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岩戸いわときょう

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岩戸いわときょう(いわとばし[1])は、大分おおいたけん竹田たけだ荻町おぎまち大野川おおのかわ水系すいけい岩戸いわとがわかる石造せきぞうたんアーチきょうである。大分おおいたけん有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされている。通称つうしょうくるまきょう

概要がいよう

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よしみひさし2ねん1849ねん)に竣工しゅんこうした石橋いしばしで、筏場いかだば眼鏡橋めがねばし文化ぶんか3ねん1806ねん竣工しゅんこう)などにぎ、現存げんそんするなか大分おおいたけんで3番目ばんめふる石橋いしばしであるとされる(5番目ばんめとする資料しりょうもある)。昭和しょうわ49ねん1974ねん3月19にち石橋いしばしとしてははじめて大分おおいたけん有形ゆうけい文化財ぶんかざい指定していされている。

かつては柏原かしわばら地区ちくおかはん城下町じょうかまちであった竹田たけだむす唯一ゆいいつ経路けいろであったが、この石橋いしばしけられるまでは、土橋どばし台風たいふうなどでたびたび流失りゅうしつしたうえ馬車ばしゃ通行つうこう困難こんなんであったため、住民じゅうみん不便ふべんをかこっていた。このため、当時とうじ庄屋しょうやおかはん嘆願たんがんし、ぎんさつかんろくひゃくもんめやく50りょう)をけてこのはし完成かんせいさせたものである。現在げんざいも、おかはんへの嘆願たんがんしょ設計せっけいなどの貴重きちょう史料しりょうのこっている。

このはしちかくには大分おおいたけんどう695ごうひさ重野しげのおぎせん旧道きゅうどうしん岩戸いわときょう新道しんどう岩戸いわと大橋おおはし、2ほん水路すいろきょうかさなるようにかっており、江戸えど時代じだいから現代げんだいにわたるはし一望いちぼうすることができる。

なお、大分おおいたけん豊後ぶんご大野おおの大野川おおのかわ水系すいけいおく嶽川たけがわ大野川おおのかわとの合流ごうりゅうてんちかくにも、同名どうめいはしがある。かつての三重みえまち清川きよかわむらさかいかるはしで、昭和しょうわ12ねん1937ねん)に竣工しゅんこうした鉄筋てっきんコンクリートTがたたんけたきょうである。

しょもと

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  • 所在地しょざいち大分おおいたけん竹田たけだおぎまち
  • 河川かせん大野川おおのかわ水系すいけい岩戸いわとがわ
  • 形式けいしき石造せきぞうたんアーチきょう
  • はしちょう:28.2m
  • はしだか:18m
  • みちあいだ(アーチはば):17.4m
  • 竣工しゅんこうよしみなが2ねん(1849ねん
  • 石工せっこう久米くめぞう後藤ごとう松太郎まつたろう
  • 文化財ぶんかざい指定していとう大分おおいたけん指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい

交通こうつう

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JR九州きゅうしゅう豊肥本線ほうひほんせん豊後荻ぶんごおぎえきから徒歩とほやく15ふん

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 一般いっぱん社団しゃだん法人ほうじん九州きゅうしゅう地域ちいきづくり協会きょうかいのページでは「いわどばし」とませている。

関連かんれん項目こうもく

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3255ふん9.9びょう 東経とうけい13117ふん39.9びょう / 北緯ほくい32.919417 東経とうけい131.294417 / 32.919417; 131.294417