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涸沢小屋こや

出典しゅってん: フリー百科ひゃっか事典じてん『ウィキペディア(Wikipedia)』
北穂高岳きたほたかだけと涸沢小屋こや(2006ねん8がつ
テントと涸沢小屋こや(2005ねん10がつ
地図
地図ちず

涸沢小屋こや(からさわごや)は、奥穂高岳おくほたかだけのすその涸沢にある山小屋やまごや涸沢カール側面そくめんにある大岩おおいわまえ位置いちする[1]

概要がいよう

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初代しょだい小屋こや上高地かみこうちやま案内あんないじん組合くみあいによって建設けんせつされて1939ねん昭和しょうわ14ねん)に開業かいぎょう[1][2][3]当初とうしょ組合くみあい所有しょゆうで、案内あんないじんであった奥原おくはら茂樹しげき管理人かんりにんつとめた[4]1958ねん昭和しょうわ33ねん)には奥原おくはら営業えいぎょうけん譲渡じょうとされたが翌年よくねん12がつ奥原おくはら急逝きゅうせいしたため[4]息子むすこ広次ひろつぐが2代目だいめとなって運営うんえいつづけられたものの、建物たてもの老朽ろうきゅうともな1964ねん昭和しょうわ39ねん)にえられた[3][4]。この山小屋やまごや以降いこう36年間ねんかんわたって登山とざんきゃく宿泊しゅくはく施設しせつとして利用りようされたのち、2000ねん平成へいせい12ねんあきから再度さいど改築かいちくはじめられ、よく2001ねん平成へいせい13ねん)7がつ20日はつか新装しんそうオープンしている[4]奥原おくはら広次ひろつぐは52ねんわたって涸沢小屋こや主人しゅじんとして登山とざんしゃしたしまれたが2011ねん平成へいせい23ねん)5がつくなり[5]現在げんざい芝田しばた洋祐ようすけが3代目だいめ主人しゅじんつとめる[4]

小屋こやのデータ

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  • 営業えいぎょう期間きかん
    • 4がつ27にちから11がつ初旬しょじゅんまで
    • 収容しゅうよう人数にんずう やく100にん

料金りょうきんなどは公式こうしきサイト参照さんしょう

所在地しょざいち

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脚注きゃくちゅう

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  1. ^ a b 信州大学しんしゅうだいがく山岳さんがく科学かがく総合そうごう研究所けんきゅうじょ 情報じょうほう企画きかくチーム「梅干うめぼしなりひさし 涸沢の山岳さんがく建築けんちく:その歴史れきしにみる「山岳さんがく雪氷せっぴょう建築けんちく」『山岳さんがく科学かがく総合そうごう研究所けんきゅうじょニュースレター だい33ごう』(レポート)2012ねんhttps://hdl.handle.net/10091/160692022ねん7がつ25にち閲覧えつらん 
  2. ^ 歴史れきし”. 涸沢小屋こや. 2013ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  3. ^ a b 涸沢小屋こや 来春らいしゅん環境かんきょう配慮はいりょがたのトイレ検討けんとう”. しんじまいWeb (2000ねん11月25にち). 2013ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  4. ^ a b c d e 今昔こんじゃく物語ものがたり2”. 涸沢小屋こや. 2013ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん
  5. ^ 涸沢小屋こや主人しゅじんだった奥原おくはらさん追悼ついとう写真しゃしんてん 安曇あずみ常連じょうれんきゃく”. しんごとWeb (2012ねん5がつ15にち). 2013ねん5がつ20日はつか閲覧えつらん

近隣きんりん山小屋やまごや

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外部がいぶリンク

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座標ざひょう: 北緯ほくい3617ふん43.9びょう 東経とうけい13739ふん38.1びょう / 北緯ほくい36.295528 東経とうけい137.660583 / 36.295528; 137.660583