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海宝かいほうきよし

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
海宝かいほう きよし
生誕せいたん 1872ねん2-3がつ
日本の旗 日本にっぽん 千葉ちばけん
死没しぼつ 不明ふめい
所属しょぞく組織そしき  大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん
ぐんれき 1892ねん - 1920ねん
最終さいしゅう階級かいきゅう 陸軍りくぐん少将しょうしょう
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海宝かいほう きよし海寶かいほう きよし、かいほう きよし、1872ねん2-3月(明治めいじ5ねん1がつ) - 没年ぼつねん不明ふめい[1])は、大日本帝国だいにっぽんていこく陸軍りくぐん軍人ぐんじん最終さいしゅう階級かいきゅう陸軍りくぐん少将しょうしょう

経歴けいれき人物じんぶつ[編集へんしゅう]

千葉ちばけん出身しゅっしん[1][2]1892ねん明治めいじ25ねん陸軍りくぐん士官しかん学校がっこうだい3卒業そつぎょう[1][2]

1916ねん大正たいしょう5ねん)4がつ陸軍りくぐん歩兵ほへい大佐たいさ歩兵ほへいだい5連隊れんたいちょう1918ねん大正たいしょう7ねん)4がつ台湾たいわん歩兵ほへいだい1連隊れんたいちょうて、1920ねん大正たいしょう9ねん)1がつ陸軍りくぐん少将しょうしょう昇進しょうしん同時どうじ待命たいめい同年どうねん5がつ予備よびやく編入へんにゅうした[1][2]

家族かぞく[編集へんしゅう]

さんじょ昌子しょうじ(1906年生ねんせい)は渡部わたなべさく養女ようじょとなり、のち陸軍りくぐん獣医じゅうい籾山もみやま英次えいじ養女ようじょとなった[3]

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ a b c d 日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん』201ぺーじ
  2. ^ a b c 陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん』105ぺーじ
  3. ^ 渡部わたなべさく人事じんじ興信録こうしんろくだい8はん昭和しょうわ3(1928)ねん

参考さんこう文献ぶんけん[編集へんしゅう]

  • 福川ふくかわ秀樹ひでき日本にっぽん陸軍りくぐん将官しょうかん辞典じてん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、2001ねん
  • 外山とやまみさおへん陸海りくかいぐん将官しょうかん人事じんじ総覧そうらん 陸軍りくぐんへん芙蓉ふよう書房しょぼう出版しゅっぱん、1981ねん