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渡辺わたなべ幽香ゆうこう

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幼児ようじ(1893ねん横浜よこはま美術館びじゅつかんぞう

渡辺わたなべ 幽香ゆうこう(わたなべ ゆうこう、1856ねん安政あんせい3ねん12月25にち - 1942ねん昭和しょうわ17ねん12月5にち)は洋画ようが版画はんが幼名ようみょう、たつ。本名ほんな勇子ゆうこ明治めいじ15ねんごろからえて「幽香ゆうこう」をごうとする。明治めいじ9ねん1876ねん)、同門どうもん渡辺わたなべ文三郎ぶんざぶろう結婚けっこんしたこと渡辺わたなべせい名乗なのる。

ちちはつ五姓田ごせだ芳柳ほうりゅう(長女ちょうじょ)。あに五姓田ごせだ義松よしまつがいる。歴史れきし学者がくしゃ黒板こくばん伸夫のぶお縁戚えんせき幽香ゆうこうむすめが、黒板こくばん伯父おじつま[1]

略伝りゃくでん[編集へんしゅう]

江戸えど久留くるべいはんやしきないまれる。父親ちちおや工房こうぼうで、あに義松よしまつから洋画ようがまなぶ。明治めいじ10ねん1877ねん)、だい1かい内国ないこく勧業かんぎょう博覧はくらんかい油絵あぶらえ人物じんぶつ」「しゅう霧降滝きりふりのたき出品しゅっぴん褒状ほうじょうけ、明治めいじ23ねん1890ねん)のだい3かい内国ないこく勧業かんぎょう博覧はくらんかいでも「五姓田ごせだ芳柳ほうりゅうぞう」で褒状ほうじょうける。

肖像しょうぞうおおえがいたが、明治めいじ17、18ねんごろから版画はんが興味きょうみをもち、銅板どうばん松田まつだ緑山みどりやままなんだのちビゴーふう西洋せいようじんこのみの日本にっぽん風俗ふうぞくえがいた版画はんがしゅう大日本帝国だいにっぽんていこく古今ここん風俗ふうぞく寸陰すんいん漫稿」(石版せきばん、1886ねん)を緑山みどりやまのもとで制作せいさく外国がいこくじんけに販売はんばいする。その日本にっぽん風俗ふうぞくえがいた「だい日本にっぽん風俗ふうぞく漫画まんが」(石版せきばん銅版どうはん、1887ねん)や、「日本にっぽんかがみ」(銅版どうはん、1887ねん)を発表はっぴょうする。また長年ながねん華族かぞく女学校じょがっこうがく教師きょうしつとめた。

1893ねんシカゴ万国博覧会ばんこくはくらんかい婦人ふじんかんに「幼児ようじ」を発表はっぴょううすしばりつけられながらも蜻蛉とんぼろうとす、したたかな表情ひょうじょう赤子あかごは、これから世界せかい舞台ぶたいそうとする新興しんこうこく日本にっぽんをはしなくも象徴しょうちょうしている[2]

代表だいひょうさく[編集へんしゅう]

  • ねむ母子ぼしどう版画はんが 1888ねん
  • 編物あみものをするおんなどう版画はんが 1888ねん
  • いぬいだおんなどう版画はんが 1888ねん
  • 三味線しゃみせんおんなどう版画はんが 1888ねん
タイトル 制作せいさくねん 技法ぎほう素材そざい サイズ(cm) 所蔵しょぞうさき 備考びこう
白衣はくい婦人ふじんぞう 1883ねん 絹本けんぽんちょしょく 横浜よこはま美術館びじゅつかん
五姓田ごせだ芳柳ほうりゅうぞう 1889ねん キャンバス・油彩ゆさい 東京藝術大学とうきょうげいじゅつだいがく 翌年よくねんだい3かい内国ないこく勧業かんぎょう博覧はくらんかい褒状ほうじょうけた作品さくひん
幼児ようじ 1893ねん キャンバス・油彩ゆさい 横浜よこはま美術館びじゅつかん
だい礼服れいふく渡辺わたなべ文三郎ぶんざぶろうぞう 1899-1900ねん キャンバス・油彩ゆさい 横浜よこはま美術館びじゅつかん
犬吠埼いぬぼうざき海岸かいがん 年代ねんだいしょう 36.2x70.5 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん
植木うえきだな少女しょうじょ キャンバス・油彩ゆさい 33.0x26.5 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん
盛装せいそう婦人ふじん 28.0x17.5 東京とうきょう国立こくりつ博物館はくぶつかん

脚注きゃくちゅう[編集へんしゅう]

  1. ^ 情報じょうほうゆう鄰』No.378 P2 - 隔月かくげつかん情報じょうほうゆう鄰」”. www.yurindo.co.jp. 2023ねん2がつ13にち閲覧えつらん
  2. ^ 山梨やまなし恵美子えみこ渡辺わたなべ幽香ゆうこうのシカゴ万国博覧会ばんこくはくらんかい婦人ふじんかん出品しゅっぴんさくについて」『近代きんだいせつ』2ごう明治めいじ美術びじゅつ学会がっかい、1993ねん

参考さんこう資料しりょう[編集へんしゅう]

関連かんれん項目こうもく[編集へんしゅう]