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宇佐美 寛爾(うさみ かんじ[1]、1884年(明治17年)1月27日[2] – 1954年(昭和29年)2月10日[3])は、日本の鉄道官僚。南満洲鉄道理事、華北交通総裁。
岐阜県出身。1907年(明治40年)に東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、鉄道院に入った。九州鉄道管理局在籍中、収賄したとして1918年(大正7年)に有罪となる[5]。これにより正七位返上を命じられ、勲六等及び大礼記念章を褫奪された[6]。
1920年(大正9年)、南満洲鉄道株式会社に転じ、運輸部営業課長、鉄道部次長、鉄道部長、奉天事務所長、哈爾浜事務所長を歴任した。1933年(昭和8年)に満洲国有鉄道が成立し、南満洲鉄道がその経営を委託されると、関東軍司令部顧問・鉄路総局長に任命された。翌年、南満洲鉄道理事に就任し、1936年(昭和11年)には鉄道総局次長となった。
1939年(昭和14年)、中国華北地方に華北交通株式会社が設立されると、総裁に就任した。
『ああ満鉄』『満鉄魂の詩 : 宇佐美喬爾身辺雑記』を著した満鉄奉天鉄道局長の宇佐美喬爾は弟[8][9]。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版 上巻』人事興信所、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上巻』人事興信所、1939年。
- 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。