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大里おおさと古墳こふん

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
大里おおさと古墳こふん
所在地しょざいち 徳島とくしまけん海部かいふぐん海陽かいようまち大里おおさと浜崎はまざき34-4
形状けいじょう 横穴よこあなしき石室いしむろ
出土しゅつどひん 須恵すえてつ装身具そうしんぐなど
築造ちくぞう時期じき 7世紀せいき前半ぜんはん
史跡しせき 徳島とくしまけん指定してい史跡しせき
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大里おおさと古墳こふん(おおさとこふん)は、徳島とくしまけん海部かいふぐん海陽かいようまちにある古墳こふん徳島とくしまけん指定してい史跡しせき徳島とくしまけんみなみ最大さいだい横穴よこあなしきえんふん阿波海南あわかいなん文化ぶんかむら古墳こふん復元ふくげんなどが展示てんじされている。

概要がいよう

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海部川かいふがわのぞ段丘だんきゅうじょう標高ひょうこうやく8mの地点ちてん位置いちする。かつてはすう古墳こふん存在そんざいしていたが、現在げんざいは2ごうふんのみがのこる。1951ねん昭和しょうわ26ねん)からけい4調査ちょうさおこなわれており、1996ねん平成へいせい8ねん)の徳島大学とくしまだいがく考古学こうこがく研究けんきゅうしつによる調査ちょうさで、直径ちょっけいやく20mの墳丘ふんきゅうをもち、周囲しゅういはばやく2mのしゅうほりがめぐっていたことが確認かくにんされた[1]

墳丘ふんきゅう中央ちゅうおうには横穴よこあなしき石室いしむろつくられている。石室いしむろ規模きぼ全長ぜんちょう11.2m、玄室げんしつちょう5.7m、はば1.95m、羨道せんどうちょう5.5m。おもさ5tをえる巨石きょせきもちいて石室いしむろきずかれている。石室いしむろからは須恵すえてつ鏃、装身具そうしんぐなどが出土しゅつどした。出土しゅつどした須恵すえ特徴とくちょうから7世紀せいきはじめごろ築造ちくぞうされたとかんがえられる[2]

交通こうつう

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 大里おおさと古墳こふん古墳こふん”. レキシルとくしま. 2023ねん7がつ29にち閲覧えつらん
  2. ^ 阿波海南あわかいなん大里おおさと2ごうふん発掘はっくつ調査ちょうさ報告ほうこくしょ”. 奈良なら文化財ぶんかざい研究所けんきゅうじょ. 2023ねん7がつ29にち閲覧えつらん

外部がいぶリンク

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