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汾陽てら

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汾陽てら

地図
所在地しょざいち 岐阜ぎふけんせき武芸川むげがわまち谷口たにぐち1811
位置いち 北緯ほくい3533ふん45.0びょう 東経とうけい13649ふん24.4びょう / 北緯ほくい35.562500 東経とうけい136.823444 / 35.562500; 136.823444座標ざひょう: 北緯ほくい3533ふん45.0びょう 東経とうけい13649ふん24.4びょう / 北緯ほくい35.562500 東経とうけい136.823444 / 35.562500; 136.823444
山号さんごう 乾徳山けいとくざん
宗派しゅうは 臨済宗りんざいしゅう妙心寺みょうしんじ
本尊ほんぞん 釈迦牟尼しゃかむに如来にょらい
創建そうけんねん 嘉吉よしきち元年がんねん(1441ねん)
開基かいき 斎藤さいとう利永としなが
文化財ぶんかざい 絹本けんぽんちょしょくふつ涅槃ねはん重要じゅうよう文化財ぶんかざい
法人ほうじん番号ばんごう 8200005007756 ウィキデータを編集
汾陽寺の位置(岐阜県内)
汾陽寺
汾陽てら
汾陽てら (岐阜ぎふけん)
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汾陽てら(ふんようじ)は、岐阜ぎふけんせき武芸川むげがわまちにある臨済宗りんざいしゅう妙心寺みょうしんじ寺院じいんである。山号さんごう乾徳山けいとくざん本尊ほんぞん釈迦牟尼しゃかむに如来にょらいである。てら名前なまえかんした汾陽寺山てらやま谷合たにあいにある。

歴史れきし

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嘉吉よしきち元年がんねん(1441ねん)に斎藤さいとう利永としなが開基かいき雲谷うんこくげんさち開山かいさんとして創建そうけんされた[1]げんさち在住ざいじゅうにはとくよしぜんすぐるさとるけいそうとみ参禅さんぜんしている[2]げんさち示寂じじゃくてら衰微すいびしたが、斎藤さいとう利国としくにさとるけいそうとみ中興ちゅうこう開山かいさんとして再建さいけんしている。戦国せんごく時代じだいには織田おだ信長のぶながから放逐ほうちくされた安藤あんどうまもるがその叔父おじとうてら住職じゅうしょくをしていたみずうみよしたよ隠棲いんせいしていた[3]近隣きんりんんでいた春日局かすがのつぼね度々たびたびおとずれたとされる。元禄げんろく7ねん(1694ねん)に尾張おわりはんいのちにより近隣きんりんぜんてらである道樹みちきてら清泰寺せいたいじりゅうもんてらりゅうぎんてらりゅうぶくてらとくてらが1ねんずつ輪番りんばんまもっていたがよしみひさし4ねん(1851ねん以降いこうどくじゅうとなっている[4]本堂ほんどう元治もとはる元年がんねん(1864ねん)、庫裏くり明治めいじ24ねん(1891ねん)の建築けんちくである。

絹本けんぽんちょしょくほとけ涅槃ねはん(けんぽんちゃくしょくぶつねはんず)」は平安へいあん時代じだい末期まっきさくで、くに重要じゅうよう文化財ぶんかざい指定していされている(2016ねん平成へいせい28ねん)8がつ17にち指定してい[5]

だい般若はんにゃけい寺宝じほうとしてゆうするほか、にちほうそうしゅん書状しょじょう足利あしかが将軍しょうぐん御教書みぎょうしょ美濃みの斎藤さいとうからの禁札きんさつおうなが22ねん屋敷やしきうりけんなどがつたえられている[3]

脚注きゃくちゅう

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  1. ^ 新編しんぺん 武芸川むげがわまち
  2. ^ 妙心寺みょうしんじ 650ねんあゆ
  3. ^ a b 岐阜ぎふけんひゃくてら p136
  4. ^ 新編しんぺん 禅学ぜんがくだい辞典じてん p1105
  5. ^ 平成へいせい28ねん8がつ17にち文部もんぶ科学かがくしょう告示こくじだい116ごう