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橋本 順忠(はしもと のぶただ、1900年11月4日[1] - 1976年1月6日[2])は、日本の画家、神職。
梅宮大社の宮司であった橋本順行の三男として、京都市に生まれる[3]。弟に橋本以行。
大正11年(1922年)、京都市立美術工芸学校を卒業[3]。次いで大正14年(1925年)には京都市立絵画専門学校を、昭和5年(1930年)には研究科を修了した[3]。同年、第11回帝国美術展覧会に『嵐峡の夕』が入選した[3]。
昭和28年(1953年)、梅宮大社が宗教法人法による宗教法人として登録されたと同時に、同社宮司に就任した[3]。没後、弟の以行が宮司職を継承した[5]。
作品名 |
技法 |
形状・員数 |
寸法(縦x横cm) |
所有者 |
年代 |
文化財指定 |
備考
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八駿之図(趙仲穆) |
膠彩 |
巻子 |
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1927年(昭和2年) |
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不動明王像(鳥羽僧正) |
墨画・部分膠彩 |
軸・1幅 |
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1930年(昭和5年) |
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材質は和紙、墨・顔料。[7]
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