家永 芳彦
経歴
[1882
ほか、
家族
[兄 ・家永 恭 種 (1844-1890) ‐通称 ・範之 助 、号 ・嘯倣。文武両道 に秀 で維新 の際 参謀 となって奥羽 戦争 に従軍 。佐賀 県 参事 、水戸 裁判所 長 などを歴任 し、佐賀 戦争 後 帰郷 、徳久 恒 範 らと松風 社 を結社 して社長 となり、代言 人 業務 を行 なっていたが、1878年 (明治 11年 )に改組 して私立 中学校 「戊 寅 義 学 」を開校 。同校 は武富 時敏 、樽井 藤吉 らを教師 に迎 え、江藤 新平 、加藤 十 四 郎 、的野 半 介 、伊丹 弥太郎 らも学 んだと言 われる。また同年 の郡 区 町村 編制 法 施行 にともない、長崎 区 初代 区長 に選出 された(3か月 間 )[11][12]。佐賀 取引 所 の創立 等 に尽力 し明治 22年 (1889)佐賀 市制 施行 に伴 い、佐賀 市 会 (議会 )初代 議長 に選出 [13][14]三男 ・家永 文彦 (1893年生 ) ‐特許 局 技師 。東京 帝国 大学 船舶 工学科 卒業 後 、商工 省 入省 。岳父 に東京 女子 高等 師範 学校 教師 ・竹島 茂郎 。竹島 は阿山 郡 花ノ木 村 に生 まれ、高等 師範 学校 博物学 科 卒業 後 、1903年 より約 30年間 女 高 師 教諭 として勤務 し、『模範 教育 我家 の新 家庭 』など多数 の著書 を遺 した。[15][16][17]
脚注
[- ^ 『
家永 芳彦 』 - コトバンク - ^ a b c d e f
衆議院 、参議院 編 1962, 40頁 . - ^ a b c d e f
篠田 1891, 38頁 . - ^
衆議院 議員 略歴 第 1回 乃至 第 19回 衆議院 事務 局 、1936 - ^ a b c d e f 『
長崎 県 大 百科 事典 』31頁 。 - ^ a b c d e f
明治維新 以後 の長崎 長崎 市 小学校 職員 会 、1925、p292 - ^
大 日本人 名 辞書 下巻 新版 大 日本人 名 辞書 刊行 会 、1926 - ^ a b (
株 )長崎新聞社 『激動 を伝 えて一 世紀 :長崎新聞社 史 』(2001.09)渋沢 社 史 データペース - ^
明治維新 以後 の長崎 長崎 市 小学校 職員 会 、1925、p58 - ^ 『
大正 過去 帳 』24頁 。 - ^
第 1章 維新 政権 の成立 と大村 藩 新編 大村 市 史 第 4巻 (近代 編 ) - ^
明治維新 以後 の長崎 長崎 市 小学校 職員 会 、1925、p7 - ^
高傳寺 家永 恭 種 の墓 佐賀 市 地域 振興 部 文化財 課 - ^
明治 前期 における佐賀 県 の中学校 生馬 寛 信 研究 論 文集 /佐賀 大学 教育 学部 巻 38号 1990-08 - ^ 『
人事 興信録 第 13版 (昭和 16年 )上 』1941、家永 文彦 - ^ 『
教員 生活 七 十 年 』堀 七蔵 、福村 出版 (1974/1/1)p177 - ^
三重 県 案内 森本 信次郎 三重 県 案内 刊行 会 1916
参考 文献
[篠田 正 作 編 『明治 新 立志 編 』鍾美堂 、1891年 。衆議院 、参議院 編 『議会 制度 七 十 年 史 第 11』大蔵省 印刷 局 、1962年 。- 『
大正 過去 帳 物故 人名 辞典 』東京 美術 、1973年 。 - 『
長崎 県 大 百科 事典 』長崎新聞社 、1984年 。