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ぶんきよし

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ぶんきよし(ぶんせい、なま没年ぼつねんしょう)は、室町むろまち時代ときよ中期ちゅうき、15世紀せいき中頃なかごろ活躍かつやくした水墨すいぼく画家がか

経歴けいれき[編集へんしゅう]

その作品さくひんに「ぶんきよし」というしゅぶんほうしるしされているが、一条いちじょう兼良かねら親交しんこうがあった大徳寺だいとくじ関係かんけいしゃということ以外いがい経歴けいれきなどはまった不明ふめいである。狩野かのひさしおさめちょ本朝ほんちょうしるし』では、如拙混同こんどうされている。また、朝鮮ちょうせん水墨すいぼく影響えいきょうけた作風さくふうられ、韓国かんこく国立こくりつ中央ちゅうおう博物館はくぶつかん所蔵しょぞうの『楼閣ろうかく山水さんすい』に「ぶんきよししるしされていることから、朝鮮半島ちょうせんはんとう出身しゅっしんせつまで存在そんざいしていた。しかし、印章いんしょう様式ようしき詳細しょうさい検討けんとうから、上記じょうきの『楼閣ろうかく山水さんすい』をはじめとしたしょ作品さくひんは「ぶんきよししるしの「つき」がいちかくりず、大徳寺だいとくじかかわりがあったらしいぶんきよしとは別人べつじんである。

代表だいひょうてきなものにとおるとく元年がんねん1452ねん)のやしなえ宗頤そうえん自賛じさんはいった『やしなえ宗頤そうえんぞう』(大徳寺だいとくじくら)、長禄ちょうろく元年がんねん1457ねん)のそん畊祖だまさんはいった『維摩居士こじぞう』(だい和文わぶんはなかんくら)、年代ねんだい不明ふめいなものの一条いちじょう兼良かねらみずけいしゅうおおとり両人りょうにんさんはいった『湖山こやま』(『山水さんすい』とも。正木まさき美術館びじゅつかんくら)などがられ、に『山水さんすい』(ボストン美術館びじゅつかんくら)なども著名ちょめいである。

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]


参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]