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延寿寺 (彦根市) - Wikipedia コンテンツにスキップ

延寿えんじゅてら (彦根ひこね)

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延寿えんじゅてら
所在地しょざいち 滋賀しがけん彦根ひこね稲里いなさとまち2523
位置いち 北緯ほくい3513ふん44.5びょう 東経とうけい13611ふん35.9びょう / 北緯ほくい35.229028 東経とうけい136.193306 / 35.229028; 136.193306
山号さんごう えい明山めいさん
宗派しゅうは 臨済宗りんざいしゅう永源寺えいげんじ
本尊ほんぞん 観世音菩薩かんぜおんぼさつ
創建そうけんねん 749ねん
開基かいき 行基ぎょうき
別称べっしょう 延寿えんじゅぜんてら
文化財ぶんかざい 木造もくぞうじゅういちめん観音かんのん菩薩ぼさつ坐像ざぞう木造もくぞうふつあたま彦根ひこね指定してい文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 5160005005073 ウィキデータを編集
テンプレートを表示ひょうじ

延寿えんじゅてら(えんじゅじ)は、滋賀しがけん彦根ひこねにある臨済宗りんざいしゅう永源寺えいげんじ寺院じいんである。山号さんごうえい明山めいさん本尊ほんぞん観世音菩薩かんぜおんぼさつ

歴史れきし

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749ねん天平てんぴょうかちたから元年がんねん行基ぎょうきによって創建そうけんされたとつたえられる。もと天台宗てんだいしゅうぞくしていた[1]中世ちゅうせいになり一時いちじ荒廃こうはいするが、文明ぶんめい16ねん1484ねん)に延寿えんじゅ寺内てらうちせい林寺はやしじ復興ふっこう[1]。この時期じき蜷川にながわ親元ちかもと延寿えんじゅ寺内てらうちうたんだという記録きろくのこ[1]

その戦国せんごく時代じだいから安土あづち桃山ももやま時代じだいにかけて、兵火へいかにより焼失しょうしつするが、江戸えど時代じだいはい臨済宗りんざいしゅう永源寺えいげんじ禅師ぜんじ円光えんこう弟子でし入山にゅうざんし、臨済宗りんざいしゅうあらためて再興さいこうされた[1][2]

延寿えんじゅ寺村てらむら

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荒神山あらかみやまふもと位置いちするとうてらとその周辺しゅうへんは、江戸えど時代じだいから明治めいじ7ねん1874ねん)まで延寿えんじゅてらむら形成けいせいしていた[1][2]むら延寿えんじゅ寺領じりょうせきあまりのぞき、彦根ひこねはんりょうであった[1]

延寿えんじゅてらむら明治めいじ7ねんつかむら下平しもだいらながれむら合併がっぺいし、寿ことぶきむらとなる[3]寿ことぶきむら明治めいじ12ねん1879ねん)に合併がっぺいにより稲里いなさとむらになり[1][4]稲里いなさとむら明治めいじ22ねん1889ねん)に稲里いなさとむらふくむ9ヶ村かそん合併がっぺい稲枝いなえむらになる[4]稲枝いなえむら昭和しょうわ30ねん1955ねん)に3ヶ村かそん合併がっぺいにより稲枝いなえまちとなり[5]昭和しょうわ43ねん1968ねん)に彦根ひこね編入へんにゅうされた[4][6]

文化財ぶんかざい

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所在地しょざいち

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  • 滋賀しがけん彦根ひこね稲里いなさとまち2523

脚注きゃくちゅう

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参考さんこう文献ぶんけん

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  • 日本にっぽん歴史れきし地名ちめい大系たいけい だいじゅうかん 滋賀しがけん地名ちめい平凡社へいぼんしゃ、1991ねん2がつ20日はつか、844ぺーじ 
  • 角川かどかわ日本にっぽん地名ちめいだい辞典じてん 25 滋賀しがけん角川書店かどかわしょてん、1979ねん4がつ8にち、109,148-149ぺーじ 
  • あたらしおさむ 彦根ひこね だい12かん 便覧びんらん年表ねんぴょう彦根ひこね、2013ねん3がつ29にち、40-41,282ぺーじ 
  • あたらしおさむ 彦根ひこね だい1かん 通史つうしへん 古代こだい中世ちゅうせい彦根ひこね、2007ねん1がつ31にち、575-576ぺーじ 

外部がいぶリンク

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関連かんれん項目こうもく

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座標ざひょう: 北緯ほくい3513ふん44.5びょう 東経とうけい13611ふん35.9びょう / 北緯ほくい35.229028 東経とうけい136.193306 / 35.229028; 136.193306