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敷島神社 (志木市) - Wikipedia コンテンツにスキップ

敷島しきしま神社じんじゃ (志木しき)

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敷島しきしま神社じんじゃ
所在地しょざいち 埼玉さいたまけん志木しき本町ほんまち2-9-40
位置いち 北緯ほくい3549ふん59.5びょう 東経とうけい13934ふん55.7びょう / 北緯ほくい35.833194 東経とうけい139.582139 / 35.833194; 139.582139 (敷島しきしま神社じんじゃ (志木しき))座標ざひょう: 北緯ほくい3549ふん59.5びょう 東経とうけい13934ふん55.7びょう / 北緯ほくい35.833194 東経とうけい139.582139 / 35.833194; 139.582139 (敷島しきしま神社じんじゃ (志木しき))
主祭しゅさいしん 木花きばなひらき耶姫大神だいじん
社格しゃかくひとし 村社そんしゃ
創建そうけん 明治めいじ5ねん1872ねん
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敷島しきしま神社じんじゃ(しきしまじんじゃ)は、埼玉さいたまけん志木しき神社じんじゃ

歴史れきし[編集へんしゅう]

1872ねん明治めいじ5ねん)に創建そうけんされた。当地とうちには元々もともと田子たごさんづか」とばれるづかがあった。江戸えど時代じだい後期こうき高須たかす庄吉しょうきちゆめなか田子たごさんづかのぼるようにとわれた。そこでこのづかのぼったところ、ある石碑せきひ発見はっけんした。その石碑せきひ南北なんぼくあさ時代じだい富士山ふじさんなどの霊山れいざんめぐっていた「うけたまわうみ」というそう造立ぞうりゅうした「逆修ぎゃくしゅ」とばれる板碑いたびであった。庄吉しょうよし富士ふじ信仰しんこうあつかったこともあり、このづか富士塚ふじづかにすることを決意けついし、明治めいじ初期しょき造営ぞうえい工事こうじ着手ちゃくしゅ、1872ねん明治めいじ5ねん)に完成かんせい浅間あさま神社じんじゃ創建そうけんした[1]

新設しんせつ神社じんじゃであり、歴史れきしあさかったことから、近代きんだい社格しゃかく制度せいどにおいては「かくしゃ」であった。ところが1907ねん明治めいじ40ねん)の神社じんじゃ合祀ごうしにより、周辺しゅうへんの3しゃ合祀ごうしされた。その3しゃのうち、2しゃ村社そんしゃだったことから、当社とうしゃ村社そんしゃとなり、「敷島しきしま神社じんじゃ」に改称かいしょうした。祭神さいじん木花きばなひらき耶姫大神だいじんであることから、国学こくがく大家たいかほんきょ宣長のりながはな題材だいざいんだ「敷島しきしま大和心やまとごころひととはば朝日あさひににほふやまざくらはな」より、しん神社じんじゃ名称めいしょうさだめた[1]

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • 田子たごさん富士塚ふじづか関連かんれん石造せきぞうぶつ志木しき指定してい文化財ぶんかざい れい2ねん3がつ26にち指定してい[2]

交通こうつうアクセス[編集へんしゅう]

  • 路線ろせんバス富士ふじどう入口いりくち停留所ていりゅうじょより徒歩とほ5ふん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b 埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう神社じんじゃ調査ちょうさだん へん埼玉さいたま神社じんじゃ 北足立きたあだち児玉こだま南埼玉みなみさいたま埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう、1998ねん、532-535p
  2. ^ 田子たごさん富士塚ふじづか関連かんれんせき造物ぞうぶつ志木しき

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう神社じんじゃ調査ちょうさだん へん埼玉さいたま神社じんじゃ 北足立きたあだち児玉こだま南埼玉みなみさいたま埼玉さいたまけん神社じんじゃちょう、1998ねん