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浅見あさみ三喜夫みきお

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浅見あさみ 三喜夫みきお(あさみ みきお、1959ねん1がつ7にち - )は愛媛えひめけん宇和島うわじま九島くしま出身しゅっしん日本にっぽん柔道じゅうどう現役げんえき時代じだいは60kgきゅうおよび65kgきゅう選手せんしゅ次女じじょは48kgきゅう世界せかいチャンピオンである浅見せんけんはち瑠奈るな現在げんざい新田にった高校こうこう教頭きょうとうおよ柔道じゅうどう顧問こもん[1][2]

経歴けいれき[編集へんしゅう]

柔道じゅうどう城南じょうなん中学ちゅうがくはいってからあに影響えいきょうはじめた[1]新田にった高校こうこう2ねんときにはインターハイ軽量けいりょうきゅうで3になると、3ねんときにはちゅうりょうきゅうで3となった。その筑波大学つくばだいがく進学しんがくするが、1ねんときひじをケガして従来じゅうらい得意とくいわざだった背負投せおいなげ使つかえなくなったので、いままでとはちがったスタイルの背負投せおいなげすことになった[1]。2ねんときには新人しんじん体重たいじゅうべつ優勝ゆうしょうかざった。4ねんときには60kgきゅう選手せんしゅながら全日本ぜんにほん学生がくせい柔道じゅうどう優勝ゆうしょう大会たいかいのメンバーにえらばれてじゅん優勝ゆうしょうたした。1981ねんにはハンガリー国際こくさいチェコ国際こくさい連続れんぞく優勝ゆうしょうかざった。大学だいがく卒業そつぎょうすると新田にった高校こうこう教員きょういんとなり、講道館こうどうかんはいで2連覇れんぱかざった。1982ねんには嘉納かのうはいでも3となった。1984ねんには階級かいきゅうを65kgきゅうげると、体重たいじゅうべつ決勝けっしょうのちロサンゼルスオリンピック優勝ゆうしょうすることになる兵庫ひょうご県警けんけい松岡まつおか義之よしゆき効果こうかやぶって優勝ゆうしょうたすが、この階級かいきゅうでの実績じっせきこん大会たいかいでの優勝ゆうしょうしかなかったためにオリンピック代表だいひょうえらばれることはなかった[3]。その講道館こうどうかんはいなどで上位じょういはい活躍かつやくせるが、27さいとき現役げんえき引退いんたいした[1]

指導しどうしゃとして[編集へんしゅう]

引退いんたい新田にった高校こうこう柔道じゅうどう監督かんとくとして、48kgきゅう世界せかいチャンピオンになった次女じじょはち瑠奈るなをはじめ、73kgきゅう世界せかいチャンピオンでありロンドンオリンピックぎんメダリストでもある中矢なかやつとむ、1999ねん世界せかい選手権せんしゅけん60kgきゅう2徳野とくの和彦かずひこ、2013ねんから全日本ぜんにほん女子じょしナショナルチームの監督かんとくとなった南條なんじょうたかし寿ことぶき世界せかいジュニア78kgちょうきゅうで2連覇れんぱ達成たっせいした井上いのうえ愛美まなみなどおおくの有力ゆうりょく選手せんしゅそだげてきた[1]

長女ちょうじょはちがつたいする指導しどう方法ほうほう色々いろいろ試行しこう錯誤さくごしたが、途中とちゅうから指導しどうしないことにめ、それをはち瑠奈るなにもあてはめた。他人たにんまかせることでひとたいする感謝かんしゃ気持きもちをたせるのがねらいだという。また、はち瑠奈るな中矢なかやはともに柔道じゅうどうセンスはなかったが、あきらめずに練習れんしゅうをこなしつづけたことで底力そこぢからいた。両者りょうしゃとも地味じみなスタイルだが、からだみきがきっちりしているので安定あんていした柔道じゅうどう展開てんかいできるのがつよみだともかたった[1]

おも戦績せんせき[編集へんしゅう]

60kgきゅうでの戦績せんせき
65kgきゅうでの戦績せんせき

DVD[編集へんしゅう]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

外部がいぶリンク[編集へんしゅう]