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宮廷きゅうてい楽長がくちょう

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宮廷きゅうてい楽長がくちょう(きゅうていがくちょう、ドイツ: Hofkapellmeister)は、ヨーロッパの宮廷きゅうていつかえる音楽家おんがくかちょう地位ちいである。15世紀せいきごろからインスブルックカッセル宮廷きゅうていでみられるようになり、18世紀せいきバロック音楽おんがくから古典こてん音楽おんがくへの移行いこう諸侯しょこう宮廷きゅうてい楽団がくだん拡充かくじゅうされたことにより、重要じゅうようせいした。おおくの場合ばあい作曲さっきょく指揮しきしゃねた。

歴史れきし

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初期しょき宮廷きゅうてい楽長がくちょうれいとして、神聖しんせいローマ皇帝こうていマクシミリアン1せい宮廷きゅうてい楽団がくだんひきいたハインリヒ・イザークバイエルンこうアルブレヒト5せい宮廷きゅうてい楽団がくだんひきいたオルランド・ディ・ラッソらがあげられる。イギリスでは1626ねんにニコラス・ラニエーが国王こくおう音楽おんがく師範しはん任命にんめいされた。

1700ねんごろから宮廷きゅうてい楽団がくだん増加ぞうかし、ロンドンパリフィレンツェウィーンドレスデンブラウンシュヴァイクベルリンマンハイムなどの宮廷きゅうてい楽団がくだん楽長がくちょうたちが活躍かつやくした。とくエステルハージこう宮廷きゅうてい楽長がくちょうつとめたフランツ・ヨーゼフ・ハイドン有名ゆうめいである。

19世紀せいきはいると、市民しみん階級かいきゅう台頭たいとうともなってコンサートホールでの演奏えんそうかい増加ぞうかし、宮廷きゅうてい楽団がくだん宮廷きゅうてい楽長がくちょう徐々じょじょ姿すがたしていった。

職務しょくむ

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宮廷きゅうてい楽長がくちょう職務しょくむは、諸侯しょこうたのしみやさまざまな宴席えんせきのためにえず宮廷きゅうてい楽団がくだん指揮しきすることで、多忙たぼうきわめるしょくであった。また作曲さっきょく指揮しきのみならず、宮廷きゅうてい楽団がくだん運営うんえい、さらには楽団がくだんいん生活せいかつ管理かんりふくまれており、芸術げいじゅつとしての能力のうりょくだけではなく管理かんり能力のうりょく必要ひつようであった。さらに諸侯しょこう子女しじょ音楽おんがく教師きょうしとしての役割やくわりもとめられた。

しかし宮廷きゅうてい楽長がくちょうになることは音楽家おんがくかにとって名誉めいよなことだったが、宮廷きゅうてい楽団がくだん維持いじ諸侯しょこうたちにとって負担ふたんでもあり、1790ねんにエステルハージの宮廷きゅうてい楽団がくだん解散かいさんされるれいにみられるように、宮廷きゅうてい楽長がくちょうには失業しつぎょう不安ふあんがあった。

一方いっぽうで18世紀せいきまつごろからはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのように、フリーランスの活動かつどう目指めざ音楽家おんがくかえてくるようになった。

文献ぶんけん

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  • Jones, David Wyn (2009) "Reception," in David Wyn Jones, ed., Oxford Composer Companions: Haydn. Oxford: Oxford University Press.
  • Deutsch, Otto Erich (1965) Mozart: A Documentary Biography. English translation by Eric Blom, Peter Branscombe, and Jeremy Noble. Stanford, CA: Stanford University Press, 1965.
  • Griesinger, Georg August (1810) Biographical Notes Concerning Joseph Haydn. Leipzig: Breitkopf und Härtel. English translation by Vernon Gotwals, in Haydn: Two Contemporary Portraits, Milwaukee: University of Wisconsin Press.

関連かんれん項目こうもく

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