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こう成子しげこ

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こう成子なるこ 『れつせんしゅぱい』より

こう成子しげこ(こうせいし)は中国ちゅうごく小説しょうせつふうしん演義えんぎ』や『神仙しんせんでん』に登場とうじょうする仙人せんにん

神仙しんせんでんでのこう成子しげこ

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神仙しんせんでんまきいちの『こう成子しげこ』によると、こう成子しげこ古代こだい仙人せんにんで、崆峒やまいし部屋へやらしていた。かれせんひゃくさいときみかど至上しじょうみち要旨ようしについてたずねてきたが、こう成子しげこは「おまえ天下てんかおさめるようになってから鳥類ちょうるいはそのぶしにもならないのにち、草木くさき黄葉こうようするまえるようになった」とってことわった。みかどさんヶ月かげつあいだ閉居へいきょしたのちふたたおしえをうと、こう成子しげこはこれにこたえたという。

またおなじく『神仙しんせんでんまきいちの『老子ろうし』では、老子ろうしみかどのときはこう成子しげこになったという記述きじゅつがある。

ふうしん演義えんぎこう成子しげこ

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元始げんしてんみこと弟子でしで、こんじゅう大師だいしのひとり。

きゅう仙山せんのやま桃源とうげんほらあるじしょう太子たいしであるいん処刑しょけいされかけたさい、これをたすけておのれ弟子でしとした。

じゅうぜっじんたたかいで兄弟きょうだい弟子でしとも西にし岐をおとずれ、きょうきばたちに助力じょりょくした。そのさい金光かねみつ聖母せいぼたおし、金光かねみつじんやぶっている。

しゅうを援けるために弟子でしいん郊を三面六臂さんめんろっぴ姿すがたえ、けっして裏切うらぎることのないよういいふくめて下山げざんさせたが、いん郊はさるこうひょうまどわされてしょう加担かたんしてしまった。そのさい下山げざんするが、桃源とうげんほらたからであるばんてんしるしいん郊にあたえてしまっていたため、これをふうじるためにげん西方せいほうまわってふたつのはたした(正確せいかくにはよっつのはた必要ひつようだったのだが、そのうちひとつであるたまきょみやあんず黄旗きはたすで手元てもとにあり、ようもとしょく雲海うんかい南極なんきょくせんおきなした)。

またれい聖母せいぼつがえてんしるしたおし、彼女かのじょ遺品いひんであるきむかすみかんむりあおゆうみやとどけたことで截教徒きょうとおこらせ、のちに誅仙じんかれるきっかけをつくった。誅仙じんまんせんじんでも兄弟きょうだい弟子でしともたたかった。

関連かんれん項目こうもく

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