あやさくら由太郎よしたろう

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あやさくら 由太郎よしたろう
基礎きそ情報じょうほう
四股しこめい あやさくら 由太郎よしたろう
本名ほんみょう 清野きよの 由太郎よしたろう
愛称あいしょう もう一人ひとり安藝あきうみ[1]
生年月日せいねんがっぴ 1898ねん3月11にち
ぼつ年月日ねんがっぴ (1982-12-08) 1982ねん12月8にち(84さいぼつ
出身しゅっしん 青森あおもりけん西津軽にしつがるぐんあじさわまち
身長しんちょう 170cm
体重たいじゅう 113kg
BMI 39.10
所属しょぞく部屋へや 入間川いりまがわ部屋へや
出羽海でわのうみ部屋へや
千賀ちかうら部屋へや
出羽海でわのうみ部屋へや
得意とくいわざ ひだりよっつ、り、上手じょうず
成績せいせき
現在げんざい番付ばんづけ 引退いんたい
最高さいこう ひがし関脇せきわけ
生涯しょうがい戦歴せんれき 220しょう185はい1あずか(53場所ばしょ)
幕内まくうち戦歴せんれき 85しょう93はい(17場所ばしょ[2]
優勝ゆうしょう 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう1かい
十両じゅうりょう優勝ゆうしょう1かい
幕下まくした優勝ゆうしょう1かい
データ
はつ土俵どひょう 1916ねん1がつ場所ばしょ
入幕にゅうまく 1930ねん5月場所ばしょ
引退いんたい 1937ねん5月場所ばしょ
備考びこう
2021ねん2がつ6にち現在げんざい

あやさくら 由太郎よしたろう(あやざくら よしたろう、1898ねん3月11にち - 1982ねん12月8にち)は、青森あおもりけん西津軽にしつがるぐんあじさわまち出身しゅっしん出羽海でわのうみ部屋へや所属しょぞくした大相撲おおずもう力士りきし本名ほんみょう清野きよの 由太郎よしたろう(きよの(せいの) ゆうたろう)。最高さいこうひがし関脇せきわけ

来歴らいれき[編集へんしゅう]

1898ねん3月11にち青森あおもりけん西津軽にしつがるぐんまれる。地元じもと小学校しょうがっこう卒業そつぎょうしてから近所きんじょにあった桜庭さくらば呉服ごふくてん奉公ほうこうていたが、相撲すもうきな呉服ごふくてん店主てんしゅから影響えいきょうけて土地とち相撲すもう出場しゅつじょうして実力じつりょくけ、入間川いりまがわ部屋へや入門にゅうもん1916ねん1がつ場所ばしょはつ土俵どひょうんだ。

立合たちあいから一切いっさいあたまげないままめる堅実けんじつくちで、んでから時折ときおり足癖あしくせせて相手あいてたおした。しかし、脚気かっけわずらったことでいち帰郷ききょうし、1ねんぜん相撲すもうからさい出発しゅっぱつした。こうした苦労くろう甲斐かいあって1922ねん5月場所ばしょしんじゅうりょう昇進しょうしんたしたが、わずか1場所ばしょ幕下まくした転落てんらくして以降いこう幕下まくしたらしがながくなった。さい昇進しょうしん自信じしんうしなっていたところへ、大連たいれんでの巡業じゅんぎょう同郷どうきょう画家がか野沢のざわ如洋からにしょう野道のみちふうさくやなぎかえる」のもらって激励げきれいされたうえ、だいさとまんすけがやってきてもう稽古けいこけられたことで奮起ふんきし、1927ねん10がつ場所ばしょさいじゅうりょう昇進しょうしん1930ねん5月場所ばしょ悲願ひがんしん入幕にゅうまくを32さいたした。

入幕にゅうまくおおきなしこそいものの、すこしずつ番付ばんづけげていく。ひがし前頭まえがしら4まいむかえた1931ねん10がつ場所ばしょでは10しょう1はい好成績こうせいせき平幕ひらまくでの幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょうたしたが、当時とうじ地方ちほう場所ばしょでは優勝ゆうしょうがく存在そんざいせず、子供こどもまご優勝ゆうしょう報告ほうこくしても信用しんようしてもらえなかったという。1932ねん1がつ6にち春秋しゅんじゅうえん事件じけん勃発ぼっぱつすると日本にっぽん相撲すもう協会きょうかい脱退だったいするが、1933ねん1がつ場所ばしょにて幕内まくうち格別かくべつせき帰参きさんした。1934ねん5月場所ばしょからは綾川あやかわ 五郎ごろう改名かいめい[3]1935ねん1がつ場所ばしょ関脇せきわけ昇進しょうしんした[3][4]が、しん関脇せきわけむかえた1935ねん1がつ場所ばしょでは2しょう9はいおおきくしたために1場所ばしょ平幕ひらまく降格こうかくした。 1937ねん6月じゅん本場所ほんばしょで、当時とうじ27連勝れんしょうちゅうだったそう葉山はやま定次さだじそとやぶり、のち出羽海でわのうみ一門いちもんで「打倒だとう双葉ふたば」を合言葉あいことば対策たいさくひろげる手掛てがかりをつけた功労こうろうしゃとされた[3]。このとき功労こうろうをたたえて相撲すもう作家さっか石井いしいだいぞうもう一人ひとり安藝あきうみという異名いみょうあやさくらあたえた[1]

1937ねん年末ねんまつに、九州きゅうしゅう巡業じゅんぎょう新海しんかい幸藏こうぞうぐちろんすえ喧嘩けんかとなり、新海しんかいからル瓶るびんあたまなぐられた。新海しんかい加害かがいしゃであることで強制きょうせいてき引退いんたいさせられたが、綾川あやかわ被害ひがいしゃでありながら新海しんかい綾川あやかわがあるかのように仕立したてたため非難ひなんけ、なか強制きょうせいてき引退いんたいさせられた。引退いんたいは、年寄としより千賀ちかうら襲名しゅうめい[5]1940ねん1がつ場所ばしょ最後さいご廃業はいぎょうきょうしろ旅館りょかん経営けいえいしたが、だい世界せかい大戦たいせん終戦しゅうせん帰国きこくして、綾川あやかわ五郎ごろう先代せんだいおなじように明治大学めいじだいがく相撲すもう師範しはんつとめた。わかりやすい指導しどう学生がくせいから人気にんきあつめ、さらに相撲すもう部員ぶいん世話せわによって、柳橋やなぎはし料理りょうりてん経営けいえいした。

1982ねん12月8にち急性きゅうせい肺炎はいえんのため五所川原ごしょがわら病院びょういん死去しきょ、84さいぼつ戦前せんぜん幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう達成たっせいした最後さいごのこりだった。現在げんざい青森あおもりけん五所川原ごしょがわら綾川あやかわ記念きねん存在そんざいする。

おも成績せいせき[編集へんしゅう]

  • 通算つうさん成績せいせき:220しょう185はい1あずか 勝率しょうりつ.543
  • 幕内まくうち成績せいせき:85しょう93はい 勝率しょうりつ.478
  • 現役げんえき在位ざいい:53場所ばしょ
  • 幕内まくうち在位ざいい:17場所ばしょ
  • さんやく在位ざいい:2場所ばしょ関脇せきわけ1場所ばしょ小結こむすび1場所ばしょ[6]

かくだん優勝ゆうしょう[編集へんしゅう]

  • 幕内まくうち最高さいこう優勝ゆうしょう:1かい(1931ねん10がつ場所ばしょ
  • 十両じゅうりょう優勝ゆうしょう:1かい(1930ねん1がつ場所ばしょ
  • 幕下まくした優勝ゆうしょう:1かい(1927ねん3がつ場所ばしょ

場所ばしょべつ成績せいせき[編集へんしゅう]

あやさくら 由太郎よしたろう
春場所はるばしょ さんがつ場所ばしょ 夏場所なつばしょ 秋場所あきばしょ
1916ねん
大正たいしょう5ねん
ぜん相撲すもう x ぜん相撲すもう x
1917ねん
大正たいしょう6ねん
ぜん相撲すもう x ひがし序ノ口じょのくち32まい
3–0 
x
1918ねん
大正たいしょう7ねん
西にしじょだん63まい
3–1
(1あずか)
 
x 西にしじょだん24まい
3–2 
x
1919ねん
大正たいしょう8ねん
西にしさんだん58まい
3–2 
x ひがしさんだん30まい
4–1 
x
1920ねん
大正たいしょう9ねん
ひがしさんだん2まい
3–2 
x ひがし幕下まくした41まい
4–1 
x
1921ねん
大正たいしょう10ねん
西にし幕下まくした14まい
2–3 
x 西にし幕下まくした28まい
3–2 
x
1922ねん
大正たいしょう11ねん
ひがし幕下まくした19まい
4–1 
x 西にしじゅうりょう12まい
2–3 
x
1923ねん
大正たいしょう12ねん
ひがし幕下まくした2まい
1–9 
x ひがし幕下まくした21まい
2–4 
x
1924ねん
大正たいしょう13ねん
西にし幕下まくした27まい
3–2 
x 西にし幕下まくした12まい
3–3 
x
1925ねん
大正たいしょう14ねん
西にし幕下まくした12まい
2–4 
x 西にし幕下まくした22まい
2–4 
x
1926ねん
大正たいしょう15ねん
ひがし幕下まくした33まい
4–2 
x 西にし幕下まくした25まい
4–2 
x
1927ねん
昭和しょうわ2ねん
ひがし幕下まくした11まい
3–3 
ひがし幕下まくした11まい
優勝ゆうしょう
6–0
ひがし幕下まくした13まい
3–3 
ひがしじゅうりょう7まい
5–5 
1928ねん
昭和しょうわ3ねん
ひがし幕下まくした9まい
4–2 
ひがしじゅうりょう4まい
7–4 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
4–2 
ひがし幕下まくした筆頭ひっとう
5–2 
1929ねん
昭和しょうわ4ねん
ひがしじゅうりょう6まい
5–6 
ひがしじゅうりょう6まい
4–7 
西にしじゅうりょう11まい
10–1 
西にしじゅうりょう11まい
8–3 
1930ねん
昭和しょうわ5ねん
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
優勝ゆうしょう
10–1
西にしじゅうりょう筆頭ひっとう
6–5 
ひがし前頭まえがしら9まい
7–4 
ひがし前頭まえがしら9まい
4–7 
1931ねん
昭和しょうわ6ねん
西前にしまえあたま5まい
6–5 
西前にしまえあたま5まい
5–6 
ひがし前頭まえがしら4まい
4–7 
ひがし前頭まえがしら4まい
10–1
旗手きしゅ
 
1932ねん
昭和しょうわ7ねん
西にし小結こむすび
 
x x x
1933ねん
昭和しょうわ8ねん
前頭まえがしら
5–6 
x ひがし前頭まえがしら5まい
5–6 
x
1934ねん
昭和しょうわ9ねん
ひがし前頭まえがしら5まい
6–5 
x ひがし前頭まえがしら2まい
8–3 
x
1935ねん
昭和しょうわ10ねん
ひがし関脇せきわけ
2–9 
x ひがし前頭まえがしら4まい
3–8 
x
1936ねん
昭和しょうわ11ねん
西前にしまえあたま7まい
3–8 
x 西前にしまえあたま15まい
6–5 
x
1937ねん
昭和しょうわ12ねん
西前にしまえあたま10まい
7–4 
x 西前にしまえあたま3まい
引退いんたい
4–9–0
x
かくらん数字すうじは、「ち-け-休場きゅうじょう」をしめす。    優勝ゆうしょう 引退いんたい 休場きゅうじょう じゅうりょう 幕下まくした
さんしょう=敢闘かんとうしょうこと=殊勲賞しゅくんしょうわざ=技能ぎのうしょう     その=金星かなぼし
番付ばんづけ階級かいきゅう幕内まくうち - じゅうりょう - 幕下まくした - さんだん - じょだん - 序ノ口じょのくち
幕内まくうち序列じょれつ横綱よこづな - 大関おおぜき - 関脇せきわけ - 小結こむすび - 前頭まえがしら(「#数字すうじ」は各位かくいない序列じょれつ

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 石井いしいだいぞうしんせつ大相撲おおずもう見聞けんぶんろく』(新潮しんちょう文庫ぶんこ
  2. ^ 春秋しゅんじゅうえん事件じけんでの脱退だったい(1場所ばしょ)をふくむ。
  3. ^ a b c ベースボールマガジンしゃ大相撲おおずもう名門めいもん列伝れつでんシリーズ(1) 出羽海でわのうみ部屋へや春日野かすがの部屋へや 』(2017ねん、B・B・MOOK)p25
  4. ^ 日本にっぽん相撲すもう協会きょうかいのホームページでは、このときの綾川あやかわ最年長さいねんちょうしんさんやくとしている
  5. ^ 正確せいかくには1936ねん1がつよりまい鑑札かんさつ年寄としよりになっている。
  6. ^ ただし、小結こむすび1場所ばしょ春秋しゅんじゅうえん事件じけん中止ちゅうしになった1932ねん1がつ場所ばしょである。

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]