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もり

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』

もり』(もろもりき)は、日本にっぽん南北なんぼくあさ時代じだい日記にっき筆者ひっしゃ北朝ほくちょうかたかんじん中原なかはらもり紙背しはいすべ紙背しはい文書ぶんしょ国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん直筆じきひつほん64かん所蔵しょぞうされている。くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい[1][2]

概要がいよう

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記述きじゅつこよみおう2ねん1339ねん)からおうやす7ねん1374ねん)にまでおよんでいるが、所々ところどころ欠落けつらくがあり、貞和さだかず5ねん1349ねん以降いこう顕著けんちょとなる。また筆者ひっしゃもりおうやす3ねん1370ねん前後ぜんこうぼっしたとわれており、文脈ぶんみゃく筆跡ひっせきもその前後ぜんご相違そういられるので、おうやす以降いこう記述きじゅつ別人べつじんによるものである可能かのうせいがある。

中原なかはら代々だいだいそと世襲せしゅうした家柄いえがらで、筆者ひっしゃもり北朝ほくちょうけんしょうそと役職やくしょくにあったため、北朝ほくちょう朝議ちょうぎ記録きろくしょ関係かんけい記述きじゅつ精細せいさいである。

もりそと就任しゅうにんするまえ大炊おおいあたまにあり、役職やくしょく関係かんけいから大炊おおいりょうりょう統治とうちしており、大炊おおいりょう中心ちゅうしんに、おおやけりょう経営けいえいやそこでこった出来事できごとかんする記述きじゅつ多々たたある。

もりあに中原なかはらしげるけんだいそと役職やくしょくにあり、もりあにしげるを「家君かくん」としょうし、しげ視点してんからかれたような記述きじゅつおお散見さんけんされる。そのため『しげ』ともばれることがある。

南北なんぼくあさ戦争せんそう公武こうぶあいだ軍事ぐんじ、また巷間こうかんでの出来事できごとかんする記述きじゅつまで豊富ほうふ情報じょうほうおさめられているので、『えんたいれき』とならび、南北なんぼくあさ時代じだいいちきゅう史料しりょうとして、貴重きちょうあつかいをけている。『太平たいへい』の研究けんきゅうにおいても、『えんたいれき』となら貴重きちょう有用ゆうよう史料しりょうとして重用じゅうようされる[3]

2004ねん平成へいせい16ねん)6がつ8にちづけくに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされた。また、直筆じきひつほん写本しゃほんのデジタル画像がぞう国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかん公式こうしきホームページでインターネット公開こうかいされている[4]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ もり<直筆じきひつほん>」(くに指定してい文化財ぶんかざいとうデータベース)文化庁ぶんかちょう公式こうしきHP
  2. ^ もり自筆じひつほん/〉 もろもりき”. 文化ぶんか遺産いさんオンライン. 文化庁ぶんかちょう. 2020ねん1がつ28にち閲覧えつらん
  3. ^ 安井やすい太平たいへい要覧ようらん』209ぺーじ
  4. ^ 国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんオンライン

参考さんこう文献ぶんけん

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関連かんれん項目こうもく

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