おんな相撲すもう

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おんな相撲すもう(おんなずもう)とは、おんなみによる相撲すもうせることを目的もくてきとする興行こうぎょうである。なお、この興行こうぎょうとしてのおんな相撲すもう日本にっぽん各地かくちのこ民俗みんぞくないし神事しんじとしてのおんな相撲すもうとのあいだ直接ちょくせつ関係かんけいはない。

おんな相撲すもう

概略がいりゃく[編集へんしゅう]

日本にっぽん史上しじょう雄略天皇ゆうりゃくてんのう13ねん木工もっこうにして墨縄すみなわ職人しょくにんいのししめい言葉ことばたいし、雄略天皇ゆうりゃくてんのう采女うねめあつめてふくいでふんどしにさせ相撲すもうらせたことが最初さいしょ記録きろくになる[1]。 

一般いっぱんには江戸えど中期ちゅうき18世紀せいきなかごろから流行りゅうこうした。当初とうしょおんな同士どうし[注釈ちゅうしゃく 1]興行こうぎょうしたが、美人びじんすくなくきられたため、おとこ盲人もうじんとのみをはじめて評判ひょうばんになった。大関おおぜき関脇せきわけなどのシステムはおとこ相撲すもうじゅんじており、四股しこめいには「うばさと」「いろ気取きどり」「たまこしたま輿こし洒落しゃれ)」「ちちちょう」「はら(はらやぐら)」などのちんめいがみられる。

明治めいじ5ねんには、男女だんじょみ・おんな力士りきし裸体らたい禁止きんしされたため、シャツや水着みずぎ使つかわれることもあった(それまでおとこ同様どうよう全裸ぜんらまわしなど、すくなくとも上半身じょうはんしんはだかだった)。明治めいじ中期ちゅうき以降いこうあらわれた複数ふくすうおんな相撲すもう一座いちざには全国ぜんこく興行こうぎょうおこな興行こうぎょうだんもあったという。その昭和しょうわ30年代ねんだい後半こうはんまで九州きゅうしゅうおんな相撲すもう興行こうぎょうだんのこっていたらしい。まただい世界せかい大戦たいせんのちまれた「女子じょしプロレス」はこれらおんな相撲すもうどう系統けいとうのものだという[2]

歴史れきし[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい中期ちゅうき江戸えど両国りょうこく女性じょせい力士りきし座頭ざがしら相撲すもう座頭ざがしら力士りきし(つまりおとこ盲人もうじん)とをませたとされ、のべとおる2ねん1745ねん)の『流行りゅうこうのべとおる二年落首柳営役人評判謎には「いち曲淵まがりぶち越前えちぜんまもるおんな角力すもうぢやといふ、そのしん両国りょうこくではほめれど、いちえんりょくがない」との記述きじゅつがある。

大坂おおさかでも明和めいわ6ねん1769ねん)におんな相撲すもう興行こうぎょうはじめられ、『世間せけん化物ばけもの気質きしつ』に「力業ちからわざを習ひし女郎じょろうも、どうだいざか難波なんば新地さらち女子じょし角力すもう興行こうぎょうせきかかえへられ、さかがくといふ関取せきとりさんじゅうにちひゃくじゅうりょうにて、さきぎんれば」とあり、その人気にんきうかがえる。また『孝行こうこうむすめそで日記にっき明和めいわ7ねん1770ねんばんには、「とても、かやうな上方かみがたでなければよろしうござりやせぬ。聞及ききおよびのとおり、きん年女としおんな相撲すもうなどさへ出来できましたるはな」とある。

女性じょせい盲人もうじんとの相撲すもう江戸えど評判ひょうばんとなり、安永やすなが年間ねんかん1772ねん - 1781ねん)から寛政かんせい年間ねんかん1789ねん - 1801ねん)にかけておんな相撲すもう取材しゅざいした黄表紙きびょうし滑稽本こっけいぼん流行りゅうこうした。寛政かんせい年間ねんかんには、ひつじ相撲すもうをとらせるおんな相撲すもうもおこなわれた。

しかし、安永やすながころからおんな相撲すもう好色こうしょくなひいきがもうわせて興行こうぎょうじん世話人せわにん金銭きんせんあたえ、衆人しゅうじん環視かんしなか男女だんじょ力士りきし醜態しゅうたいえんじさせることが再三さいさんあったため、寺社じしゃ奉行ぶぎょうから相撲すもう小屋こやはらいをめいじられることになった。

のち文政ぶんせい9ねん1826ねん)にいたり、両国りょうこく女性じょせい盲人もうじんとの相撲すもう復活ふっかつした。他方たほうおんな同士どうし相撲すもう興行こうぎょうについては、興行こうぎょうしゃにも企図きとするものがあったものの、その禁止きんし復活ふっかつたせず、結局けっきょくよしみひさし元年がんねん1848ねん)にいたり、名古屋なごやのぼおんな相撲すもう一団いちだん大坂おおさか難波なんば新地さらちにて興行こうぎょう復活ふっかつさせることになった。このときそれまでおんな力士りきし島田しまだ丸髷まるまげ姿すがたであったものをおとこまげあらためた。この興行こうぎょうは『大津絵おおつえぶし』に「難波なんば新地さらちみぞかわちからおんなはなくらべ、数々かずかずさかんの人気にんき取結とりむすびたる名古屋帯なごやおび尾張おわりくにからのぼて、お目見めみげい甚句じんくぶしそろいひつつ拍子ひょうしやう、姿すがたなまめく手踊ておどりに引替へて、ちからそうぜいひのはげしさとやさしさは、うらひょう四十八手しじゅうはって」とうたわれるほどの人気にんきとなり、華美かびまわしのしめこみと美声びせい甚句じんくぶししゅおどりが観客かんきゃくのこころをとらえ、幕末ばくまつ興行こうぎょうかい異彩いさいをはなった。

明治めいじ5ねん1872ねん)3がつ男女だんじょ相撲すもう見物けんぶつさい差止さしどめにより消滅しょうめつ傾向けいこうにあったが、明治めいじ中頃なかごろ興行こうぎょうかい復活ふっかつした。興行こうぎょうだんいちだんは30にんほどで地方ちほう巡業じゅんぎょうにもた。女性じょせい力士りきしおおくは14、5さいから25さいくらいの女性じょせいで、全裸ぜんらではなくうす肉襦袢にくじばん着込きこんで猿股さるまた穿いていた。

これは挌技きそうというよりもむしろ余興よきょう舞踊ぶよう力業ちからわざ曲芸きょくげいおもとしており、演目えんもくは、お目見めみえかっぽれ、相撲すもう甚句じんく姿すがた派手はでどてらをうちかけてずらりとなら囃子方はやしかたわせて力足ちからあしみしめ、いちゃなふし[注釈ちゅうしゃく 2] という俗謡ぞくようおど舞踊ぶよう、またみなもと太郎たろうどじょうすくい、その流行りゅうこう小唄こうたぶし流行りゅうこうおどりのほか、はらうえでのもちつき、ななにんむすめ曲芸きょくげいなどであった。

映像えいぞう作品さくひん[編集へんしゅう]

映画えいが
  • きくとギロチン(2018ねん7がつ公開こうかい)1920年代ねんだいおんな相撲すもう興行こうぎょうだん題材だいざいにした日本にっぽん映画えいが
テレビドラマ
  • おんな相撲すもう脚本きゃくほん早坂はやさかあきら 1991ねん テレパックTBS
    四国しこく風早かざはやまち花緑はなみどり親方おやかたひきいるおんな相撲すもういちぎょうがやってきた。海外かいがい巡業じゅんぎょうをしたこともある実力じつりょくしゃぞろいのいちぎょうだったが、時節じせつがら今回こんかい興行こうぎょうをもって解散かいさんすることになっていた。おんな相撲すもうはやがて千秋楽せんしゅうらくむかえ、故郷こきょうのある力士りきしたちはかえってったが、まちのこものもあった。つぎとしの12月、日本にっぽん真珠湾しんじゅわん攻撃こうげきおこない、アメリカと戦闘せんとう開始かいしした。平和へいわまちにも、戦争せんそう足音あしおとしのってくる・・・。1992ねん放送ほうそう文化ぶんか基金ききんしょうほんしょう、1992ねんテレビジョンATPしょう優秀ゆうしゅうしょう花緑はなみどり親方おやかたやくナナだい18かい放送ほうそう文化ぶんか基金ききんしょう演技えんぎしょう受賞じゅしょう
  • タイムスクープハンター(2012ねん NHK総合そうごうだい4だい3おんな相撲すもうじんせい土俵際どひょうぎわ

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 井田いだ真木子まきこ『プロレス少女しょうじょ伝説でんせつ文藝春秋ぶんげいしゅんじゅう、1993ねんISBN 978-4167554019  - だい22かい大宅おおたく壮一そういちノンフィクションしょう受賞じゅしょう作中さくちゅうおんな相撲すもうについての記述きじゅつがある。映画えいがきくとギロチン』のモチーフにもなった[注釈ちゅうしゃく 3]
  • 亀井かめい好恵よしえおんな相撲すもう民俗みんぞく越境えっきょうする芸能げいのうけいともしゃ考古こうこ民俗みんぞく叢書そうしょ〉、2012ねん10がつISBN 978-4874491423 
  • 山田やまだ知子ともこ相撲すもう民俗みんぞく東京書籍とうきょうしょせきひがししょ選書せんしょ〉、1996ねん8がつISBN 978-4487722419 
  • 遠藤えんどう泰夫やすおおんな大関おおぜき 若緑わかみどり朝日新聞社あさひしんぶんしゃ、2004ねん3がつISBN 978-4021000843 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

注釈ちゅうしゃく[編集へんしゅう]

  1. ^ 若年寄わかどしより田沼たぬま意知おきともこのむところで、広間ひろま天鵞絨びろうど(びろうど)の蒲団ふとん土俵どひょうつくって女中じょちゅう相撲すもうをさせた、という俗伝ぞくでんがある。
  2. ^ 潮来いたこイチャナイチャナ、出島でじま真菰まこもなかで、ヤレオケサガオウ、菖蒲しょうぶくとは、イチャナイチャナ、しほらしや、イチャイチャイチャナア」などとうた俗謡ぞくよう
  3. ^ どう映画えいがプログラムない敬久たかひさ監督かんとくのプロダクションノートより

出典しゅってん[編集へんしゅう]

  1. ^ 日本書紀にほんしょきまきだいじゅうよん
  2. ^ 小学館しょうがくかん 日本にっぽん百科ひゃっかだい事典じてん3 昭和しょうわ38ねん1がつ25にち初版しょはん発行はっこう

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]