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きし宇吉

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きし宇吉(『長岡ながおか』より)

きし 宇吉(きし うきち、1839ねん天保てんぽう10ねん) - 1910ねん明治めいじ43ねん))は、新潟にいがたけん出身しゅっしん実業じつぎょうだいろくじゅうきゅう国立こくりつ銀行ぎんこうげん北越銀行ほくえつぎんこう)の創始そうししゃ一人ひとり永年えいねん支配人しはいにんきし吉松きちまつちち

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新潟にいがたまれ、12さいときに、きし分家ぶんけである、きし養子ようしとなった。その養母ようぼにより、字書じしょ将来しょうらいしたうことになる小林こばやし虎三とらぞうろうよりならう。

ランプかい

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きしには当時とうじ高価こうかだったランプがあり、身分みぶんわずこれにおおくのものがあつまった。このかいは「ランプかい」とづけられ、戊辰戦争ぼしんせんそう荒廃こうはいした長岡ながおか復興ふっこう商業しょうぎょうのありかたよるてっはなった。おもだった参加さんかしゃには士族しぞく三島みしまおくろう商人しょうにんきし宇吉・渡辺わたなべろくまつらがつらねた。

そのなかで、商業しょうぎょうのためには、銀行ぎんこう必要ひつようであるとして、三島みしまらとともに1878ねん明治めいじ11ねん)12がつ20日はつかだいろくじゅうきゅう国立こくりつ銀行ぎんこう開業かいぎょうする。その1891ねん明治めいじ24ねん)には、だい4だい頭取とうどり就任しゅうにんしている。

また、きしは、新潟にいがた県内けんないのみならず、松方まつかた正義まさよし渋沢しぶさわ栄一えいいち福沢ふくさわ諭吉ゆきちらととも交友こうゆうがあり、日本石油にほんせきゆげんENEOS)や北越ほくえつ鉄道てつどうげん信越本線しんえつほんせん)などの設立せつりつ運営うんえいたずさわった。

参考さんこう文献ぶんけん

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外部がいぶリンク

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