忍海おしみ 広次ひろつぐ(おしのうみ の ひろつぐ、生なま没年ぼつねん不ふ詳しょう)は奈良なら時代じだい前期ぜんきの官かん人じん、経けい師し。官位かんいの変遷へんせんは以下いかに示しめす。
写経しゃきょう所しょに出仕しゅっししていた官かん人じん、経けい師し。天平てんぺい11年ねん(739年ねん)に初はじめて名前なまえが見みえ、天平てんぴょう19年ねん(747年ねん)に書生しょせい、天平てんぴょう20年ねん(745年ねん)には式部しきぶ 書生しょせい 従したがえ八はち位い上じょうとある。天平てんぴょう勝かち宝たから5年ねん(753年ねん)に散ち位くらい寮りょう 散ち位くらい 従したがえ八はち位い上じょう、天平てんぴょう宝たから字じ2年ねん(758年ねん)文部省もんぶしょう 書生しょせい 従したがえ七なな位い下かに昇進しょうしんする。天平てんぴょう宝たから字じ7年ねん(763年ねん)までは経けい師し、写うつし手しゅとして名前なまえが見みえる。