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村松むらまつ武美たけみ

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村松むらまつ武美たけみ

村松むらまつ 武美たけみ(むらまつ たけよし、1884ねん明治めいじ17ねん4がつ3にち[1]1938ねん昭和しょうわ13ねん9がつ10日とおか[2])は、新潟にいがた市長しちょう内務ないむ官僚かんりょう

経歴けいれき

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静岡しずおかけん榛原はいばらぐん勝間田かつまだむら切山きりやま[1]現在げんざい島田しまだ)に鈴木すずきよしけん二男じなんとしてまれ、村松むらまつ入婿いりむことなった。1913ねん大正たいしょう2ねん)7がつ東京とうきょう帝国ていこく大学だいがく法科ほうか大学だいがく法律ほうりつ学科がっか卒業そつぎょうした。同年どうねん11がつ高等こうとう文官ぶんかん試験しけん合格ごうかくし、埼玉さいたまけんぞく埼玉さいたまけん理事りじかん埼玉さいたまけん入間いるまぐんちょう新潟にいがたけん理事りじかん農林のうりん課長かちょう静岡しずおかけん警察けいさつ部長ぶちょう宮城みやぎけん警察けいさつ部長ぶちょう宮城みやぎけん書記官しょきかん警察けいさつ部長ぶちょう京都きょうと書記官しょきかん警察けいさつちょう愛知あいちけん書記官しょきかん警察けいさつちょう栃木とちぎけん書記官しょきかん内務ないむ部長ぶちょう広島ひろしまけん書記官しょきかん内務ないむ部長ぶちょう歴任れきにんした。

1931ねん昭和しょうわ6ねん)に海外かいがい出張しゅっちょうめいじられ、翌年よくねん帰国きこく帰国きこく京都きょうと助役じょやく就任しゅうにんし、1935ねん昭和しょうわ10ねん)までつとめた。

その1937ねん昭和しょうわ12ねん)に新潟にいがた市長しちょう選出せんしゅつされ、翌年よくねん8がつまで在職ざいしょくした。退任たいにん直後ちょくごの9がつ10日とおか死去しきょした。

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b だい日本人にっぽんじんぶつ』む2ページ
  2. ^ 昭和しょうわじゅう年度ねんどばん 日本人にっぽんじんめいせん』、大阪おおさか毎日新聞社まいにちしんぶんしゃ、1939ねん

参考さんこう文献ぶんけん

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  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい11はんした)』人事じんじ興信所こうしんじょ、1937ねん 
  • 人事じんじ興信所こうしんじょへん人事じんじ興信録こうしんろく だい10はんした)』人事じんじ興信所こうしんじょ、1934ねん 
  • ぎんこん記念きねん だい日本人にっぽんじんぶつ いちきゅうねんだい日本人にっぽんじんぶつ編纂へんさんしゃ、1925ねん 
公職こうしょく
先代せんだい
小柳こやなぎまきまもる
新潟にいがた市長しちょう
だい14だい:1937ねん - 1938ねん
次代じだい
井上いのうえすぐる