桐原きりはらえき (新潟にいがたけん)

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桐原きりはらえき
駅舎えきしゃ(2021ねん9がつ
きりはら
Kirihara
地図
所在地しょざいち 新潟にいがたけん長岡ながおか寺泊てらどまり五分一ごぶいち[1]
北緯ほくい3736ふん5.98びょう 東経とうけい13847ふん32.74びょう / 北緯ほくい37.6016611 東経とうけい138.7924278 / 37.6016611; 138.7924278座標ざひょう: 北緯ほくい3736ふん5.98びょう 東経とうけい13847ふん32.74びょう / 北緯ほくい37.6016611 東経とうけい138.7924278 / 37.6016611; 138.7924278
所属しょぞく事業じぎょうしゃ 東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
所属しょぞく路線ろせん 越後線えちごせん
キロほど 36.2 km(柏崎かしわざき起点きてん
電報でんぽう略号りゃくごう キラ
えき構造こうぞう 地上ちじょうえき
ホーム 1めん1せん[1]
乗車じょうしゃ人員じんいん
-統計とうけい年度ねんど-
55にん/降車こうしゃきゃくふくまず)
-2010ねん-
開業かいぎょう年月日ねんがっぴ 1919ねん大正たいしょう8ねん12月5にち[1]
備考びこう 無人むじんえき[1]乗車じょうしゃえき証明しょうめいしょ発行はっこう ゆう
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桐原きりはらえき(きりはらえき)は、新潟にいがたけん長岡ながおか寺泊てらどまりふんいちにある、東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん越後線えちごせんえきである[1]

歴史れきし[編集へんしゅう]

えき構造こうぞう[編集へんしゅう]

単式たんしきホーム1めん1せんゆうする地上ちじょうえきである[1]以前いぜんしましきホーム1めん2せんゆうしていたが、のち列車れっしゃ交換こうかんのための設備せつび撤去てっきょされている(撤去てっきょ時期じき不明ふめいだが、1981ねん時点じてんではすで撤去てっきょされていた[5])。

つばめ三条さんじょうえき管理かんり無人むじんえき。ホーム東側ひがしがわめんする駅舎えきしゃないには乗車じょうしゃえき証明しょうめいしょ発行はっこう設置せっちされ、簡易かんい委託いたくえき時代じだい窓口まどぐちのこる。また、駅舎えきしゃにはトイレ設置せっちされている。

利用りようじょうきょう[編集へんしゅう]

長岡ながおか統計とうけい年鑑ねんかん」によると、1にち平均へいきん乗車じょうしゃ人員じんいん以下いかとおり。

乗車じょうしゃ人員じんいん推移すいい
年度ねんど 1にち平均へいきん乗車じょうしゃ人員じんいん
2009 60
2010 55

えき周辺しゅうへん[編集へんしゅう]

となりえき[編集へんしゅう]

東日本旅客鉄道ひがしにほんりょかくてつどう(JR東日本ひがしにっぽん
越後線えちごせん
小島谷おじまやえき - 桐原きりはらえき - 寺泊てらどまりえき

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d e f g 週刊しゅうかん JRぜんえきぜん車両しゃりょう基地きち』 21ごう 新潟にいがたえき弥彦やひこえき津南つなんえきほか、朝日新聞あさひしんぶん出版しゅっぱん週刊しゅうかん朝日あさひ百科ひゃっか〉、2012ねん12月30にち、21ぺーじ 
  2. ^ 地方ちほう鉄道てつどう停留ていりゅうじょう設置せっち」『官報かんぽう』1919ねん12月15にち国立こくりつ国会図書館こっかいとしょかんデジタル資料しりょう
  3. ^ a b c d e f g 石野いしのあきらへん)『停車場ていしゃじょう変遷へんせんだい事典じてん 国鉄こくてつ・JRへん Ⅱ』JTB、1998ねん、597ぺーじISBN 978-4-533-02980-6 
  4. ^ 読売新聞よみうりしんぶん 昭和しょうわ48ねん12月1にち新潟にいがた読売よみうり
  5. ^ 宮脇みやわき俊三しゅんぞう原田はらだ勝正かつまさ編著へんちょ国鉄こくてつ全線ぜんせん各駅かくえき停車ていしゃ⑥』中央ちゅうおう上信越じょうしんえつ440えき小学館しょうがくかん、1983ねんISBN 4-09-395106-3

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]