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桂徳院 (練馬区) - Wikipedia コンテンツにスキップ

かつらいさおいん (練馬ねりま)

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かつらいさおいん
所在地しょざいち 東京とうきょう練馬ねりま桜台さくらだい6丁目ちょうめ20ばん18ごう
位置いち 北緯ほくい3544ふん49.0びょう 東経とうけい13939ふん23.6びょう / 北緯ほくい35.746944 東経とうけい139.656556 / 35.746944; 139.656556座標ざひょう: 北緯ほくい3544ふん49.0びょう 東経とうけい13939ふん23.6びょう / 北緯ほくい35.746944 東経とうけい139.656556 / 35.746944; 139.656556
宗旨しゅうし 臨済宗りんざいしゅう
宗派しゅうは 大徳寺だいとくじ
本尊ほんぞん 釈迦如来しゃかにょらい
創建そうけんねん 慶長けいちょう17ねん1612ねん)または慶長けいちょう7ねん1602ねん
開山かいさん 大徳だいとくしゅうはじめ
開基かいき 羽柴はしば下総しもうさ守雄もりおおや滝川たきがわつよし
法人ほうじん番号ばんごう 7011605000047 ウィキデータを編集
桂徳院 (練馬区)の位置(東京都区部内)
桂徳院 (練馬区)
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かつらいさおいん(けいとくいん) は、東京とうきょう練馬ねりま桜台さくらだいにある臨済宗りんざいしゅう大徳寺だいとくじ寺院じいん

歴史れきし

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慶長けいちょう17ねん1612ねん)または慶長けいちょう7ねん1602ねん)、常陸ひたち片野かたのはんあるじ滝川たきがわ壱岐いきもり正利まさとし亡父ぼうふ羽柴はしば下総しもうさ守雄もりおおや滝川たきがわつよし慶長けいちょう15ねん1610ねんぼつ)の菩提所ぼだいしょとして江戸えど神田かんだ昌平しょうへいきょううちにあった広徳寺こうとくじ創建そうけんした[1][2]開山かいさん広徳寺こうとくじだい3せい大徳だいとくしゅうはじめ院号いんごう開基かいきである滝川たきがわつよし戒名かいみょうかつらいさおいん殿どのぜん法印ほういんさんえいしゅうすぐる庵主あんしゅ」に由来ゆらいする[3]

寛永かんえい12ねん1635ねん)、広徳寺こうとくじ下谷しもたに移転いてんし、かばいわ和尚おしょうによりどうてら境内けいだい再建さいけんされた[2]

安永やすなが6ねん1777ねん)、火災かさいにより焼失しょうしつ明治維新めいじいしん広徳寺こうとくじ塔頭たっちゅうたい寿ことぶきいんおよびうめくもいん合併がっぺい[2]明治めいじ39ねん1906ねん)、隣地りんちうめくもいん跡地あとち)に移転いてんした[1]

大正たいしょう12ねん1923ねん)、関東大震災かんとうだいしんさいのためふたた焼失しょうしつ[2]かりどうてて復興ふっこうしたが、昭和しょうわ20ねん1945ねん)、強制きょうせい疎開そかいめいぜられて建物たてものはらわれた。昭和しょうわ27ねん1952ねん)に練馬ねりま桜台さくらだい広徳寺こうとくじ別院べついんげんほんぼう隣地りんち移転いてんし、昭和しょうわ30ねん1955ねん)に本堂ほんどう庫裡くり落慶らっけいした[4]

墓地ぼち

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広徳寺こうとくじ境内けいだいうら広徳寺こうとくじどもそう墓地ぼち非公開ひこうかい)の一角いっかくにある。関東大震災かんとうだいしんさい、まだ下谷しもたにのこっていたかつらいさおいん先立さきだって墓地ぼちのみ練馬ねりま移転いてんした[5]かつらいさおいんはか一般いっぱん広徳寺こうとくじ墓地ぼちとしてまとめて紹介しょうかいされる[6]

大名だいみょう旗本はたもと

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文人ぶんじん

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脚注きゃくちゅう

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外部がいぶリンク

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