわ以降いこうでは6タイの短命たんめい大関おおぜきとなった[4]

大関おおぜき特例とくれい復帰ふっきめる10しょう復帰ふっき確定かくていする日数にっすう[編集へんしゅう]

順位じゅんい 四股しこめい 10しょうげた日数にっすう 最高さいこう
1 景勝けいしょう光信みつのぶ[注釈ちゅうしゃく 5] 12にち 大関おおぜき
2 三重みえうみ剛司たけし 13にち 横綱よこづな
3 とち東大とうだいひろし 14にち 大関おおぜき
とち東大とうだいひろし(2) 大関おおぜき
とちこころ剛史たけし 大関おおぜき
6 貴ノ浪たかのなみ貞博さだひろ 千秋楽せんしゅうらく 大関おおぜき
武双山むそうやませい 大関おおぜき
  • 太字ふとじ力士りきしは、2023ねん9がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきしである。
  • 貴ノ浪たかのなみとちしんは1度目どめ陥落かんらく場所ばしょでの日数にっすう

陥落かんらく大関おおぜきさい昇進しょうしん事例じれい[編集へんしゅう]

関脇せきわけ陥落かんらく場所ばしょで10しょう以上いじょうげられず特例とくれい復帰ふっき失敗しっぱいしたが、のちに大関おおぜきさい昇進しょうしんたした力士りきしは、さきがけすぐるあきら富士ふじ2人ふたりである。

さきがけすぐる平幕ひらまく地位ちいまで降下こうかしたが、7場所ばしょ大関おおぜきさい昇進しょうしんたした(しかし、その4場所ばしょにまたも関脇せきわけ陥落かんらくし、大関おおぜきさい復活ふっかつならず)。あきら富士ふじじょだん地位ちいまで降下こうかしたが、20場所ばしょ大関おおぜきさい昇進しょうしんたし、さらにその2場所ばしょには横綱よこづな昇進しょうしんをも達成たっせいさせた。

以下いかひょうではかく力士りきしさい昇進しょうしんまでの場所ばしょべつ成績せいせきしめす。

さきがけすぐる[編集へんしゅう]

場所ばしょ 地位ちい 成績せいせき 備考びこう
1976ねん昭和しょうわ51ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 7しょう8はい 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっきならず
1976ねん昭和しょうわ51ねん)3がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう 5しょう10はい 金星かなぼしきたうみ
1976ねん昭和しょうわ51ねん)5がつ場所ばしょ 西前にしまえあたま6まい 10しょう5はい 敢闘かんとうしょう
1976ねん昭和しょうわ51ねん)7がつ場所ばしょ 西にし小結こむすび 5しょう10はい
1976ねん昭和しょうわ51ねん)9がつ場所ばしょ 西前にしまえあたま4まい 14しょう1はい 優勝ゆうしょう敢闘かんとうしょう
1976ねん昭和しょうわ51ねん)11月場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 11しょう4はい 敢闘かんとうしょう
1977ねん昭和しょうわ52ねん)1がつ場所ばしょ 西にし関脇せきわけ 11しょう4はい 敢闘かんとうしょうよく場所ばしょ大関おおぜきさい昇進しょうしん

あきら富士ふじ[編集へんしゅう]

場所ばしょ 地位ちい 成績せいせき 備考びこう
2017ねん平成へいせい29ねん)11月場所ばしょ ひがし関脇せきわけ2 0しょう5はい10きゅう 大関おおぜき特例とくれい復帰ふっきならず
2018ねん平成へいせい30ねん)1がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら10まい 0しょう8はい7きゅう
2018ねん平成へいせい30ねん)3がつ場所ばしょ 西にしじゅうりょう5まい 6しょう9はい
2018ねん平成へいせい30ねん)5がつ場所ばしょ ひがしじゅうりょう8まい 0しょう9はい6きゅう
2018ねん平成へいせい30ねん)7がつ場所ばしょ ひがし幕下まくした6まい 全休ぜんきゅう
2018ねん平成へいせい30ねん)9がつ場所ばしょ ひがし幕下まくした47まい 全休ぜんきゅう
2018ねん平成へいせい30ねん)11月場所ばしょ 西にしさんだん27まい 全休ぜんきゅう
2019ねん平成へいせい31ねん)1がつ場所ばしょ 西にしさんだん88まい 全休ぜんきゅう
2019ねん平成へいせい31ねん)3がつ場所ばしょ 西にしじょだん48まい 7せん全勝ぜんしょう 優勝ゆうしょう同点どうてん
2019ねんれい元年がんねん)5がつ場所ばしょ ひがしさんだん49まい 6しょう1はい
2019ねんれい元年がんねん)7がつ場所ばしょ ひがし幕下まくした59まい 6しょう1はい
2019ねんれい元年がんねん)9がつ場所ばしょ ひがし幕下まくした27まい 6しょう1はい
2019ねんれい元年がんねん)11月場所ばしょ 西にし幕下まくした10まい 7せん全勝ぜんしょう 幕下まくした優勝ゆうしょう
2020ねんれい2ねん)1がつ場所ばしょ 西にしじゅうりょう13まい 13しょう2はい 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう
2020ねんれい2ねん)3がつ場所ばしょ ひがしじゅうりょう3まい 10しょう5はい
2020ねんれい2ねん)7がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら17まい 13しょう2はい 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう
殊勲賞しゅくんしょう
技能ぎのうしょう
2020ねんれい2ねん)9がつ場所ばしょ ひがし前頭まえがしら筆頭ひっとう 8しょう5はい2きゅう
2020ねんれい2ねん)11月場所ばしょ ひがし小結こむすび 13しょう2はい 優勝ゆうしょう同点どうてん
技能ぎのうしょう
2021ねんれい3ねん)1がつ場所ばしょ ひがし関脇せきわけ 11しょう4はい 優勝ゆうしょう次点じてん
技能ぎのうしょう
2021ねんれい3ねん)3がつ場所ばしょ ひがし関脇せきわけ 12しょう3はい 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう
殊勲賞しゅくんしょう
よく場所ばしょさい昇進しょうしん

大関おおぜき特例とくれい復帰ふっき場所ばしょ成績せいせき[編集へんしゅう]

特例とくれい復帰ふっき場所ばしょ 四股しこめい 成績せいせき 最高さいこう 備考びこう
1976ねん昭和しょうわ51ねん)9がつ場所ばしょ 三重みえうみ剛司たけし 9しょう6はい 横綱よこづな
2000ねん平成へいせい12ねん)3がつ場所ばしょ 貴ノ浪たかのなみ貞博さだひろ 7しょう8はい 大関おおぜき よく7がつ場所ばしょ連続れんぞくえつさい陥落かんらく
2000ねん平成へいせい12ねん)11月場所ばしょ 武双山むそうやませい 9しょう6はい
2004ねん平成へいせい16ねん)9がつ場所ばしょ とち東大とうだいひろし 2しょう2はい11きゅう よく11がつ場所ばしょ連続れんぞくえつさい陥落かんらく
2005ねん平成へいせい17ねん)3がつ場所ばしょ とち東大とうだいひろし(2) 10しょう5はい
2019ねんれい元年がんねん)7がつ場所ばしょ とちこころ剛史たけし 0しょう6はい9きゅう よく9がつ場所ばしょ連続れんぞくえつさい陥落かんらく
2019ねんれい元年がんねん)11月場所ばしょ 景勝けいしょう光信みつのぶ[注釈ちゅうしゃく 5] 9しょう6はい

大関おおぜきさい昇進しょうしん場所ばしょ成績せいせき[編集へんしゅう]

さい昇進しょうしん場所ばしょ 四股しこめい 成績せいせき 最高さいこう 備考びこう
1977ねん昭和しょうわ52ねん)3がつ場所ばしょ さきがけすぐるはたあきら 8しょう7はい 大関おおぜき 同年どうねん9がつ場所ばしょ連続れんぞくえつさい陥落かんらく
2021ねんれい3ねん)5がつ場所ばしょ あきら富士ふじ春雄はるお 12しょう3はい(○景勝けいしょう 横綱よこづな 優勝ゆうしょう、()は優勝ゆうしょう決定けっていせん

大関おおぜき角番かどばん優勝ゆうしょうした力士りきし[編集へんしゅう]

角番かどばん場所ばしょ 地位ちい 成績せいせき 四股しこめい ぜん場所ばしょ成績せいせき 場所ばしょ成績せいせき
1975ねん昭和しょうわ50ねん)9がつ場所ばしょ 西にし大関おおぜき 12しょう3はい
(○きたうみ
たかはなけん[注釈ちゅうしゃく 7] 0しょう4はい11きゅう 8しょう7はい
1989ねん平成へいせい元年がんねん)11月場所ばしょ 西にしちょういずる大関おおぜき 14しょう1はい しょうにしきはちじゅうきち 5しょう10はい 10しょう5はい
1994ねん平成へいせい6ねん)1がつ場所ばしょ 西にし大関おおぜき 14しょう1はい たかはな光司こうじ 7しょう8はい 11しょう4はい
2001ねん平成へいせい13ねん)7がつ場所ばしょ 東大とうだいせき3まい 13しょう2はい 魁皇かいおう博之ひろゆき 4しょう5はい6きゅう 0しょう4はい11きゅう
2003ねん平成へいせい15ねん)3がつ場所ばしょ 東大とうだいせき2まい 12しょう3はい 千代ちよ大海おおうみ龍二りゅうじ 6しょう3はい6きゅう 10しょう5はい
2006ねん平成へいせい18ねん)1がつ場所ばしょ 東大とうだいせき2まい 14しょう1はい とち東大とうだいひろし 2しょう2はい11きゅう 12しょう3はい
2008ねん平成へいせい20ねん)5がつ場所ばしょ 西にし大関おおぜき2まい 14しょう1はい きんおうしま勝紀かつのり 2しょう7はい6きゅう 9しょう6はい
2016ねん平成へいせい28ねん)9がつ場所ばしょ 東大とうだいせき2まい 15せん全勝ぜんしょう ごうさかえどうごう太郎たろう 7しょう8はい 9しょう6はい
2023ねんれい5ねん)9がつ場所ばしょ 西にし大関おおぜき 11しょう4はい
(○熱海あたみ富士ふじ
景勝けいしょう貴信きしん 全休ぜんきゅう 9しょう6はい
  • 四股しこめい優勝ゆうしょう当時とうじ四股しこめい
  • 太字ふとじ力士りきしは、2023ねん9がつ場所ばしょ終了しゅうりょう現在げんざい現役げんえき力士りきしである。
  • ()ない優勝ゆうしょう決定けっていせん
  • しるし千代ちよ大海たいかいまえ場所ばしょ成績せいせきぜん場所ばしょ公傷こうしょう制度せいど適用てきようのためカウントされず)。
  • 大関おおぜき2まい」のようにある表記ひょうきは、ちょういずるではなく、番付ばんづけわくないされたもの。
  • 角番かどばん優勝ゆうしょうした場合ばあいよく場所ばしょつな場所ばしょとなる。
    • 上記じょうきの9力士りきしども角番かどばん大関おおぜき優勝ゆうしょうしたものの、次場すばしょでは「大関おおぜきで2場所ばしょ連続れんぞく優勝ゆうしょう、もしくはじゅんずる成績せいせき」をげること出来できず、すべ横綱よこづな昇進しょうしんたしていない。
    • ただし、☆しるしたかはな(のち貴乃花たかのはな)の一人ひとりだけが、その1994ねん9がつと11月場所ばしょに「大関おおぜき場所ばしょ連続れんぞく全勝ぜんしょう優勝ゆうしょう」を達成たっせいして、1995ねん1がつ場所ばしょしん横綱よこづなった。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 地位ちいたいしてもちいられるれいもある。たとえば、2009ねん7がつ場所ばしょ名古屋なごや場所ばしょ)の出島でじま武春たけはるじゅうりょう陥落かんらく危機ききにあり、場所ばしょちゅう朝日新聞あさひしんぶん記事きじに「幕内まくうち角番かどばん」と説明せつめいされた。
  2. ^ 現行げんこう制度せいどでは過去かこ実例じつれいはないが、(国家こっかてき行事ぎょうじや、突発とっぱつてきだい災害さいがい、また相撲すもうかい不祥事ふしょうじなどで)日数にっすう減少げんしょうがあった場合ばあいでも、実際じっさいおこなわれた日数にっすうの3ぶんの2以上いじょう計算けいさんすることとなっている(13にち短縮たんしゅくされた場合ばあいは9しょう条件じょうけんたす、ひとし)。
  3. ^ 適用てきようだいいちごう1983ねん9月場所ばしょ4だいあさしお
  4. ^ 実際じっさい昭和しょうわ初期しょきまでは大関おおぜきから直接ちょくせつ小結こむすび陥落かんらくしたれい周囲しゅうい状況じょうきょう関係かんけいしながら陥落かんらくしたれいもあり(もっとあたらしいれい能代のしろかたにしきさくしながら小結こむすび陥落かんらく)、さらさかのぼると江戸えど時代じだい明治めいじ時代じだいには大関おおぜきから直接ちょくせつ平幕ひらまく陥落かんらくしたれいもあった(もっとあたらしいれい鳳凰ほうおううま五郎ごろう)。
  5. ^ a b c のち景勝けいしょう貴信きしん改名かいめい
  6. ^ のちあさ乃山こうあきら改名かいめい
  7. ^ たかはな利彰としあき

出典しゅってん[編集へんしゅう]