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1964ねん東京とうきょうオリンピックの体操たいそう競技きょうぎ

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1962ねん切手きって

1964ねん東京とうきょうオリンピック体操たいそう競技きょうぎ(1964ねんとうきょうオリンピックのたいそうきょうぎ)は、1964ねん10がつ18にちから23にちまでの日程にってい東京とうきょう体育館たいいくかんにて開催かいさいされた。

概要がいよう[編集へんしゅう]

男子だんし団体だんたい総合そうごう個人こじん総合そうごう種目しゅもくべつ6種目しゅもくけい8種目しゅもく女子じょし団体だんたい総合そうごう個人こじん総合そうごう種目しゅもくべつ4種目しゅもくけい6種目しゅもくおこなわれた。

男子だんし団体だんたいでは日本にっぽんが2連覇れんぱたした。なお、前回ぜんかいのローマオリンピックと東京とうきょうオリンピックにかぎり、団体だんたい総合そうごうでは1つしかメダルが授与じゅよされていない。東京とうきょうオリンピックでは女子じょし団体だんたいどうメダルを獲得かくとくしたがチームで1個いっこのみである。このため、40ねん以上いじょうった2006ねん10月19にち国際こくさいオリンピック委員いいんかいロゲ会長かいちょう来日らいにちし、レセプションの会場かいじょうにて、ローマオリンピックと東京とうきょうオリンピック日本にっぽん代表だいひょう男子だんしチーム・女子じょしチームの選手せんしゅ全員ぜんいんたいして表彰ひょうしょうだて「シンボル・オブ・リコグニッション」を贈呈ぞうていした。[1] [2]男子だんし個人こじん総合そうごうでは、遠藤えんどう幸雄ゆきお日本にっぽんぜいはつ優勝ゆうしょうかざった。しかし、遠藤えんどう最終さいしゅう種目しゅもく鞍馬あんば失敗しっぱいしての優勝ゆうしょうだったため、「うつくしい体操たいそう」と試合しあい結果けっか両立りょうりつできなかったことに複雑ふくざつ感情かんじょういたとされる[3]

女子じょし団体だんたいではソビエト連邦れんぽうが4連覇れんぱ達成たっせいした。2にはチェコスロバキアがはいり、3日本にっぽんとなり日本にっぽん女子じょし団体だんたいはつのメダル獲得かくとくとなった。女子じょし個人こじん総合そうごうでは、ソビエト連邦れんぽうラリサ・ラチニナチェコスロバキアベラ・チャスラフスカいちとなった。優勝ゆうしょうしたチャスラフスカの優美ゆうび演技えんぎは「オリンピックの名花めいか」とたたえられ、絶大ぜつだい人気にんきはくした。

競技きょうぎ結果けっか[編集へんしゅう]

体操たいそう競技きょうぎ[編集へんしゅう]

男子だんし[編集へんしゅう]

種目しゅもく きむ ぎん どう
団体だんたい総合そうごう 日本 日本にっぽん (JPN)
小野おのたかし
遠藤えんどう幸雄ゆきお
鶴見つるみ修治しゅうじ
山下やましたおさむひろ
早田そうだたく
三栗みぐりゅうたかし
ソビエト連邦 ソビエト連邦れんぽう (URS)
セルゲイ・ディアミドフ
ビクトル・レオンチェフ
ビクトル・リシツキー
ボリス・シャハリン
ユーリ・チトフ
Yury Tsapenko
東西統一ドイツ 東西とうざい統一とういつドイツ (EUA)
Siegfried Fülle
Philipp Fürst
Erwin Koppe
Klaus Köste
Günter Lyhs
Peter Weber
個人こじん総合そうごう 日本 遠藤えんどう幸雄ゆきお
日本にっぽん (JPN)
ソビエト連邦 ビクトル・リシツキー
ソビエト連邦れんぽう (URS)
該当がいとうしゃ
ソビエト連邦 ボリス・シャハリン
ソビエト連邦れんぽう (URS)
日本 鶴見つるみ修治しゅうじ
日本にっぽん (JPN)
ゆか イタリア フランコ・メニチェッリ
イタリア (ITA)
日本 遠藤えんどう幸雄ゆきお
日本にっぽん (JPN)
該当がいとうしゃ
ソビエト連邦 ビクトル・リシツキー
ソビエト連邦れんぽう (URS)
鉄棒てつぼう ソビエト連邦 ボリス・シャハリン
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ソビエト連邦 ユーリ・チトフ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ユーゴスラビア ミロスラフ・ツェラル
ユーゴスラビア (YUG)
平行棒へいこうぼう 日本 遠藤えんどう幸雄ゆきお
日本にっぽん (JPN)
日本 鶴見つるみ修治しゅうじ
日本にっぽん (JPN)
イタリア フランコ・メニチェッリ
イタリア (ITA)
あん ユーゴスラビア ミロスラフ・ツェラル
ユーゴスラビア (YUG)
日本 鶴見つるみ修治しゅうじ
日本にっぽん (JPN)
ソビエト連邦 Yuri Tsapenko
ソビエト連邦れんぽう (URS)
つり 日本 早田そうだたく
日本にっぽん (JPN)
イタリア フランコ・メニチェッリ
イタリア (ITA)
ソビエト連邦 ボリス・シャハリン
ソビエト連邦れんぽう (URS)
跳馬ちょうば 日本 山下やましたおさむひろ
日本にっぽん (JPN)
ソビエト連邦 ビクトル・リシツキー
ソビエト連邦れんぽう (URS)
フィンランド ハンヌ・ランタカリ
フィンランド (FIN)

女子じょし[編集へんしゅう]

種目しゅもく きむ ぎん どう
団体だんたい総合そうごう ソビエト連邦 ソビエト連邦れんぽう (URS)
ポリーナ・アスタホワ
ラリサ・ラチニナ
リュドミラ・グロモワ
タマーラ・マニナ
Yelena Volchetskaya
Tamara Zamotaylova-Lyukhina
チェコスロバキア チェコスロバキア (TCH)
ベラ・チャスラフスカ
Mária Krajcírová
Jana Kubicková-Posnerová
Hana Ruzicková
Jaroslava Sedlácková
Adolfina Tkacíková-Tacová
日本 日本にっぽん (JPN)
池田いけだ敬子けいこ
相原あいはら俊子としこ
小野おの清子きよこ
中村なかむら仁子さとこ
つじ宏子ひろこ
千葉ちば吟子ぎんこ
個人こじん総合そうごう チェコスロバキア ベラ・チャスラフスカ
チェコスロバキア (TCH)
ソビエト連邦 ラリサ・ラチニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ソビエト連邦 ポリーナ・アスタホワ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ゆか ソビエト連邦 ラリサ・ラチニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ソビエト連邦 ポリーナ・アスタホワ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ハンガリー アニコ・ヤーノシ・デュッツァ
ハンガリー (HUN)
平均へいきんだい チェコスロバキア ベラ・チャスラフスカ
チェコスロバキア (TCH)
ソビエト連邦 タマーラ・マニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ソビエト連邦 ラリサ・ラチニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
段違だんちが平行棒へいこうぼう ソビエト連邦 ポリーナ・アスタホワ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
ハンガリー カタリン・マクライ
ハンガリー (HUN)
ソビエト連邦 ラリサ・ラチニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
跳馬ちょうば チェコスロバキア ベラ・チャスラフスカ
チェコスロバキア (TCH)
ソビエト連邦 ラリサ・ラチニナ
ソビエト連邦れんぽう (URS)
該当がいとうしゃ
東西統一ドイツ ビルギット・ラドフラ
東西とうざい統一とういつドイツ (EUA)

くに地域ちいきべつのメダル獲得かくとくすう[編集へんしゅう]

じゅん くに地域ちいき きむ ぎん どう けい
1 日本 日本にっぽん (JPN) 5 4 1 10
2 ソビエト連邦 ソビエト連邦れんぽう (URS) 4 10 5 19
3 チェコスロバキア チェコスロバキア (TCH) 3 1 0 4
4 イタリア イタリア (ITA) 1 1 1 3
5 ユーゴスラビア ユーゴスラビア (YUG) 1 0 1 2
6 東西統一ドイツ 東西とうざい統一とういつドイツ (EUA) 0 1 1 2
ハンガリー ハンガリー (HUN) 0 1 1 2
8 フィンランド フィンランド (FIN) 0 0 1 1
合計ごうけい 14 18 11 43

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 来日らいにち歓迎かんげいレセプションで「シンボル・オブ・リコグニッション」を授与じゅよ [1]
  2. ^ ローマ大会たいかい東京とうきょう大会たいかいのオリンピアン(体操たいそう)に「シンボル・オブ・リコグニッション」授与じゅよ [2]
  3. ^ 2011ねん4がつ15にち 産經新聞さんけいしんぶん体協たいきょう・JOC100ねん未来みらいへの助走じょそう だい1 競技きょうぎ団体だんたいからの報告ほうこく(2)」

出典しゅってん[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]