後見人こうけんにん

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後見人こうけんにん(こうけんにん)とは、判断はんだん能力のうりょく不十分ふじゅうぶんかんがえられるもの補佐ほさするもの

とく実務じつむ社会しゃかいにおいては、「能力のうりょくはあるが、実務じつむ経験けいけん知名度ちめいどけるもの」が事業じぎょう責任せきにんしゃとなる場合ばあいに、事業じぎょうへの出資しゅっししゃ利害りがい関係かんけいじんとうたいし、そのもの能力のうりょく保証ほしょうするとともに、失敗しっぱいとうがあった場合ばあい後始末あとしまつをする意思いし表明ひょうめいしたもの(これに見合みあうだけの地位ちい能力のうりょく信用しんようとうそなえていると判断はんだんされたもの)を、「後見人こうけんにん」と場合ばあいがある。

ほう制度せいどじょう後見人こうけんにん[編集へんしゅう]

法律ほうりつじょう後見人こうけんにんは、財産ざいさんかんするすべての事項じこうで、未成年みせいねんしゃあるいは成年せいねん後見人こうけんにん法定ほうてい代理人だいりにんとなるものをいう。ただし、未成年みせいねんしゃ場合ばあいには、本来ほんらい法定ほうてい代理人だいりにんとなるべき親権しんけんおこなもの親権しんけんしゃ: ちちはは養親ようしん)がいないとき、または、親権しんけんしゃ財産ざいさん管理かんりけんがないときにのみ後見人こうけんにんかれることになる(民法みんぽう838じょう1ごう)。

後見人こうけんにんには、つぎの2種類しゅるいがある。

後見こうけん監督かんとくじん[編集へんしゅう]

後見人こうけんにん行動こうどう監督かんとくする機関きかんとして、後見こうけん監督かんとくじんくことができる。家庭かてい裁判所さいばんしょは、必要ひつようおうじ、後見人こうけんにん未成年みせいねん成年せいねんであるかにかかわらず後見こうけん監督かんとくじん選任せんにんすることができ、また、受遺しゃ未成年みせいねんしゃ場合ばあいなどは遺言ゆいごんにより未成年みせいねん後見こうけん監督かんとくじん選任せんにんできる。

後見こうけん監督かんとくじん職務しょくむは、以下いかのとおりである(民法みんぽう851じょう)。

  1.  後見人こうけんにん事務じむ監督かんとくすること。
  2.  後見人こうけんにんけた場合ばあいに、遅滞ちたいなくその選任せんにん家庭かてい裁判所さいばんしょ請求せいきゅうすること。
  3.  急迫きゅうはく事情じじょうがある場合ばあいに、必要ひつよう処分しょぶんをすること。
  4.  後見人こうけんにんまたはその代表だいひょうするもの後見人こうけんにんとの利益りえき相反あいはんする行為こういについて後見人こうけんにん代表だいひょうすること。

歴史れきしじょう後見人こうけんにん[編集へんしゅう]

太上天皇だじょうてんのう[編集へんしゅう]

もちすべ天皇てんのう息子むすこ草壁皇子くさかべのおうじ早世そうせいしたため、まご文武ぶんぶ天皇てんのう譲位じょういして、太上天皇だじょうてんのうとして後見こうけんおこなった[1]

摂政せっしょう関白かんぱく[編集へんしゅう]

院政いんせい[編集へんしゅう]

白河天皇しらかわてんのう幼少ようしょう堀河ほりかわ天皇てんのう譲位じょういして、上皇じょうこうとして後見こうけんおこな院政いんせい開始かいしした[2]院政いんせい開始かいしによって摂関せっかん権力けんりょくはほぼ消滅しょうめつし、以後いご鳥羽とばこう白河しらかわやく100年間ねんかんおよ院政いんせい時代じだいつづくことになった[2]

大御所おおごしょ[編集へんしゅう]

将軍しょうぐん後見こうけんしょく[編集へんしゅう]

江戸えど時代じだい末期まっき江戸えど幕府ばくふ政事せいじ総裁そうさいしょく京都きょうと守護しゅごしょくなら役職やくしょくとして将軍しょうぐん後見こうけんしょく設置せっちした[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 西東さいとうしゃ編集へんしゅう図解ずかい日本にっぽん西東さいとうしゃ、2009ねん、50ぺーじ 
  2. ^ a b 西東さいとうしゃ編集へんしゅう図解ずかい日本にっぽん西東さいとうしゃ、2009ねん、74ぺーじ 
  3. ^ 西東さいとうしゃ編集へんしゅう図解ずかい日本にっぽん西東さいとうしゃ、2009ねん、196ぺーじ 

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]