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坂口 忠次(さかぐち ちゅうじ、1890年12月3日[1] - 没年不詳)は、日本の鉄道官僚、実業家。
坂口貫太郎の長男として福岡市東中洲町に生まれる[1]。1910年福岡県立中学修猷館[2]、1914年7月第一高等学校英法科[3]を経て、1917年7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[4]。高等文官試験行政科に合格する[1]。
鉄道院に入省し、鉄道省事務官兼参事官、鉄道大臣秘書官を務め、欧米各国に留学後、鉄道局参事となり、仙台鉄道局庶務課長、鉄道省監督局業務課長・総務課長、大臣官房人事課長、広島鉄道局長、東京鉄道局長、鉄道監督官を歴任し、1940年退官する。その後、西武鉄道(旧)社長を務めた[5]。
- ^ a b c 『大衆人事録第14版 東京篇』(帝国秘密探偵社、1942年)452頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員8頁
- ^ 『第一高等学校一覧(自昭和16年至昭和17年)(附録)』(第一高等学校、1941年)166頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名132頁
- ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) サ-94頁