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岩松いわまつ三郎さぶろう

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岩松いわまつ 三郎さぶろう(いわまつ さぶろう、1893ねん12月31にち[1] - 1978ねん12月1にち[1])は、日本にっぽん最高さいこう裁判所さいばんしょ判事はんじ弁護士べんごし東京とうきょう出身しゅっしん[1]検事けんじ総長そうちょう佐藤さとうふじたすく義弟ぎてい

略歴りゃくれき

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  • 1917ねん東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうかだい学校がっこう法律ほうりつ学科がっか卒業そつぎょう同年どうねん司法官しほうかん試補しほ[2]
  • 1919ねん東京とうきょう地裁ちさい判事はんじ[2]
  • 1924ねん東京とうきょう地裁ちさい部長ぶちょう[2]
  • 1933ねん東京とうきょう控訴こうそいん判事はんじ[2]
  • 1934ねん東京とうきょう控訴こうそいん部長ぶちょう[2]
  • 1936ねん大審院だいしんいん判事はんじ[2]
  • 1939ねん司法研修所しほうけんしゅうしょ教官きょうかん[2]
  • 1942ねん広島ひろしま地裁ちさい所長しょちょう[2]
  • 1944ねん大阪おおさか地裁ちさい所長しょちょう東京とうきょう地裁ちさい所長しょちょう[2]
  • 1946ねん福岡ふくおか控訴こうそ院長いんちょう[2]
  • 1947ねん最高裁さいこうさい判事はんじ( - 1956ねん[2]
  • 1956ねん法務省ほうむしょう特別とくべつ顧問こもん( - 1978ねん[2]

任官にんかん当初とうしょ検事けんじであったが、前科ぜんか19はんのスリを調しらべたときに机上きじょういた懐中時計かいちゅうどけいぬすまれた事件じけんがきっかけで、上席じょうせき検事けんじ検事けんじ適格てきかくとされ、裁判官さいばんかん転身てんしん

1947ねん最高裁さいこうさい判事はんじとなり、1956ねん定年ていねんたずに依願いがん退官たいかん民事みんじ訴訟そしょうほう権威けんいであり、論文ろんぶんしゅうである『民事みんじ裁判さいばん研究けんきゅう』はいまなおおおくの学術がくじゅつ論文ろんぶん引用いんようされる。 1957ねんに、おなじく民事みんじ訴訟そしょうほう権威けんいであり、定年ていねんまえ退官たいかんした兼子かねこはじめとも兼子かねこ岩松いわまつ法律ほうりつ事務所じむしょ設立せつりつ

著書ちょしょ

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  • 民事みんじ裁判さいばん研究けんきゅう」(弘文こうぶんどう・1961ねん)
  • 「ある裁判官さいばんかんあゆみ[だい2はん]」(日本にっぽん評論ひょうろんしゃ・1984ねん)

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b c デジタルばん 日本人にっぽんじんめいだい辞典じてん+Plus『岩松いわまつ三郎さぶろう』 - コトバンク
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 岩松いわまつ三郎さぶろう『ある裁判官さいばんかんあゆみ[だい2はん]』(日本にっぽん評論ひょうろんしゃ・1984ねん)末尾まつび著者ちょしゃ略歴りゃくれきより