極楽寺ごくらくじ (西条さいじょう)

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極楽寺ごくらくじ
本堂ほんどう
所在地しょざいち 愛媛えひめけん西条さいじょう大保木おおふき4-36
位置いち 北緯ほくい3350ふん43.25びょう 東経とうけい1338ふん53.89びょう / 北緯ほくい33.8453472 東経とうけい133.1483028 / 33.8453472; 133.1483028 (極楽寺ごくらくじ蔵王ざおう殿どの)座標ざひょう: 北緯ほくい3350ふん43.25びょう 東経とうけい1338ふん53.89びょう / 北緯ほくい33.8453472 東経とうけい133.1483028 / 33.8453472; 133.1483028 (極楽寺ごくらくじ蔵王ざおう殿どの)
山号さんごう 九品くほんさん
宗旨しゅうし 真言宗しんごんしゅう
宗派しゅうは 石鎚山いしづちさん真言宗しんごんしゅう
寺格じかく 総本山そうほんざん
本尊ほんぞん 阿弥陀あみださんみこといしづち蔵王ざおうだい権現ごんげん
創建そうけんねん 天武天皇てんむてんのう9ねん680ねん
開基かいき やく小角おがく
正式せいしきめい 九品くほんさん極楽寺ごくらくじ
きゅう𠯮やま 極樂寺ごくらくじ
別称べっしょう 石鎚山いしづちさん極楽寺ごくらくじ
石鎚山いしづちさん 極樂寺ごくらくじ
札所ふだしょとう 四国しこくさんじゅうろく不動ふどう霊場れいじょう23ばん
しん四国しこく曼荼羅まんだら霊場れいじょう32ばん
四国しこく東予とうよ七福神しちふくじんぶくろく寿ことぶき
法人ほうじん番号ばんごう 3500005003985 ウィキデータを編集
地図
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極楽寺ごくらくじ(ごくらくじ)は、愛媛えひめけん西条さいじょう大保木おおふきにある石鎚山いしづちさん真言宗しんごんしゅう総本山そうほんざん寺院じいん山号さんごう九品くほんさん(くぼんざん)。本尊ほんぞん阿弥陀あみださんみこと石鎚いしづち蔵王ざおうだい権現ごんげん石鎚山いしづちさん信仰しんこう根本こんぽん道場どうじょうであり、やく1300ねんまえから山岳さんがく宗教しゅうきょう一大いちだい修験しゅげん道場どうじょうでもある。

  • 本尊ほんぞん真言しんごん:オン・アボギヤ・バダラヤ・ソワカ
  • 詠歌えいか石鎚いしづちみねにのぼれば 極楽ごくらくいのいのらん きゅうひん浄土じょうど
  • 童子どうじめいふつ守護しゅご童子どうじ真言しんごん:おん あぼぎやばだらや そわか
  • おさめけいしるし四国しこくはちじゅうはち箇所かしょ番外ばんがい南無なむ石鎚いしづちだい権現ごんげん)、四国しこく36不動ふどう霊場れいじょう波切なきり不動ふどう)、しん四国しこく曼荼羅まんだら霊場れいじょうわたるさんみこと)、石鎚山いしづちさんほうおこりぼう石鎚いしづちほうおこりぼう 天狗堂てんぐどう)、四国しこく東予とうよ七福神しちふくじんぶくろく寿ことぶき

概要がいよう[編集へんしゅう]

てらでんによると、西暦せいれき680ねんごろ役行者えんのぎょうじゃ石鎚山いしづちさんあおることのできる龍王山りゅうおうさんこもり、不動ふどうたききよ修行しゅぎょうをされ、阿弥陀あみださんみことと3たい石鎚いしづち権現ごんげん本尊ほんぞんとするてんかわてら(てんがじ)を開基かいきし、平安へいあん時代じだいから室町むろまち時代じだいいたるまで隆盛りゅうせいをきわめた。ところが、室町むろまち時代じだい末期まっきになり、戦国せんごく兵火へいかで1350ねんてんかわてら炎上えんじょう、そのとき住職じゅうしょくぎょうぜん大徳だいとくは、その弟子でしなだめ法師ほうしてんかわてら法灯ほうとう継続けいぞくするさがすようめいみずからは遷化せんげした。そして、なだめ法師ほうし龍王山りゅうおうさんあおることのできるこのさがし、堂宇どうう建立こんりゅう極楽寺ごくらくじづけ、法灯ほうとうまもった。そのてんかわてらあとから本尊ほんぞんであった3たい石鎚いしづち蔵王ざおう権現ごんげんのうちちゅうみことの「きむつよし蔵王ざおう権現ごんげん」がされ、蔵王ざおう殿どの本尊ほんぞんとしてまつられた。極楽寺ごくらくじになって2火災かさいにより寺宝じほうおお焼失しょうしつしたが、権現ごんげんぞうまもられ、現在げんざいいたるまで石鎚いしづち金剛こんごう蔵王ざおう権現ごんげん御前ごぜんにて護摩ごまきが朝夕あさゆうおこなわれている。2014ねんうしなわれていたりょうわきみことである「龍王りゅうおうほえ(りゅうおうく)蔵王ざおう権現ごんげん」「かしこたからほえ(むいほうく)蔵王ざおう権現ごんげん」が新調しんちょうされ3たいそろった。明治めいじ時代じだい神仏しんぶつ分離ぶんりれいにより、石鎚いしづち権現ごんげんたてまつときするいし鈇山蔵王ざおう権現ごんげん別当べっとうぜんかみてらいし鈇蔵おう権現ごんげんしゃ別当べっとうよこみねてら廃寺はいじ(その復興ふっこう)となったとき当山とうざん廃寺はいじとならず、石鎚いしづち信仰しんこうつづいてきた。現在げんざい管長かんちょう神野かみの顕彰あきらいんだい神野かみのあらわまことである。

伽藍がらん[編集へんしゅう]

ほんぼうエリア
本堂ほんどうまえしばとう護摩ごま
火渡ひわた
  • 山門さんもん
  • 本堂ほんどうほんぼう):秘仏ひぶつ阿弥陀あみださんみことで、しん四国しこく曼荼羅まんだら霊場れいじょう本尊ほんぞん
  • ろくかく地蔵堂じぞうどう
  • はちだい龍王りゅうおうしゃ石鎚山いしづちさんそう鎮守ちんじゅ
  • 光明こうみょう真言しんごん義民ぎみんどう
  • 鐘楼しゅろうどう
  • 庫裡くり客殿きゃくでん
別院べついんエリア
  • 中門ちゅうもん
  • 蔵王ざおう殿どのさんたい石鎚いしづち蔵王ざおう権現ごんげん本尊ほんぞんちゅうみこと護摩ごまきのときすう分間ふんかんだけまくがりあらわれる。みぎわきじん米持よねもち権現ごんげん四国しこく(東予とうよ)七福神しちふくじんぶくろく寿ことぶきひだりわきじん四国しこくさんじゅうろく不動ふどう霊場れいじょう本尊ほんぞん不動明王ふどうみょうおう
  • 大師堂だいしどうかぎ大師だいしぞう
  • きむつよしかく寺務じむしょ宿坊しゅくぼう
  • せい天堂てんどう歓喜天かんぎてん
  • 浄心じょうしんどうきよしりゅうどう行道ぎょうどうじょう
  • さんあん茶室ちゃしつ写経しゃきょうしつ
  • たき行場いきば不動ふどうたき
石鎚いしづち山麓さんろく西之川にしのかわ下谷しもたに
  • ほうおこりぼうどう役行者えんのぎょうじゃは701ねん大阪おおさか箕面みのお天上てんじょうだけ昇天しょうてんしたのちわかころ開山かいさんした石鎚山いしづちさんにやってきて「石鎚山いしづちさんほうおこりぼうだい天狗てんぐ」となって当地とうち守護しゅごしたとわれている。そのほうおこりぼうまつっている。

おも行事ぎょうじ[編集へんしゅう]

冬至とうじすいぎょう
  • 2がつ3にち節分せつぶん)と5がつ3にち春山はるやま大祭たいさい)にはむらさきとうだい護摩ごま火渡ひわたりがおこなわれる。
  • 8がつ12にちにはおぼんまんとう供養くようかいとしてすうせん灯篭とうろうるされあかりがともる。
  • 8がつ最終さいしゅう日曜日にちようびには龍王山りゅうおうさんにゅうみね修行しゅぎょうとして、不動ふどうたききよ龍王山りゅうおうさんとうはい頂上ちょうじょう護摩ごまく。
  • 12月冬至とうじよるに100にんちかくの老若男女ろうにゃくなんにょ加茂川かもがわかるみずぎょうがある。(やく20分間ふんかんかわかり、しばとう護摩ごまだん権現ごんげんぞう加持かじける。だれでも予約よやくなしで参加さんかできる。)

  

前後ぜんご札所ふだしょ[編集へんしゅう]

しん四国しこく曼荼羅まんだら霊場れいじょう
31ばん おういたる森寺もりでら -- 32ばん 石鎚山いしづちさん極楽寺ごくらくじ -- 33ばん きよらくてら
四国しこくさんじゅうろく不動尊ふどうそん霊場れいじょう
22ばん 西山にしやま興隆寺こうりゅうじ --(21km)-- 23ばん 石鎚山いしづちさん極楽寺ごくらくじ --(28km)-- 24ばん 隆徳たかのりてら

おくいん[編集へんしゅう]

てんかわてら廃寺はいじ
龍王山りゅうおうさん標高ひょうこう840mあたり)から4,5ちょうほどしたひろいところにやく行者ぎょうじゃ(神変しんぺんだい菩薩ぼさつ)によりひらきそうされた。さらじょう瓶ケ森かめがもり山頂さんちょういし土蔵どぞうおう権現ごんげんまつられみやとことばれるようになると、その別当寺べつとうじになりおおいにさかえた。しかし、1350ねん兵火へいかにより全焼ぜんしょう再建さいけんされることはなかった。てらめいは、天上てんじょう銀河ぎんがにてかかる高山こうざんに梵宮くもを衝てこりてんかわちかきとの意味いみである。とうてらかためとして東大門ひがしだいもん西にし大門おおもん下方かほうにあり、とう山内さんないあめ乞谷のうちにある祓川はらいかわ垢離こりきよばらいをし登山とざんする。いしはんという大岩おおいわぎると大門だいもん仁王門におうもん)あり、本堂ほんどう庫裡くり護摩堂ごまどうすえいん経蔵きょうぞう書院しょいんとうのあるだい伽藍がらんであった[1]

塔中たつちゅう寺院じいん[編集へんしゅう]

てんかわてらがあったころは、ふもとひかりあきらてらから坂中さかなかてらて、てんかわてら参詣さんけいしていたとわれる。

  • 成就じょうじゅさんさか中寺なかでら 本尊ほんぞん秘仏ひぶつ千手観音せんじゅかんのん :愛媛えひめけん西条さいじょう黒瀬くろせかぶと959
    龍王山りゅうおうさん中腹ちゅうふくにあり、てんかわ寺跡てらあとよりやく時間じかんくだったところにある。
  • 補陀落ふだらくやまひかりあきらてら 本尊ほんぞんじゅう一面観いちめんかんおん拝観はいかん可能かのう) :愛媛えひめけん西条さいじょう黒瀬くろせふち上乙うえおつ213
    黒瀬くろせダム建設けんせつのために、対岸たいがんにあったが現在地げんざいち黒瀬峠くろせとうげ高台たかだい移転いてんした。

文化財ぶんかざい[編集へんしゅう]

  • ひかりあきらてら本尊ほんぞん木造もくぞうじゅういちめん観音かんのん坐像ざぞう西条さいじょう指定してい有形ゆうけい文化財ぶんかざい昭和しょうわ61.3.7指定してい

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 西條さいじょう史談しだんだい63ごう 27ページ

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]