(Translated by https://www.hiragana.jp/)
小田朝久 - Wikipedia コンテンツにスキップ

小田おだちょうひさ

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

小田おだ ちょうひさ(おだ ともひさ、1417ねん3月23にちおうひさし24ねん3月5にち) - 1455ねん6月5にちとおるとく4ねんうるう4がつ20日はつか))は、室町むろまち時代ときよ中期ちゅうき武将ぶしょう小田おだだい12だい当主とうしゅだい11だい当主とうしゅ小田おだ持家もちいえ成治しげはるちち官位かんい中務なかつかさ大夫たいふ讃岐さぬきもり別名べつめい知久ともひさ

1455ねん足利あしかが成氏しげうじしたがって古河ふるかわ守備しゅびした。同年どうねんはるしげるいのちけて上杉うえすぎ房顕ふさあき長尾ながお景仲かげなからを討伐とうばつするために常陸ひたち小栗ささぐりじょう攻撃こうげきちゅう陣中じんちゅうやまいたおれ、ちち先立さきだってうるう4がつ20日はつか病死びょうしした。享年きょうねん39。家督かとく成治しげはるまましいだが幼少ようしょうためちち持家もちいえ後見人こうけんにんとなった。