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小川 権之助(おがわ ごんのすけ、1888年(明治21年)12月20日 - 1963年(昭和38年)5月23日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
1888年(明治21年)に三重県で生まれた。陸軍士官学校第24期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に独立歩兵第7大隊長に就任し、7月15日に陸軍歩兵大佐に進級した。1939年(昭和14年)3月に歩兵第216連隊長(第12軍・第34師団・第34歩兵団)に転じ、日中戦争に出動。南昌に駐屯し、錦江作戦などに参加した。
1941年(昭和16年)7月13日に北部軍兵器部長に転じ、10月15日に陸軍少将に進級した。1944年(昭和19年)3月に第5方面軍兵器部長に就任し、1945年(昭和20年)2月1日に北部軍管区兵器部長を経て[3]、3月19日に陸軍中将に進級。同日第89師団長に親補され、終戦時は択捉島に位置した。
- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。