坂田さかたかみなり

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坂田さかたかみなり
時代じだい 飛鳥あすか時代ときよ
生誕せいたん 不明ふめい
死没しぼつ 天武天皇てんむてんのう5ねん676ねん)9がつ
官位かんい おく大紫おおむらさき
主君しゅくん 天武天皇てんむてんのう
氏族しぞく 坂田さかたこう
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坂田さかた かみなり(さかた の いかづち)は、飛鳥あすか時代ときよ人物じんぶつせいおおやけみずのえさるらん功臣こうしんかんむりおく大紫おおむらさき

経歴けいれき[編集へんしゅう]

坂田さかたこうつぎたい天皇てんのうであるちゅう皇子おうじとするすめらぎべつ氏族しぞく

日本書紀にほんしょき』がみずのえさるらんについてべるくだりに坂田さかたかみなりあらわれない。天武天皇てんむてんのう5ねん676ねん)9がつこれがつじょう坂田さかたこうかみなりに、みずのえさるとしこうによって大紫おおむらさきおくられたことがしるされる。どのような功績こうせきがあったかは不明ふめいだが、大紫おおむらさきみずのえさる功臣こうしんなかでも高位こういではある。

その末裔まつえいが、坂田さかたこうりょく(さかた こうりき)との現存げんそんするとのはなしがあるが、細部さいぶさだかにはなっていない。