奥 並 継
略歴
[君 名 並 継 。字 子 紹。號 二 菱池 一 。本姓 藤波 氏 。幼 承 二 宇佐 祠官 奥 氏 後 一 。及レ長 襲 レ職 。任 二 對馬 守 一 。叙 二 従 五 位 下 一 。方 二 幕府 末 造 一 。国家 多 虞 。君 慨然 憂 レ之 。遊 二 京師 一 。結 二 交志士 一 。密 二 議 時事 一 。長 藩 得 二 罪 朝廷 一 。與 二 薩藩一 交悪。君 素 與 二 西郷 隆盛 桐野 利秋 等 一 善 。居 レ間 圖 二 調停 一 。事 竟解。既 歸 レ郷 。志士 往二 来 二 豐間 一 者 。訪問 相 踵 。幕吏 疑 三 其有二 異 謀 一 。収 二 君 及弟重明 一 。下 二 獄 於日田 一 三 年 。王室 中興 。冤始得 レ白 。明治 三 年 任 二 神祇 少 史 一 。遷二 權 大 史 一 。歴 二 官 陸軍 省 東京 府 開拓 使 大蔵省 一 。進 二 修史 局 編修 官 一 。叙 二 正 七 位 一 。君 年 十 二 入 二 廣瀬 淡窓 門 一 。後 従 二 遊 帆足 萬里 一 。在 二 江戸 一 従 二 平田 篤胤 一 修 二 国學 一 。興 二 郷 校 於宇佐 一 訓 二 子弟 一 。晩年 罷 レ官 。爲 二 斯文 學會 幹事 一 。又 創 二 大 日本 中 學會 一 。設 二 義 塾 一 曰二 東 發 一 。二 豐 子弟 負 二 笈 東京 一 者 皆 依 焉。君 提 撕誘掖 。毫無二 倦色一 。爲 レ人 廉潔 淳 正 。與 レ人 不 レ設 二 城府 一 。有 二 來 依託 者 一 。竭レ力 庇 助 。必得二 其所一 而後已 。状 貌豐肥 。性 嗜レ酒 。醉 則 賦 レ詩 詠 レ歌 。逌然自適 。又 好 二 筆 礼 一 。至 レ老 益 篤 。有 レ得 二 於晋唐 書法 一 。廿 七 年 二 月 廿 六 日 歿。年 七 十 一 。葬 二 谷中 天王寺 兆 城 一 。配 渡邊 氏 。子女 各 三 。長子 某 夭。次 豐 彦嗣。長女 適 二 末広 嚴 石 一 。餘 夭。豐 彦裒二 輯君遺文 一 爲 二 若干 巻 一 。曰二 菱池 遺稿 一 。藏 二 于家一 。他 蝦夷 風俗 彝 纂。開拓 使 事務 報告 。各 若干 巻 。奉 二 使 廰命一 撰 。君 本 生 考 諱 榮 順 。妣並松 氏 。生 二 二 子 一 。長 即 君 。次 重明 。嗣二 時枝 氏 一 。先 世 爲 二 宇佐 彌勒寺 堂 司 一 。奉 二 祀 宇佐 神祠 一 。至 二 考 家 衰 一 。發 レ憤 經 紀 。遂 饒 二 于財。慨二 神祠 毀壊歳 久 一 。常 有 二 復舊 之 志 一 。因 納 レ資 。使 三 君 嗣二 奥 氏 一 。君 至 二 江戸 一 。請二 幕府 一 修 二 繕 之 一 。淹留四 歳 得 レ允 。輪 奐之美 。有 レ踰二 於往昔 一 。善 繼 二 紹志業 一 。可 レ謂 レ不 レ負 二 名字 一 矣。中興 前後 。起 二 身 詞 官 一 。慷漑憂 レ国 者 。世 不 レ乏 二 其人一 。然 志 過 二 於憤一 レ時 。行 専 二 於守一 レ舊 。往々 流入 二 詭激一 。君 則 和平 篤 厚 。怡然自得 。能 以二 文學 一 終始 。而憂国 之 念 。未 三 嘗忘二 乎懐一 。中 行 令 レ終 。有 レ異 二 於世流 一 焉。豐彦 撰 レ状 。問 二 銘 於予一 。予 與 レ君 交善。誼 不 レ可 レ辭 。據 二 状 次第 一 。掲二 之 於石一 。銘 曰。
面 如レ棗 鬚 似 レ銀 其気和 其貌温 善 接 レ人 克 事 レ神 神 攸レ祐 壽 全 レ身 佳 城 爵 爰妥レ魂 徳 無 レ忘銘 不 レ磷
明治 卅一年歳在戊戌第一月正 四 位 文學 博士 重野 安繹 撰 —奥 並 継 の墓碑銘 、「菱池 奥 君 墓碑銘 」東大 教授 文学 博士 重野 安繹 の撰 [5]
奥 並 継 は字 を子 紹、号 を菱池 といった(菱池 は宇佐 神宮 境内 地 の池 名 である)豊前 宇佐 の藤波 氏 に生 まれたが、宇佐 宮 祠官 奥 氏 を継 いだのである。年 十 二 にして広瀬 淡窓 の入 り後 帆足 万里 に学 んだ。安政 二 年 (一 八 五 五 )江戸 に出 て平田 篤胤 の門 に入 り、国学 を修 めた。その後 一旦 郷里 豊 前 宇佐 に帰 り、祠 職 を襲 ぎ宇佐 神宮 に奉仕 した。傍 ら吉成 明正 等 と謀 り郷 校 を建 て子弟 を教育 した。しかしそれのみではあきたらず、文久 三 年 (一 八 六 三 )飄然 して京都 に出 遊 し、憂国 の志士 と交 わりこれから国事 疾走 の生活 が始 る。その頃 長州 藩 は朝廷 に罪 を得 ていた為 に並 継 は西郷 隆盛 、桐野 利秋 等 薩摩 の士 と善 くしたので土 藩 の坂本 中岡 等 と共 に両 藩 の調停 をはかり、功 を奏 した。丁度 七 卿 落 ちとなり勤王 攘夷 党 の蹉跌 をみるや、憤慨 し故国 に帰 り、二 豊 の志士 等 と語 らい勤王 倒幕 の先鞭 をつけんとしてならず、弟 時枝 重明 と共 に日田 の獄舎 に投 じられ、三 年 を経 て即位 の大赦 により出獄 した。
出獄 の後 明治 三 年 神祇 少 史 に任 じ、権 大 史 に遷り、陸軍 省 、大蔵省 等 に歴任 明治 十 五 年 修史 局 編集 官 となり、明治 十 九 年 辞職 したが斯文 会 幹事 になったり、大 日本 中 学会 会長 として育英 事業 に尽力 した。明治 二 十 七 年 七 十 一 歳 にて東京 で客死 した。著書 に菱池 遺稿 がある。上下 二 巻 に分 れ、上巻 には伊東 竹園 の序文 及 び重野 安繹 の墓碑銘 を始 めとして、菱池 の書 き与 えた、書 、序文 、袚文、墓碑銘 等 が収 められ、下巻 には菱池 の詩集 が収 められている。これ等 のものは詩文 の道 から別 としても、何 れも幕末 の青年 学徒 が国学 を学 び、儒学 更 に洋学 を学 びとって、新 しい国 造 りに役立 たせようとしている。近代 日本 の揺籃 期 を物語 る烈々 たる気概 が示 されて興味深 いものがある。(中野 幡 能 ) — 『菱池 遺稿 』奥 並 継 著 の解題 、「奥 並 継 とその遺稿 」大分県立芸術短期大学 名誉 教授 文学 博士 中野 幡 能 [3]
著書
[- 『
菱池 遺稿 』(巻 上 ・巻 下 )奥 菱池 (並 継 )著 奥 豊彦 編 [7] - 『
蝦夷 風俗 彙纂』前後 編 肥塚 貴 正編 奥 並 継 「蝦夷 風俗 彙纂序 (代 )」校 [8] - 『
初学 文範 巻 之 1-3岡松 甕 谷 撰 奥 並 継 野中 準 編 并評』[8] - 『
開拓 使 事業 報告 』若干 巻 撰 大蔵省 編 [9] - 『
農事 要略 』300-139 2巻 刊 明治 20臨地 社
逸話
[詩文 にすぐれ、書道 は晋 唐 の書風 を得 、人 に頼 まれ碑文 やその他 重要 な文字 を書 くときには、朝 から斎戒 沐浴 し精神 を清 め、雑念 を払 い、文字 に一念 を集中 し筆 をとったという。また、友人 の重野 安繹 は八面玲瓏 な人格 者 と氏 の行状 を讃 している。[10]札幌 市 の大通 公園 の「開拓 紀 念 碑 」の文字 は、奥 並 継 が拓 字 法 を用 いて、王羲之 の『黄 庭 経 』および『孝女 曹娥碑 』中 の字 をとり、400倍 の大 きさに書 したもの[11]。- 「
奥 氏 漆島 門 」は、八幡 宇佐 宮 官 人 代 ・従 五 位 下 対馬 守 、奥 氏 漆 島並 継 の屋敷 の表門 である。現在 は宇佐 市 極楽寺 の山門 として、使用 されている。[12]
家族 ・親族
[妻 の千賀子 は、渡邊 氏 の出 。長男 は夭死 し、次男 の豊彦 が継 いだ。長女 のヨシは大審院 判事 ・末 弘 厳 石 に嫁 ぎ[13]、法学 者 ・末 弘 厳 太郎 と那賀 (池田 克 夫人 )の母 となる。宇佐 弥勒寺 寺務 の時枝 氏 を嗣 いだ時枝 重明 (維新 の志士 、宇佐 神宮 権 禰宜 、初代 宇佐 町 長 )は実弟 [14]。剣道 家 ・中尾 直 勝 は親族 。
脚注
[- ^
君 の名 は並 継 、字 は子 紹、菱池 と号 す。『大分 県 史料 (23)第 八 部 二 』菱池 遺稿 ・(「菱池 奥 君 墓碑銘 」重野 安繹 撰 )(解題 「奥 並 継 とその遺稿 」中野 幡 能 著 ) - ^ 『
大分 県 史料 (23)第 八 部 二 』菱池 遺稿 ・(「菱池 奥 君 墓碑銘 」重野 安繹 繹撰)(解題 「奥 並 継 とその遺稿 」中野 幡 能 著 )『大分 県 史料 (29)13』八幡 宇佐 宮 神官 次第 p341 - ^ a b c 『
同上 』菱池 遺稿 ・(解題 「奥 並 継 とその遺稿 」中野 幡 能 著 ) - ^ 『
同上 』菱池 遺稿 ・(「菱池 奥 君 墓碑銘 」重野 安繹 撰 )(解題 「奥 並 継 とその遺稿 」中野 幡 能 著 )(「先考 行 述 」奥 豊彦 著 )『宇佐 郡 誌 』(編纂 兼 発行 ・宇佐 教育 会 P171)『大 宇佐 郡 史論 』(19)奥 並 継 、編者 小野 精一 、宇佐 市役所 p746p747 - ^ 『
大分 県 史料 (23)第 八 部 先賢 資料 二 』菱池 遺稿 ・(「菱池 奥 君 墓碑銘 」重野 安繹 撰 p117p118) - ^ 『
同上 』菱池 遺稿 ・(「序 」竹園 伊東 茂 右 衛門 識) - ^
同 著書 、大東文化大 蔵書 館 板橋 校舎 蔵書 - ^ a b
同 著書 、早稲田大学 蔵書 目録 - ^
同 著書 、公開 者 国立 国会図書館 - ^
並 継 は詩文 にすぐれ…行状 を讃 している。(『大 宇佐 郡 史論 』(19)奥 並 継 、編者 小野 精一 p745) - ^
文化 資料 室 (文化 資料 室 ニュース第 2号 )/札幌 市 (http://www.city.sapporo.jp/bunkashiryo) - ^
奥 並 継 の証書 を宇佐 市 極楽寺 で所有 - ^
長女 、末広 厳 石 に嫁 ぐ。(『菱池 奥 君 墓碑銘 』重野 安 譯 撰 ) - ^ 『
大分 県 歴史 人物 事典 』大分合同新聞社 時枝 重明 P345)
参考 文献
[大分 県 史料 (2)第 一部 宇佐 神宮 奥 文書 。大分 県 史料 (23)第 八 部 『菱池 遺稿 』奥 並 継 著 。大分 県 史料 (29)一 三 八幡宇佐宮神官次第。大分 県 史料 刊行 会 編纂 発行 者 大分 県立 教育 研究所 - 『
大 宇佐 郡 史論 』編者 小野 精一 発行 所 宇佐 市役所 昭和 6年 初版 昭和 47再版 『宇佐 郡 誌 』編纂 兼 発行 宇佐 郡 教育 会 昭和 4年 初版 - 『
大分 百科 事典 』大分 放送 1980年 (昭和 55年 )
関連 書籍
[中尾 賢吉 『随筆 集 雪 の宿 ―仁愛 、熱情 の人 (文人 志士 奥 並 継 の生涯 )―死 を以 て、物申 す(津田 一伝流祖津田正之)―故郷 忘じ難 し(頼 厳 上人 の祈 り)』文藝春秋 企画 出版 部 2013年